live without iPhone?

iPhone with MacBook Pro

「持ち運べるモバイルPCに近い」が、iPhone体験は「ノートPCでは味わえない」とも。「ネット人間のわたしがPCを使う頻度が10分の1に減った。一方で、ネットを使う時間は10倍になった。決定的に人生観が変わる」という。「今までこれなしによく生きてこれたなと」

via: 「今までiPhoneなしによく生きてきたなと」──孫社長、iPhone 3GSを猛烈プッシュ – ITmedia +D モバイル

「今までこれなしによく生きてこれたな」なんてフレーズ、ユーモアだとしても口にするあたり創業者のなせる業かな。そない大袈裟なとツッコミましたが。

とはいえ、「PCを使う頻度が10分の1に減った」に同意。ウェブを制作する時以外でMacを起動する機会は減ったなぁ、たしかに。ほとんどiPhoneですませている。どうしてもアクセスしたいサイトはMacで。だけど、それもわざわざだから極力避けてきているような。まぁ、使い分けしてますけど。いずれなくなりそうな気配。

PCにはPCのコンテンツ、iPhoneにはiPhoneのコンテンツって、なるほどと考えているし、そのメリットデメリットも理解しているつもり。でも、使う人間がiPhoneの便利さにひっぱられると、もうそのデバイスのコンテンツに自分をアジャストさせてしまう。アジャストさせると、PCのコンテンツを調べようとも思わないし、慣れてきたらどうでもよいわけで。学問や研究や仕事と異なり、厳密に思考して体系立ててネットへアクセスしない。特に娯楽ともなると。フローなライフスタイルにストックな行為をはめ込みにくい。

良い悪いの基準を捨象して、観察すると、今、ブログをRSSで読むことすら効率が悪くなってきたっていう意見もある。Twitterが情報収集の手段として躍進している。青森県もTwitterはじめた。イランの大統領選では、ペンタゴンの要請でTwitterのメンテを遅らせたとの由(Twitter側は否定した?)。Twitterってルックス全く関係ない。つぶやきがコンテンツ、それを収集するためにデカイMacはいらない。iPhoneありがとう。よしんばiPhoneでなくても類似のデバイスで充分.

僕の人生観は変わってないけど、iPhoneを手にした時からスタイルが変化したこと、それにビックリ。デバイスひとつでここまで変わるの?!って。ただ、それはB.C. iPhoneのぼくであって、A.D. iPhoneの人たちには人生観も何もあたりまえだから、LPからCDになった瞬間を説明できないのと同じ。ぼくでいえば、白黒でテレビ視てたん?!と同じ。B.C iPhoneとA.D. iPhoneの中間あたりの携帯を主とする人は、なんでボタンのない電話を使うんだ、って訝るかもしれない。メールめんどくせ。あくまでメールであって、電話そのものの機能はおまけ、と思う、その人たちにとって。

その人たちもiPhoneのMMSのインタフェースを見たら欲しくなるよって妄想。すごいよ、あのチャットみたいな会話風のインタフェース。

「iPhoneがすべてだと言ってるわけじゃない」が、それは「いずれ携帯はiPhoneのようになる。モバイルインターネットのためのスマートフォンになる」からだという。「3年後はほとんどがiPhone化している。道筋ははっきりしている」

via: 「今までiPhoneなしによく生きてきたなと」──孫社長、iPhone 3GSを猛烈プッシュ – ITmedia +D モバイル

電子決済や日本のユニークな文化が多少足を引っ張るけど、スマートフォンってラベルはなくなると思う。iPhone化、言い得て妙。もちろん、携帯電話もちゃんと進化するはず。ただ、iPhoneのような環境、「アプリが増え、OSが進化するなど、iPhoneはむしろ時の経過とともに輝きを増すからだ」が、当面の予測でしょう。一つの場所にじっとしてられなくなった人口が増加したので、それとマッチするデバイスが必要になってきた。それにマッチしたコンテンツが好まれる。それにマッチしたフローな情報が好まれる。居心地のよいネット環境が選択される。

なので、はじめからネットの環境そのものを必要としない人は、全力でどうでもよい瑣末な話を全力で入力して疲れた…..orz