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距離と密度

琵琶湖 比良山

距離と密度を互いに認識していないと相手を失望させてしまう。たぶん、僕を「気軽に相談できる人」と相手は設定している。数ヶ月に一度、会っているし、5年以上前なら頻度はもう少し高かった。相互の距離は近かった。それよりも大切なこと。お互いの密度が高かった。

相手と僕、それぞれの物語を持っている。距離と密度を認識していたとき、二人は「ある文章」を共有していた。第何章第何節の一文かは知らないけど。

時間と空間が捩れる。定期的に会っているとはいえ、それは「物理的」距離を維持しているだけ。「心理的」距離はずいぶん離れた。対岸。密度は低い。相手も薄々感じているかな。相手の物語に関心は薄れ、共有していた文章も推敲していた。僕は書き直し始めている。消せないとわかっているのに。

モームが言う、「昔は親しくしていたが今ではすっかり興味の冷めてしまった友だちをどうするかの問題」を体験したらしい。相手は成功者、僕は不成功者。やっかいだ。嫉妬と無関心が交錯。

そういう時空に「相談」がやってくる。昔のままで。だけど、昔の僕はいない。相手も昔でない。だから、そう想定して応える。僕の解は、混乱を与える。諦観できない僕の解は、嫉妬と焦燥にまみれていた。虚勢が並ぶ解は、相手を失望させる。

僕が感じた距離と密度、相手が感じた距離と密度、両者は違う。あたりまえ。その差異を互いに認識できれば幸運。

幸運はそう訪れない。

訪れないと知ったとき、かけがえのないものを感じる。今の僕の周りにいる人との距離と密度。

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伝えるプロではない

GIOS PURE FLAT

「プロ」の定義をしないと、プロって使いにくい。たしかNHKの番組では、最後に必ず「プロとは?」という質問をして終わる。答は出演者の数だけある。愚問だ、やれやれ。

昨日、岡山地裁で「違法だから取り消しなさい」って判決が下された。訴えたのは分限免職処分を受けた元中学校教諭の男性。理科を指導していたとのこと。処分の理由は、「指導力不足」と認定されたから。それを不服として訴えた。

尼崎医療生協病院では、遺族から怒りを買っている。「医療過誤」で女性を死亡させた当初、「ミス」と認めて遺族に謝罪した。ところが、今月の8日の会見では「医療過誤とは判断しない」とコメントしたらしい。

どちらも背景を知らない。軽々に書けない。二つの意味をぼんやり考えていた。「伝える」が我が身に突き刺さる。

直截な表現で失礼だろうけど、先生は「指導のプロ」で、医師は「治療のプロ」かなと。だけど、「伝えるプロ」じゃない。伝わっているか否かを反芻していないかも。けれど、「伝わってこない」からといってプロを軽んじない。なのに、「伝えてもらっていない」と憤り、プロを敬う気持ちを失いつつあるとしたら嫌だな。

「伝える」には言葉。語彙を取捨選択して論理の道筋を歩く。時には心情を推し量る。メタファーが必要なら相手のフレームから類推する。例えば、「ミス」と「医療過誤」という言葉。そもそもこの二つは同義なのか。専門家が定義する「ミス」と僕が日常使う「ミス」。果たして同じなのかな。違うかも。

「意味」は恐ろしい。「意味」と出会った時、自分の語彙が急速に失われていく。それを体感して再び恐怖が襲いかかる。話せない。黙っていろ。どうすれば伝えられるのか。否、そもそも伝わらない。その絶望からはじまる。意味に怯え、伝わらない絶望と伝えたい希望の矛盾を抱える。

言葉を紡げば紡ぐほど、誤解の確率が高くなる。だから、余計な修飾を省いて簡潔にしゃべる。すると、感情だ。感情と言葉の反比例。人と人の距離。感情の距離。立場の距離。呪縛。

そうだ。そもそも、「スタート地点」はどこなのか。僕が相手に伝えなければならない「スタート地点」を二人で探らなければならない。それを省いて、伝えようとして、伝わらないと憤る人がいる。それは無茶。「伝える」と「伝わる」の違い。聴くように話す。

それに、「伝える」は言葉だけじゃない。言葉以外の手段もある。藝術。”道”の付く所作。身体。五感。送信と受信の成立。

情報を検索できるようになって、ひょっとすると、僕は情報から解き放たれたかもしれない。はじめてのフェーズを迎えた。だけど、解き放たれた時、今まで気づかずにいた、「意味」と「伝える」に出会った。その出会いは、深い闇をもたらした。闇は、「以心伝心」を新たに定義し直せと僕に囁いている。

