ウェブサイトの制作からおりる

先日、ウェブサイトの更新について資料をメールでいただいた。ワードの添付ファイル。次回の会議で使うから事前に目を通しておいてほしいとのこと。何ページかにわたって入力されていたテキストと図を読んで、自分の力量のなさにため息。お客さまとますます乖離する自分。やっぱりそろそろ「おりない」といけないのかなぁと省みる。

そんなふうにアレコレ考えていたところ、以下のエントリーを目にした。いま話題沸騰中のCNETに言及したエントリーにあった一節。すばらしいなぁと心底感じた。

これがSEOの功罪?

以前、住 太陽さんと新宿駅の喫茶店で話たことがあったけど、
面白い、為になる、そんな記事を書いていれば、徐々に人は集まるようになる。
しかも独自の意見がそこに入っているから意味があって、みんながリンクを張ってくれるようになる。
だから、本当のSEO業者は、そこに何を書けばいいのか。
どう記事を書けばいいのか、を本来はコンサルすべきだ。
と、最後になんか意気投合した記憶がある。

動画やフラッシュ、写真を挿入、デザイン…..私の制作技術が未熟だから噴出する意見。その意見を受けて、私は「技術を提供できないから、”そこに何を書けばいいのか?”をコンサルしたい」と言い訳に執着。お客さまがのぞむ方向が技術やデザイン、見やすさにあるならそういう業者に任せるのが私の役割なのかもしれない。

ただ、他のお客さまには、”そこに何を書けばいいのか?”を期待してくれている方々もいる。

ウェブサイトで物語を描く演出をしたい。その物語に共感した閲覧者が、お客さまのもとへやってきてくれればいい。それが私の理想。だから、「顧客(=私のクライアント)の顧客(=そのクライアントのウェブサイトにアクセスするユーザー)」の琴線に触れる物語をどうしたら書けるか。それをずっと考えている。

主人公は現場にいる方々。現場とはサイトの運営者とユーザーがリアルで出逢う場所。そこには声がある。その声は感情をまとっている。声と感情と動きがおりなす現場は事実そのもの。その事実に魅了される。現場での失敗や成功、怒り、笑い、驚き…..その後の現場の変化などなど。現場の事実を「物語」にするとき、サイト運営者は自らの思考を言葉にしなくてはならない。

体感から思考、思考から言葉、このプロセスがもたらす苦悩。そうしてつづった物語に反響があったときの快感。

理想を求めている自分とそれを伝えられない自分とのジレンマ。