老後

私の周りで老後の話に花が咲いた。年金がいくらもらえるとか、厚生年金の掛け金と受給のアンバランスとか、その他私的年金、財形貯蓄などなど。傍らで聞いている私は、卑怯にも相づちを打つが、ピンとこない。「老後」とは何だ?!と首をかしげる。いや、正確には考えたことがない。

「老い」について愚考を巡らせる日はあっても、「老後」を想像できない。備えあれば憂いなしだろうけど、「今」ですら青息吐息。その日暮らしの私には老後がない。”ない”と言ってしまえば嘘だし、身も蓋もないけど、”ある”と断言できる賢者でもない。やけっぱちとか刹那を放置し、今日でいいやという感覚が30に足を踏み入れるころから襲ってきた。

そして、池田晶子さんの没が拍車をかけた。

周りでは、奥さんやお子さんのことを考えた設計を立てておられる。正直、素敵だなとうらまやしく思う。じゃぁ、自分はどうか。パートナーには申し訳ないが、そんなこと自分で考えてくれとしかいえない。ただ、「それじゃぁ、責任は ?」と自問すると、「責任とは何だ?」と屁理屈をこねるために愚考で遊ぶ。

堂々巡りをしていると、老後を想像できない貧困な想像力の持ち主は、共同で生活するのはいかがなものなのだろうとおびえてくる。ひとりとはいったい何だ?