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怒ってる?

広島県産業奨励館

青筋 青色の筋。特に、皮膚の上から見える静脈。

『岩波国語辞典』 西尾 実 P.8

青筋を立てておこる、と云う。擬音語のピキッが付け加えられた漫画をイメージしてまう。”丼”の真ん中の点がない記号が顳顬あたりに書いてあって、怒って表情。生のシーンで青筋を立てておこっている人を見たことない。でも、青筋が立っている腕ならある。その腕を見ると、ああ、生きてるな、って思う。透明感。自分の素足を見ると甲に青筋が浮き上がる。血がドクドク流れている。生命の活動。

青筋を立てるぐらい怒ると、脳に直接的なダメージを与えるんとちゃうのって妄想してまう。なんせ、ピキッやし。ピキッはガラスが割れる音でもあり、割れる、ああ、脳髄がパカっと裂ける、否、ミクロン、ミリの穴があけられる。そこから血がドクドク。膜へ侵入。

やっぱり青筋は手足に立てているほうがよい。怒りは自分に向け、静かに怒るとよいな。他人へ怒ってもピキッピキッピキッが増えるだけやし。それで、自分の脳髄を破壊していると体感すると青筋を立てておこりたくなる。ピキッ。

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あれ、何色? 青に見えます?

厳島神社

青青 いかにも青いさま。また、一面に青いさま。「ー(と)した麦畑」

『岩波国語辞典』 西尾 実 P.7

青青、青が二つ重なって未熟と未来が待ち構えているわ。色の表現はややこしいおまっせ。青青した麦畑って、あれ、青に見えます? 屁理屈とわかっていても理屈をこねたくなるねん。

青、青菜、青果…..どれも緑や。たぶん、昔の人は緑を青に見えていた、わけじゃなく、青と緑に意味を持たせる、というか、単語に色を使うなんて、ヒトの感覚がおもしろい。

青と緑、といえば、赤が揃えば、色の三原色で、色は哲学や文学ではなく、物理現象であって、ちゃんと説明できる。大昔のヒトは色の物理現象を理解していたん? 青と赤のコントラストは美しい。鳥居が赤であるのも意味があるんやろうし、理由があって、朱なんて云う。空は青、木々は緑、そこに赤の鳥居。

科学万歳! ではおまへんが、科学を学んで現象を理解すれば、現象を表現する言葉の成立や意味を発見できる。それが哲学やったりして。で、哲学を知れば、今度は科学を探求したくなる。哲学と科学、仲がええやん。

おお、そうか、科学と哲学、だから科学哲学みたいなトリッキーな学問もあるのか、科学を学び哲学を知る、そうすればヒトの道の真髄を究められる、と書いた時点では、まだまだ青いでんな、僕。

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ブログをKindleで、遺言です

パーソナルデータを世紀単位で保存できるのでしょうか?

ネットがパーソナルデータを世紀単位で保存できる仕組みを提供できれば、ヒトは情報に対して新しい概念を構築するんじゃないか、実現すればヒトはネット上で進化できるんじゃない? って想像しました。

まず、話を書くにあって以下の3つを想定していません。

  • 一企業の事業を想定していない
  • 新旧技術の対決を取り上げない(紙か電子書籍か デジタルカメラか銀塩かなど)
  • 専門的知識と技術を知らない

AppleはiPadを発表して電子書籍のプラットフォームを用意しました。iPadを使う広告写真を見ると、Appleは日常のシーンでもっとインターネットを提案しているように僕は感じました。生活のタスクをもっとオンラインへの提案です。

一方、対抗馬?!のAmazonはKindle向け自費出版サービスを米国外に拡大すると発表しました。GoogleもOSやブラウザ、スマートフォンなど次々と統合環境を提供しています。

僕はApple, Google, Amazonの100年後を予測できません。存続しているかもしれない、これらを廃業へ追い込む企業が現れるかもしれない。それでも、アイデアやインフラ、プラットフォームは姿形を変えて残っていくと想像します。

自分のブログをKindleから自費出版

KindleでなくてOKです。自分のブログ(ブログでなくてもOK)、アウトプットしたテキストを自費出版できるようになるでしょうか? その保存期間は? 自費出版が浮かんだのは、死んだ後を想像したから。文章を残したいと願う人はいるかもしれない。自分の子供や孫、その後の子孫へ、自分の思考と言葉、表現を残したい。伝えたいと願う気持ち。僕はブログを自費出版して後世に残したいと考えていない。でも、願う気持ちを否定しません。むしろ気持ちはますます強くなるんじゃないかな。