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対話はn次の問いとn個の解

BRUNO ROAD MIXTE Flat Bar model

時間と空間に興味を抱くと、無限に誘われる。記憶をたぐりよせると、18歳のころに感じた疑問。偽造記憶かもしれないけど。

「自分を見つめるもうひとりの自分を作った。だけど、そのもうひとりの自分を見つめるのは誰だろう? では、その”誰”を見つめるのは誰? じゃぁ…..」

当時、意味を探る「仕方」を知らなかったし、それを探そうともしなかった。だから、この疑問は記憶といっしょに片付けられた。ようやく少しずつ引き出せそうな感触。

無限の果てに何があるか―現代数学への招待 (知恵の森文庫)無限を学習したいなら、数論や集合を知らないといけないかなと思い、30を越えてから算数の勉強をスタート。亀より遅いペースで進行中。この間、本棚に飾ってあった『無限の果てに何があるか―現代数学への招待』へ手を伸ばした。読み始めてすぐにワクワクした。まったく理解できないのに、ワクワクだけが増幅。不思議。それから代数学の基本定理が突き刺さった。

代数方程式論の基本定理 複素数係数の n次方程式は、ちょうど n個の複素数解を持つ

『無限の果てに何があるか―現代数学への招待』 P.55

もちろん知らない。というか、習ったしれないけれど覚えていない。ちんぷんかんぷん。理解にほど遠い。情けないやら悲しいやら。

ただ、この定理を読んで、対話ってそうかもなんて。定理を理解している人へ嫉妬かも。

「問い」を設定しない人は除外するとして、問いを設定する人は解を求める。解なしもあるはず。n次とn個。僕の相手の”n”に挿入される整数は何だろう?

ある事象に対してn次の問いを設定し、n個の解を探求しようとする人。そんな人と出会うと、心底憧れる。次数をどんどん上げていく。視点、発想、想像力、非常識、枠からはみ出る跳躍力、そして、あらゆる紳士よりも高貴なふるまい。すごく羨ましい。

n次に対してn個。解がなければ定理じゃない。対話に解はないかもしれない。だけど、与えられた有限の時間と空間の中で、解を探す。それへの情熱。

正しい表現かわからないけど、僕の”n”は1,せいぜい2か。死ぬまでに”n”はいくつになるかな。無限への欲望。尽きない。尽きないと感じられる幸せ。

数学って素敵。複雑の過程を辿って導き出された単純な定理を読んで、理解できたとき、美しいって言葉がよぎる。美しい、これも摩訶不思議な概念。

今さら自分の頭脳を呪っても詮無い。少しずつ、少しずつ。

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効果を体感 意欲が向上

GIOS PURE FLAT BRUNO

先週の土曜日、ジムで驚いた。いつもどおりのメニュー、バイク, トレッドミル, 下半身の筋トレ(3種類)をこなしているときだった。筋トレのウェイトがずいぶん軽く感じる。気のせいかと思い、重りの設定を確認。間違っていない。

病は脚から!―下半身を鍛えて病気しらず (文春文庫)心当たりがあるとすればスクワット。2週間ほど前から、腹筋と腕立てに加えて、スクワットを始めた。ジムで下半身の筋肉の低下を指摘され、かつ自覚していたので気になっていた。そんな時、本屋をそぞろ歩きして巡り合った『病は脚から!―下半身を鍛えて病気しらず病は脚から!―下半身を鍛えて病気しらず (文春文庫)を読んで、スクワットや下半身の筋トレの方法が解説されていたので、さっそくやりはじめた。毎日10回3セット。

こうした「廃用性萎縮」などの極端な例でなくても、定期的に筋肉トレーニングを行っていない大人は、30-40代の人で1年に約227グラムの、50代の人は年間約454グラムの筋量の減少が起こるという研究結果を、一九九四年エバンス博士とネルソン博士は発表しています。病は脚から!―下半身を鍛えて病気しらず (文春文庫) P.85

はじめて数日間は、軽い筋肉痛が続いた。太ももが笑っているような感じ。それから何も感じなくなって、毎日、コツコツやっていた。

ひょっとすると、それの効果だとしたら嬉しい。効果が体感できると、意欲は向上する。

最初の腹筋は10回だった。それから1年ちょっと。今の回数なんて想像していなかった。最初は、「意識」してやっていたけど、今は、「習慣」になっている。ただ、「意識」から「習慣」の変わり目を自覚できなかった。それを振り返っている。たぶん、この変わり目、スイッチを言語化しなければならない、と僕は思う。

そして、「効果を確認しなくなった」のはなぜか? 意欲が向上してなくても続けられるのはなぜか?

