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我身

2011.08.10 はれ

(´-`).。oO (あついです…..)

砂糖と醤油と黒酢で甘酢をつくる。ちかごろ重宝しているソース。豚肉に片栗粉をつけて野菜といっしょに炒めて甘酢をからめる。酢豚もどき。

(´-`).。oO (酢のぐあいがちょうどよいとうまいなぁ…..)

サイレントマジョリティーを慮れなくなっていそうだ。メールやSNSを使って意見を述べる。メールやSNSを使えば意見を手軽に届けられる。刺激に対する反応の時間が短くなる。意見をもらう人たちは反応を読む。そのとき、手元に届いた意見の位置を測定しているのかな? 疑問がよぎる。 物事を極端に考える人や科学から距離を置く人はいる。そういう人は確固たる信念を持っていそうで、手軽な手段をつかって自分の意見を述べる。

街頭インタビューでこたえる人の意見がまっとうであるかのように思ってしまう。仮説と合致する内容だけを拾い上げて編集される実験みたいに。

(´-`).。oO (沈黙はこわいよ…..)

沈黙には二つある。あえて黙っている沈黙となにも言うことのない沈黙。自分の家族を毎日観察していればそう感じる。どちらも沈黙にかわりない。かわりないけど沈黙を贈答されるぼくはなんとなくふたつにわける。推し量れそうな沈黙と見当もつかない沈黙。正の沈黙と負の沈黙。肯定的な沈黙と否定的な沈黙。好意の沈黙と憎悪の沈黙。愛情の沈黙と無関心の沈黙。

毎日いっしょにいるからといって阿吽の呼吸にならない。何も言わなくても伝わるわけでもない。毎日いっしょにいるほど理解のかたちは円柱から円錐へかわっていく。理解の底面は日増しにひろがりますますわからなくなる。

家族が変わらないからいらだつ。家族が自分の言動を理解しないから八つ当たりする。根底には、ぼくは学んでいるから変わっている、が流れている。自分への評価は高くなり家族への評価は低くなる。一度、その意識が芽生えたら根は土の中で蟻の巣よりも複雑な地形をつくってのびている。意識を「根こそぎ」とりのぞくのはとても難しい。

(´-`).。oO (家族と仕事は別だというけれど同じひとりの人間だと思うよ…..)

正法眼蔵随聞記 三 十二 人多く遁世せざる事は

正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.202

「人多く遁世セざる事は、我身を貧ルニ似て我身を思ハざるなり。是レ即チ遠慮無キなり」とある。「怒っても自分の気分が落ち込んでイライラするだけやね」と家人は云う。そう言いながらお互い怒る。おもしろい。怒って問題を解決しない。終日、嫌な思いをするだけだ。自分の身をほんとうに考えていないのだ。

高校時代、ラグビーをしていた。「One for All , All for One」を口にすると先生は一蹴してくれた。「そんなことを言う暇があるならまずはおまえが自立しろ」と叱ってくれた。それ以来、ぼくはこの言葉には眉に唾をぬっている。自分がそうだったからという極めて主観的な経験から身につけた癖みたいなものだ。

自身を内観していないし、自身のふるまいを制御できないのに「標語」を口にする。自分の身をむさぼっているようで実は自分の身を思っていない。

己を律することができない人があつまってもチームプレーは機能しない。個々の能力は微力だが集団になれば….という。その前提は、「一人一人の力はわずかであっても自立していること」だと思う。じゃぁ、自立って? なにげなく使っている言葉ほどその言葉の概念の内容を明確に限定しにくい。

エゴイズムについて何度も書いた。また同工異曲だなぁ。つまらない。ほんと、つまらない。どうすればとんがれるだろう?