自費出版を拡張させて自分の死後を想像した時、身の回りの整理と処分を誰かにお願いしなければなりません。妻か子供か親族か、第三者か。通帳とクレジットカードは必要最小限で常時稼働中。だから手続きは円滑に進むと思う。今後も住居を頻繁に変えなければ、謄本を取り寄せる手間は少ない。

ただ、デジタルデータとインターネット関係のデータはやっかい。ドメインやファイルサーバへアクセスできない。まぁ、死んだら些末な事を含め何も気にしなくてよいし、できないからどうでもいい。でも、これもまたドメインを墓石としてずっと所有して欲しいと願う人がいるかもしれない。

そうやって身の回りを眺めると、勝手に残る物(食器, 洋服, 趣味…..)と残したい物に分けられます。前者はアクセスフリーだから、誰かが整理して保存したり処分するでしょう。後者は残らない可能性が高い。意思表示や具体的な指示を残さないと残せません。例えば、写真をプリントすれば100年ぐらいは残せるかもしれない。光学メディアも100年程度かな。1,000年後の人へ写真を残したいと期待したら?

パーソナルデータをネットへ保存して検索してもらう

絵, 文字, 石, 紙, 印刷, 写真…..。数千年前から人は記録を残してきました。当時の最先端技術を使って残し、あるいは芸術として残す。記録と表現は人の思考と言葉を伝えてきた。日本人は平安時代の小説を読める。偉業だし、すごくステキだと思う。

では、1,000-2,000年後まで今の時代の記録を残すとしたら? それが検索できればよい。しかも公式文章だけでなく市井の人の思考と言葉、表現を検索できればなおよいです。

記録と検索に必要な要素は何だろう。適切な要素を抽出してリストできないのでもどかしいです。経験からイメージするとしたら、巨大な図書館でしょうか。分類学の古典から最先端の手法を活用して保存されるような感じです。

情報は変わらない

検索エンジンを使って検索すると、情報の鮮度を気にしている自分を認識します。タイムスタンプが新しい情報が正確であるような錯覚。検索する分野にもよりますが、専門知識を除けば鮮度を気にしてしまています。それが自分の感覚です。

情報は変わりません。一度、アウトプットされた情報はユニークです(のはず?!)。更新されて内容がすべて書き換えられれば、それは別のユニークだと思います。

現在のインターネットと検索エンジンだと、情報の認識を進化させるとなるとアクセスするヒトに依存しています。優秀な方々はすでに情報の認識を書き換えられていると推察しますが、僕はまだまだです。

パーソナルデータを世紀単位で保存できる動作環境を実現しようとすれば、エネルギーや技術の問題、ビジネスの問題に直面します。さらに、まったく新しい検索技術の構築も必要かもしれません。ただ、それがいつかわからないけれど、実現に近づければ、アクセスするヒトに依存したネットではなく、ネットが進化を促してくれるような存在になるんじゃないか、と期待しています。

って、ネットを構築するのは誰か、という質問を答えられないと本末転倒ですね笑)

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あ、うんって云っても一致していません

カフェデュモンド

阿吽 万物の初めと終わり。梵字の字母で第一字がア(口を開いて出す音)、最後がウン(口を閉じて出す音)。

『岩波国語辞典』 [to Amazon] P.6

万物には初めと終わりがある、とおっしゃる。ミニマムからマキシマムまで。なのになんで無限と錯覚してまうんやろ。まるで終わりが悪かのよう。終わり、そして初め。流転輪廻。目の前のキャラメルソースのモカを飲み干してしまって、うらめしそうにそれを眺めよる。隣席の美しいヲンナゴをチラっとのぞいた隙に、もう一度カップへ目をやるとまた美味しそうなキャラメルソースとお目にかかれないやろか、と期待してまう。あほか。

初めは有か無か。どちらでありましょう。どちらでもおまへんか。万物の源、究極の初めは、無から誕生したとしたら、そして、それが真であり、誰も反証できない絶対であるとヒトが証明できたら、この世はさぞや楽しかろう。

そやで、無から誕生した有限の生。それが存在するだけでめっさおもろいわ。嗚呼。

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船を漕いでますが、何か?

