親鸞はここで修行の「目的地」という概念そのものを否定しています。行の目的地というのはいずれにせよ現在の自分の信仰の境位においては、名づけることも類別することもできぬものである。だから、それが「どこか」を知ることはできない… 続きを読む ここはここ
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あの観察を連想する
科学は自然を認識する学問であると、よくいわれる。自然を認識する第一歩といえば、それは観察である。よく自然を見ることから科学は始まる。ところが普通に観察というと、すぐ小学校や中学校などで、動物とか植物とかを観察するという、… 続きを読む あの観察を連想する
百年、二百年の時間単位ではない
地球という天体には、自分自身の環境を維持するためのシステムが機能している。二酸化炭素についてはいえば、それが大気中に増えすぎると、増加分は海に吸収され、最終的に大陸に固定される。地球史というタイムスケールでは、大気、海、… 続きを読む 百年、二百年の時間単位ではない
僅かなもの
生きてゆくのには、ほんの僅かなものがあれば足りる。なけなしの空間と、食物と、娯楽と、器具や道具。これはハンケチの中の人生だ。その代わり、そこには魂はたっぷりとある。そのことは、通りの賑わいにも日差しの強さにも、取るに足ら… 続きを読む 僅かなもの
K10D うらメニュー 1.30
以前からK10Dに「うらメニュー」があって、AFのピントを調整できるとネットで公開されてました。ただ、ファームウェアが1.10やそれ以前でないと「うらメニュー」へログインできないらしくて、私のK10Dはすでに1.30にu… 続きを読む K10D うらメニュー 1.30
無知が予知 法則を推測
どうやら、ある発言が真実だと認識するということは、言葉として口にできる以上のことを認識することらしい。しかもその認識による発見が問題を解決したなら、その発見それ自身もまた範囲の定かならぬ予知を伴っていたことになるのだろう… 続きを読む 無知が予知 法則を推測
にこやかにしなやかに
私のしなければならないことは、私の心にかかることだけであって、人の思わくではない。[…..]この世では、世間の考えに従って生活することは容易であり、また孤独のとき自分自身の考えに従って生活することも容易である… 続きを読む にこやかにしなやかに