<<得意>> 人が自分の力と能力について造影することから生じるたのしみは、得意 GROLYINGとよばれる精神の高揚である。それは、もしかれ自身の以前の諸行為についての経験にもとづいているならば、自信 Confidenceとおなじであるが、<<うぬぼれ>> もしそれが、他の人びとの追従にもとづいたり、あるいは、それの諸帰結のよろこびのために、かれ自身によって想定されたにすぎなかったりすれば、うぬぼれ VAINE-GLORY[むなしい得意]とよばれる。その名辞は、適切に与えられている。なぜならば、十分な根拠をもつ自信は、くわだてを生みだすのに対して、力があるという想定はそうではなく、したがって、正当にむなしいとよばれるのだからである。
『リヴァイアサン (1)』 T. ホッブズ P.107
Published on 木曜日, 4月 30, 2009 7:56 pm.
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iPhoneに浮かれる僕を戒める私。最近、自分が固着しているようなのでまとめておこう。
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Published on 火曜日, 4月 28, 2009 5:01 pm.
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半熟玉子を手で割って、トロリとした黄身のところがおいしそうと思いながら、軽くすった胡麻をふわっとふりかけ持っていく。
すると、手が伸びて、スタイリストのTさんがテーブルの上に置く。H氏はすでにレンズをのぞいていて、すぐにシャッターを押し始める。彼の視線の矢印は、きっと黄身のところにささっている。
次の料理の準備をしていてふと気がついた。
『帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。』 高山 なおみ P.195
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Published on 月曜日, 4月 27, 2009 6:18 pm.
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人間には自分の自由と不自由とを自覚し分別し煩悩する自由がある。これは他のいかなる存在ににも見られぬところである。その上、その分別性のゆえに、他の自由を尊重し、他の不自由を共感する。煩悩(この場合ボンノウとよまぬことにする)する。つまり人間には、自分の外に出てまた自分を見ることができるはたらきがある。このはたらきの故に、人間は、自分らの社会集団だけでなく、自分以外の他の生物でも無機物でも何でも一つにした絶大の社会集団を認めることができる。
『新編 東洋的な見方』 鈴木 大拙 P.69
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Published on 月曜日, 4月 27, 2009 5:39 pm.
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鹿に鞍をつけて、皇帝に献上し、「この馬にお乗りになって下さい」と言います。皇帝は、「これは馬ではない。鹿である」と答えました。趙高は、「そう思われるのでしたら、宮中の大臣たちを呼んで、鹿、馬のどちらかであるかを尋ねてみて下さい」と言います。皇帝が大臣や貴族をことごとく呼んで質したところ、全員馬ではないことはわかっているが、趙高の力を恐れて、「馬です」と答えました。皇帝が鹿と馬の区別について真剣に悩むようになったのを見て、趙高は、「これで俺に逆らう者はいない」と考えるようになります(『太平記』巻二六)。
『獄中記』 佐藤 優 P.280
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Published on 月曜日, 4月 27, 2009 12:17 pm.
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先日、2,3年ぶりにお会いした方々から痩せたと指摘された。本人は自覚しているつもりだったけど、どうやらそうでもないみたいだ。というのも、被写体が自分の写真を現像してみて驚いた。構えた姿じゃなく他人としゃべっている姿だったので、これが「日常」だろうと仮定した。すると、自分が抱いている自分の全身像と写真の像に差異があった。微小な差異。
今年の話だと思うけど、ある方から「小さくなった」と言われた。その時は、「えぇ−」としか返せなかった。あとから「人間がですか?」と尋ねたら気が利いていたのにと悔しがったけど。なるほど、「小さい」とは言い得て妙だ。得心。
僕は、自分の姿を「もう少し厚みがある」と認識していた。一度、そう固定すると、鏡を見ているようで見ていないのだ、とわかった。実際は、薄くなっていた。この場合、薄くなっていたというのは、「引き締まった」のニュアンスを含まない。まるでカンナで削り取られたような感じ。
鏡を見ているようで見ていないと書いたけど、それは身体だけでなく、顔もあてはまる。これも先日の話、自分の顔を鏡で見ていて、「ええ、オレ、こんなにシミがあったかいなぁ」と鏡の自分へ話しかけた。びっくりした。シミを承知していたけど、シミの数というか、顔とシミのバランスがおかしいというか、とにかく違和感だらけだった。
これも身体と同じ。自分が想定している顔と鏡に映った顔に差異があった。差異と表現するのはおこがましいか。まぁ、錯覚。見ているようで見ていない。そういった発見、否、馬鹿な気づきが妙に多くなった。
Published on 水曜日, 4月 22, 2009 5:56 pm.
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さまざまな動物の分類を吟味すると、それぞれの大きな群のうちに、多彩ではあるが何となくわけのわからぬ動物種を含む一群がたいていは設けられており、分類学者は一般にこうした群を「屑カゴ」ないし「ゴミ溜」と呼ぶ。「整理学」という書物を参照すると、整理の要諦は、「未整理」という箱を必ず設けることだ、と書いてある。分類が自然に存在する動物群をある一定の見方で整理するものである以上、どのような仕方で自然から群を切り取ったとしても、そこに「ゴミ溜」が残るのは止むを得ず、あるいはむしろ自然なのである。それは、ある特定の見方をとる、ということの当然の帰結、といったほうがよいかもしれない。
『ヒトの見方』 養老 孟司 P.284-285
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Published on 水曜日, 4月 22, 2009 1:16 pm.
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