たこ焼き

相槌 『ーを打つ』人の話を聞きながら、同意・同感のしるしにうなずく。人の話に調子を合わせる。

『岩波国語辞典』 西尾 実 [to Amazon] P.5

槌を打つタイミング、ドキドキ、ズキズキ、いや、聞いてますよ、ほんま、せやけどですね、いつ打てばよいのか悩むのです。ほんま。さらにさらに口から飛び出す感嘆詞が一本調子だったら、この人は自分の話をちゃんと聞いているのだろうか、なんて訝られやしないかと尻がムズムズ。実は語彙が貧しいだけなのです我。かといって、あらんかぎり、ほー、へー、ああ、なるほど、ほいでほいで、そうでっか、あー、って相槌を打ちまくると、この人は調子のよい人(=いい加減な人)と怪しまれないかと足の裏がムズムズ。

ある会場の壇上で誰かがしゃべっている。前の人、右横の人、左横の人、後ろの人、みんな相槌を打っている。みんなしっかりと聞いてるやんってビックリして、自分もウンウンって赤べこやりますと、あらら、変なところで頷いてしもうた。おや、壇上の人が沈黙してはるのに、前の人、右横の人、左横の人、後ろの人が相槌を打っている。そうか、読心術か。すごいわ。読心術を身につけた人の共通点は躰がやや沈み加減で、右か左へわずかに偏りま。

それを故人曰く、船を漕ぐというそうで。なるほど。絶妙な相槌は天賦の聞き上手なり。

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あっ、お愛想お願いします

石亭

愛想 にこやかで人づきあいのよいこと。→意図した物腰の場合を言うようになって来た。

『岩波国語辞典』 西尾 実 P.4

愛想の意味合いがちょっと変わってきたんとちゃう? 顔立ちや性向が備わった様態を評価するとっから、対人関係の人為的要素を評価してはる感じ。転じて、無理をしているんとちゃう、とか媚びてるわぁ、みたいなニュアンスが言外に含まれているような。

愛想といえば、勘定が知られる話。「あっ、お愛想お願いします」の愛想はお客がゆうんやなくてお店がゆう言葉。関西では、「勘定書を見ると愛想尽かしをする」からという意味で、要は、「この店には愛想が尽きたから精算してくれ」でおま。

お店は、「おーい、お客さん、お愛想」で、お客は、「あっ、勘定」であるはずが、あべこべになっている点、おもろい。

近頃、もう愛想が尽きたわ、なんて、腹を抱えて笑うぐらい恥ずかしい表現やし使ってへんけど、心の中でしょっちゅうつぶやいている。そんな自分に愛想が尽きたとは言えません。

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夜でもおはよう

揚げもみじ饅頭

挨拶 「挨」は推す、「拶」は迫る意。もと、禅問答におけるやりとりを指した。人と出会った時や別れる時に、社交的・儀礼的な(動作を伴った)言葉を交わすこと。また。その言葉。

『新明解国語辞典 第6版 並版』 山田 忠雄 [to Amazon] (3)

挨拶をきちんとできないと他人は目をそばめる。ならきちんとした挨拶って。おまへん。周りと融合してゆく課程で躰が察知して言語化したんやろうなぁと思います。せやから挨拶を使い分ける人がおれば、誰にでも同じ挨拶をする人もおる。テンション高ッ!の人や低ッ! 45度やん!

そら、おはようやこんばんははちゃんと挨拶できても、葬儀できちんと挨拶できるかというと、さらりとこなせん。このたびはご愁傷様でなんてフレーズは日常で使い慣れていないから声の抑制を調整してテンションを手探り。相手が喪中と知らず、明けましておめでとうございます、と言って、相手がもし明けましておめでとうございますって返せへんかったらどんな風に受け止めるやろ、とか想像してしまうねん。

おはようといえば、おはよう、の語源は「おはやく」の音便であり、お早くから○○ですねと使われていた。おもろい。おはようは同輩以下へしばしば使い、目上の人におはようと言わない。はようございます、です。なら、こんにちはとこんばんははこんにちわですとこんばんはです、とゆわへん。あら。こんにちはこんにちわでないし、こんばんははこんばんわでもない。なのに「わ」を使う人もおる。あら。

おはようございますは、芸能・放送の世界では夜昼問わず、その日はじめて会ったときの挨拶として使われるらしいけれど、その慣習が他の業界でもあてはまるん?

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