食材を与えるのは誰?

線路

他人のなるあらゆる行為に際して自らつぎのように問うてみる習慣を持て。「この人はなにをこの行為の目的としているか」と。ただし、まず君自身から始め、第一番に自分を取り調べるがいい。

『自省録』 マルクスアウレーリウス P.206

『沈黙の艦隊』のセリフに、人類の進歩は2000年前に止まったか、石器時代から進歩していないか、あれ、進化だったかな、とにかく、思考の進化は停止したままだよなニュアンスの言葉があった。定かでないけど。思い出そうとしているうちに、何だか全巻読みたくなってきた。セットで12,000円越えか…..。

それを読んでいたとき、「そうか、そういう見方もあるのか」と記憶に留めておく程度だった。だから、うろ覚えで苦労しているわけか…..。

古人の言葉を読むと、スナイパーのセリフを咀嚼しているのかな、と思う。古人の言葉へ惹かれる。発見の源泉を探求している。僕が、「あっ」と思いついた表現を古人はすでに書き記している。歴史的継続性の差異や時代の固有はある。それでも色褪せない。僕の表現は創造じゃない。ころがっていた石をひろったにすぎない。

はじめから目の前にあった。まるでバイキングのよう。何かが「入り口」を僕に開かせた。開いたら「バイキング」は目の前にあり、そこに並んだ食べ物をひとつひとつ取り分けていく。発見なんて大げさだ。まぁ、とにかく創造ではない。模倣。

そして、古人の言葉は艶めいている。失われていない鮮度。そんな食べ物に気づくこと。気づいて、バイキングに並んだ食べ物の数を増やすこと。僕にできることはせいぜいそれだけ。もう作って置いてあるんだ。

古人の言葉を読めば、温故知新が訪れる。過去から現在にわたってすぐれた書き手は、古人の思考を洗練させ飛躍する。その飛躍がオリジナル。古人の発想を踏み台にして異なる視座を手に入れる。食材から新しい食べ物を作ってしまう。さらに優れた論理は、「バイキング」自体を作ってしまう。それが創造だ、と僕は思う。じゃぁ、誰が「食材」を提供しているのか? それが今の僕の課題。古人も食材を手に入れたはず。違うのか、あるいは食材そのものを生みだしてきたのか?