スクワットで、それらの「変化」がいつ訪れるだろう。とても楽しみだ。

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butt ugly

浜大津市民ホール

新しいレトロ。古い”ように見える”ものをわざわざ作る。無秩序に繁殖させた無機質が街の空間を遮断する。古いものを引き継ぐ労を厭い、壊す。新しく古い”ように見える”が跋扈する。

新しい古い”ように見える”ものは売れる。”新しい”から。

古い建物を真横に切り裂く黒の直線。何も考えない無秩序はずっと後になって取り返しのつかない空間を気づかせる。

新しいものが悪じゃない。考えない、抑えない、全体のない勝手な部分が醜い。

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cherish the illusion that

比叡山

外に目を向けて幻想を抱く。内に隠れる現実を発見しない。外を対象にしている間、内から言葉は絞り出されない。あちこちころがっている気の利いたフレーズを拾っている。内から湧き出る絶望が言葉を紡ぐ。身体が叫ぶ。

外は錯覚だ。内に真実がある。その真実を疑え。疑う恐怖を抱きしめろ。

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根本に目を向けろ 答は単純だ

歯科医院の経営者はぜひ一読を。

「どうぞ、その業者から買ってください」──。品質を維持できる「材料費」、社員の懸命の働きに報いるだけの「給料」、将来のための「設備資金」を賄える価格でなければ、話にならない。商売とは、この最低限の金額に利益を乗せた「適正価格」でするものだ。梅原氏はそう固く信じている。

via: 日本電産が「脱帽」した最強の中小企業がある:日経ビジネスオンライン

以前、適正利益について書いた。仕事量が減っても「適正利益」を守る意味。じゃぁ、「適正利益」を把握するためには? 経理を人任せにせず自分で数字を記入する。ただし、シンプルに。

現在はパソコンで作成しているが、創業から1999年まで30年近く、梅原氏は経理を人任せにせず、毎月、市販の方眼紙で作った手製のシートに自分の手で記入してきた。これらの数字を経営判断の最重要データと考えていたからである。

下に掲載した写真が「業績グラフ」の実物である。毎月の収入と支出が記録され、一目で「どれくらいのコストがかかっているか」が分かる。

この業績グラフは、シンプルそのものである。項目は「売上額」「人件費」「材料費」「設備費」「総支出」の5つだけである。売上額は「金額」を、それ以外の項目は、「金額」に加えて「対売上高比率」(対売上比)を書き込む。

「これだけで何が分かるのか?」と疑問を持たれる方もいるかもしれない。しかし梅原氏は、「この5つの指標さえ見ていれば十分」と言い切る。

via: 日本電産が「脱帽」した最強の中小企業がある:日経ビジネスオンライン

ここに、「根本」があると思う。外部の人は根本が見えない。理由は、「この方式で得られる利益の数値は、正式な損益計算書の数値とは必ずしも一致しない」から。ものすごく大切。「経営管理用の数値」と割り切っている。この視点の源は何か?

物事をシンプルかつ明快に考え、「重要なことは何か」を見極める。これが梅原氏の「簡単な経営」を貫く基本原則である。

via: 日本電産が「脱帽」した最強の中小企業がある:日経ビジネスオンライン

時に、専門家は複雑にする。「すべて」を説明しようとする。「削る」必要がない。「何を話さなくてよいか」を判断しない。すべてを「告知」しようとする。「数値を話すること」自体が目的になっている。

歯科医院なら、

  1. 収入
  2. 材料費
  3. 人件費
  4. 設備費
  5. 総支出

としてもいいし、「重要なことは何か」を吟味して1-5を変換してもいい。それに3つでもいい。あとは、それらの数値の具体的事象を確認したいなら、「どこにそれが記載されているか?」を知っていれば十分。

「簡単な経営」を支える土台は「続ける」だと思う。1年やってやめ、次に新しい手法を試みる。またやめる。連続があるから、過去と向き合い、現在を知り、未来に備えられる。システムは、継続を前提に構築されなければならない。その時、「全員がコミットメントできるシンプル」を絞り出す。それを設計できるまで複雑に考える。

数値は事実。事実は物語。物語を読む。ただし、専門家に朗読させてはいけない。自分たちで読む。専門家からは「読む仕方」のレクチャーを受ければいい。優れた専門家は、「仕方」を説明できる。

システムは単純。シンキングは複雑。根本に目を向ける。答は単純。それまでが複雑。

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