ここで問題になるのが、ちょっとしたことでも何かやろうとすれば、問題に対する視点の数が非常に多いということである。そして、一つの問題に対し、ある視点からとった正しいであろう行動の帰結と、他の視点からとった行動の帰結は異なっているというこである。
“入門! システム思考” P.23
おいしいカレーライスの例がおもしろい。僕はカレーライスを作るとき、タマネギが勝負だと考えている。弱火で40-50分ほどかけて炒める。本書の例は、ニンジンの甘さ。あくまで話の例え。一つの切り口、考える視点が見つかれば、そこから突き詰めていく。比較。もちろん、別の切り口からもアプローチできる。粘性、色など。
目の前にカレーがある。見えているものから一部に焦点をあてる。そこから要素を切り出し比較したり分類する。
ところが。
もしも、「この世に存在しないおいしいカレーを”作る”」となったらどうだろう。分析的思考では歯が立たない局面に立たされる。タマネギだけ、あるいはニンジンだけ、否、タマネギとニンジンを揃えたとして、はたして存在していないおいしいカレーを作ることが可能だろうか。
「存在していないおいしいカレーを作る」という目的を定め、それに対して多角的な視点を設定し、そられの視点を比較して組み合わせる。もちろん、視点に含まれる要素を抽出しなくちゃいけない。大変だ。
さらに、さらに。仮にカレーが完成したとしよう。今度は、味覚という問題が残っている。いわば評価。外部評価は、作るという実行とは乖離している。
議論するときや何かを決定するとき、分析的思考かシステム思考か、両方か、それを意識すれば、今までと違う角度から接近できるかもしれない。たぶん進行役や助言者は、「おいしいカレーを作る」視点を持っているはず。意志決定に参加する人たちは、目の前に見える事象から自分が理解できる範囲を切り取り、その視点から分析していく。いわば、ニンジンの甘さを追求する。いや違うよ、やっぱりタマネギだよ。違う、違う、ルーだ、なんて。人の数だけ分析的な視点が噴出すれば素敵だ。
それらの議論は必要だ、と思う。だけど、それが、いつしか、発表会になる。「私はこう思います」で終わる。「それがどうした?」なんて声をかけられる人は少ない。感情。
司会者や助言者の視点が存在する理由は、「おいしいカレーを作るには?」を意識していること。なのに、中に入ってしまう。挙げ句の果ては、意見か演説か、あるいは繰り言か判別できない論説を吐露する。
自分の思考のパターンを認識していれば、得手不得手が理解できる。僕は、システム思考が苦手。これを読んで再度、確認できた。だからといって、拒否しないし、取り入れられるよう、自分の視点を壊す努力をしている。
自己認識。それが一番難しい、と納得できた一冊。
また、「自己組織化」もシステム思考の重要概念である。自立的に成長・進化していくシステムのことで、この概念をビジネス組織にあてはめたのが「学習する組織」だ。[…]システム思考を用いることで、組織のメンバーはまず「自分のメンタルモデル(思い込みや世界観)」を認識し、「思い込み」と呼ばれる狭い見方を広げ、新しい視点で全体像を見ることができるようになる。
“入門! システム思考” P.178
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