2011.03.04 雪のち曇
朝、カーテンを開けたら雪。薄暗いなかで見る雪。うっすら積もっていた。寒い。お弁当を詰める。「スキマ」という冷凍食品のキャッチコピーへ目を奪われる。デザイナやライタはありとあらゆるコピーへ目を向ける。僕のような消費者は自分の置かれている状況によってコピーへの関心は変わる。「スキマ」を目にしてから冷凍食品をレジへ持って行くまでの自分の動きと気持ちを観察して「広告」を体感した。お弁当のスキマをうめてくれるおかずはありがたい。
午前中、F社のサンプルサイトを制作したのでメールで連絡。午後は私用で市役所へ。
16:00すぎに大阪へ出発。大阪駅で途中下車して書店へ。『デザインの生態学―新しいデザインの教科書』 後藤 武, 佐々木 正人, 深澤 直人 を購入。デザインへの生態学的アプローチ。アフォーダンスの佐々木正人先生とデザインの深澤直人先生のジョイント。読みたかった本。目次を眺めるだけでワクワクしてきた。深澤先生のあとがき「中庸であること」を先に読む。
19:00からM先生のミーティング。ずっと観察している。以前から気がかりな現象が一つ。それを検証している最中だ。主観から生まれた懸念を俎上に載せられる客観的な文脈へ転化できるか否かを吟味している。20:20頃に終了。
帰宅しながら「美味しい」を掘り下げていた。味覚の美味しいと記憶の美味しい。義父が肺癌を煩って死へ向かっている時、一時帰宅した義父へ妻と義母がリンゴをすりおろした。義父は「美味しい」と言ってとても喜んで食べたらしい。
病院食や外から持ち込まれた食べ物を食べても「そんな顔」をしなかったので妻は今でも覚えている。栄養を計算した食事や家族が食べさせてあげたいと思って持ち込んだ食べ物より、なにげなくすりおろしたリンゴが美味しい。
どんなふうに美味しかったのか。僕はわからない。わかりようがない。これからもわからない。義父に限らず他者の美味しいを知覚しようがない。
味覚的に美味しかったのか、少年のころに風邪を引いて母親がすりおろして食べさせてくれたシーンを想起して美味しかったのか。
味覚だけではないような。記憶が刺激する美味しい。好きな人といっしょに食べるならなんでもオイシイというのもあながち嘘ではなく発展的な方便かもしれない。
そういうものだなと思う。なにげないコトが最後まで寄り添っている。記憶の抽斗を開けると一番上に置いてある。
旅行の思い出を確認しながら家人と笑える。だけど、質感があって奥行きがある記憶はイベントじゃなくて、「おならした」とか「鼻毛がのぞいている」とか「鼻くそが顔をだしている」とか「寝込んでウンコをちょっぴりもらした」とか「耳毛が生えている」とか……生臭い身体がともなったコト、この人といっしょに暮らしていたから知ったコトなんだ。