2011.05.04 晴れ
昨年のGWは心地よいあたたかさというより暑かった。半袖で歩いていた記憶。今年のGWはそこまでではない。朝と夜は薄着だと肌寒い。そう感じるようになったのは加齢によって代謝の機能が低下しているからなんて思ったり。ラベンダーが越冬した。自然のプログラミングに驚く。適切な環境ではないし窮屈そうだなって感じていたので越冬してくれてうれしい。
05:30ごろに起きて一仕事。WP制作。朝食のパンをかじりながらコードを読む。
10:00前にきりあげてCOMIN’KOBE’11へ。大阪駅で下車して三宮までの昼得切符購入。その足でインデアンカレーを食べに行く。すでに列。ここのカレーはうまいって言ってはいけないと思う。美味いはデフォルト。それ以上をどんなふうに言い表すか。はじめて食べたときの感想はみなさん同じ。はじめは甘い。ところが食べすすめると辛い。甘みから辛みへの階調があってそれに驚く。それに慣れたらもうやめられない。ジャンキー仕様。
COMIN’KOBE’11では、I-RabBits, イナズマ戦隊, ガガガSP, THE COLLECTORS, FACT, 怒髪天を観た。10代、20代の人たちが圧倒的に多い。39歳はすでに年配の部類にカウントされそうな景色でちょっと場違いかもなあって感じ。THE COLLECTORSと怒髪天のライブで同世代っぽい方をみかけるとホッとしたり。
10代、20代の人たちのルールを遵守するマナーモードには強く感動した。とてもステキだなって。ちょうど僕の目の前に男子3名がいて、そのうちの1人が先に並んでいる友人へ連絡してショートカットしようとしたとき、連れの1人がやめておけって注意していた。それはCOMIN’KOBE’のマナー違反だと。それに、ひとりがやるとみんなやりはじめるって。現に何人かの人たちはショートカットしていた。
観たいアーティストのステージへ間に合うかどうか不安を抱えながらきちんと並んでいる。横から入ろうとしたり逆ギレする人は少ない。ある意味、コワイなぁとも思ったけど、僕はとても気分よく参加できて嬉しかった。
正法眼蔵随聞記一 三 学道の人、衣食を貪ることなかれ“正法眼蔵随聞記 (ちくま学芸文庫)” (筑摩書房) P.14
ややもすると食べるために生きていると思い違いしてしまっている。八百年ほどまえに生きた人が、“身躰血肉だにもよくもてば、心も随って好くなる”って医の書にも書いてあるよって諭していて、ということはそれより前からそうなふうに言い伝えられている。なにもいまにはじまったことではない。
そうわかっていても食べたいものを食べ、それが身体によろしくないものであっても食べて満喫する。そんな生活をしながら健康について語る自分がいる。何をしてるんだワタシと自嘲気味。身体について書かれた文章にふれる。そのとき、よいかわるいかを瞬時に判定している。身体にとって「よい」か「わるい」かしか基準を持っていない。自分の貧しい精神に気づく。
老いれば過去を語り若きは未来を語る。父親の兄弟が3人集まれば未来を語るより過去を語っている。両親と話せば過去を語りたがる。それが楽しそうだ。10代や20代の若者とカフェや酒場で話せば未来を語る。それが楽しそうだ。その間にいる僕は過去を語る時もあれば未来を想い描くときもあったり。いまとここから逃げるために。過去を語るにはいくばくかの衒いがありすなおに受け入れがたい自分がいる。反面、未来を語ろうとすれば、時をはかりかぞえて儚む自分がいる。揺れうごく。
そのゆれうごきがおもしろい。不安定とうまくつきあってゆく。