京都駅で財産コンサルタントの方とミーティング。相続のよもやまばなしを伺う。そのとき、ふと「3かん」が頭に浮かんだ。
- 観
- 感
- 間
1.の観は”価値観””先入観””主観””客観””人生観”…etc
2.の感は”感性””感情””感触””感応”…etc
3.の間は”時間””空間””間柄”…etc
相続にはこの3つの「かん」(=3かん)があると感じた。
3かんは十人十色、同じ「かん」はない———-この前提を認識しているかどうか。存外、そんなことは「あたりまえ」だと思い込み、その「あたりまえ」を疑おうとしない。
さらに「3かんは十人十色」という前提を認識しただけでは事足りぬ。前提から出発して3かんを認識したのち共有して、ようやく「出発点」にたつ。
が、ここも立ち止まってみたい。(共有を)疑う機会をもつのか。「共有」も人それぞれ。自分が思い描くとおりでなければ、共有ではないと主張する人もいるかもしれない。共有とは一体何なのか?
頭の悪いわたしには皆目わからない。正直、頭を抱えてしまい、よくこれでウェブサイトが制作できるなとほとほと呆れはてた。
とと、さておき。世の中は九分が十分であるために「折り合い」をつける—–この視点をそもそも頭の中に置いていない可能性はある。
おもわず感嘆の声を上げる。私の周りにはとてつもない人々がいることに。「3かん」を共有してもらうために東奔西走する。そんな仕事に携わっている人の顔はステキだ 😉