[Review]: 下流志向

下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち

先日もふれたけどくりかえす。多くの者が「方法」を知りたがり訊くけど、「なぜその方法なのか?」と意味を問う者は少ない。その「意味」のとば口に立たせてくれる一冊。「学び」は学術用語ではなく、ビジネスにも通用する行動だと思う。「学び方」を探求しようとする組織は常に進化している印象をうける。

自分にとってその意味が未知のものである言葉を「なんだかよくわからない」ままに受け止め、いずれその言葉の意味が理解できるような成熟の段階に自分が到達することを待望する。そのような生成的プロセスに身を投じることができる者だけが「学ぶ」ことができます。ですから、一度学ぶとは何かを知った人間は、それから後はいくらでも、どんな領域のことでも学ぶことができます。というのは、学ぶことの本質は知識や技術にあるのではなく、学び方のうちにあるからです。『下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち』 P.152

私が支援している歯科医院のミーティングに参加したり、院長先生から話を伺うとき、まず二つの事象に切り分ける。それが、「学び方」を模索しているかどうか。模索しているところは漸進している。

他方、模索していないとき、「そもそも学び方に気づいているのかどうか」に耳を傾けないといけない。そこで「設問する能力」が求められる。この「問題」について内田樹先生は『メノン』を引用する。

「問題」というのは、よく考えると、実はそれ自体が逆説的なものです。というのは、解き方がまるでわからない問題はそもそも「問題」としては意識されないし、解き方がすでにわかっているなら、それは「問題」ではないからです。つまり、僕たちが「問題」と呼んでいるのは解き方がわかりかけているけれど、まだ完全にはわかっていないような問題のことなのです。同P.153

「学び方」を探求している歯科医院は「学び方」を全員で共有する。あるいは共有しようと試行錯誤する。その過程によって以心伝心が強化される。その空間に「学び方」を知らないスタッフが加わったとき、「調和」が崩れる。そこで真価が問われる。

「わからないこと」を「わからないまま」に維持して、自分たちの知性の活性化に利用すべくそのスタッフに接するか、それとも「わからないこと」を気にしないかによって、行く手がわかれる。

専門家は顧客の質問全てに解答できる。それ自体すばらしいことだと思う。高度に専門的な知識を必要とする領域では重宝される。しかし、私はそのような領域に棲息していないので、「聞かれることすべてに答えてくれる専門家」を必要としない。

むしろ私には「完全にはわかっていないような問題を設問する」人が必要だ。私の少ない経験だけで愚考すると、そういう方々は、「何を質問しなければならないのか」を頭の片隅に置いている。そして、その「質問」が「発見」をもたらしてくれ、「共感」を与えてくれる。

手元にある本書は発売日に購入したので今第何版かわからない。でも、内田樹先生の著作の中で平積み期間が長いような気がする。そんな雰囲気から「学び方」に飢えている人も結構いらっしゃるのかなぁと感じたりするけどどうなのでしょう(タイトルも「釣り」的で上手ですが…)?