「それからこれは前にも申し上げたことですが、念のために繰り返します。ご要望のあったトピックについて、引き出せる情報はすべて入手しました。ですからもし牛河さんがその内容にご不満を持たれたとしても、こちらとしては責任はとれません。技術的にできる限りのことはやったからです。報酬は労働に対するものであり、結果に対するものではありません。求めていた情報がなかったから金を返せと言われても困ります。それもご承知願えますね」
『1Q84 BOOK 3』 村上 春樹 P.138
結果に対して報酬が支払われるようになり結果に対して評価が下される。アンフェアがあるとしたら、結果を提示しないで結果を求める傾向が高まったことだろう。往々にしてそういう傾向の高い属性は結果を出したことがない。自ら創り出さない。結果を評価する仕方も知らない。だから結果の定義が異なるのだろう。
結果、と云えば過程はと問う。結果と過程、どちらに属するかで対立する。あるいは二つの集合から距離を置いて、結果も過程もという集合に属する。これらの集合は部分をフォーカスしているので全体の労働へピントが合わない。
ピントが合わないから「労働はオーバーアチーブを志向する」映像がボケけてしまう。
労働をコントロールしない人ほど労働はオーバーアチーブを志向して報酬が自然増加し、労働をコントロールする人ほど労働が等価交換されて報酬が停滞する。
結果に対して報酬を支払う集合は結果をよりよく利用できないこともあり、結果、仮に相対的によい結果を出力できても、利用した結果が芳しくないから、自らの目にはいつまでも絶対的な悪い結果と見ている。
始末が悪いとは言い得て妙だと思う。