2010.12.14 曇
昨夜から降った雨は明け方まで続いた。早朝にやんだ。それからは曇。それほど寒くない。水曜日はまた寒くなるって。寒さの波は躰に堪える。身の回りに子供がいなく子供がいる大人ともお付き合いがなければ一年は平坦な道を歩くみたいに過ぎていく。パターンが一定というか。イベントが向こうからやってくるのじゃなく、イベントをこちらで作っていかないと淡々と時は過ぎていく。今なら師走の感覚はない。どこからともなく年末や年始が聞こえてきてもふだんとあまり変わらない。
O先生のサイト制作。昨夜の電話の修正や指示を受けてさっそく手を入れる。O先生が開業された時に制作した現状のサイトは、リアルな実体と合致しなくなった。古い内容は散見されるし、今はそんなコンセプトじゃない文脈もある。それが当然だと思う。どんどん書き換える。ただ、ひとつとてもやっかいな判断の助言を求められた。実体ではそれほど影響がない変更でも、インターネット上で変更すると多大な影響を与える“それ”がある。“それ”についてどう思うか、であった。やっかいだなあ。ほんとうにやっかいだ。
夜、豚肉の肩ロースの脂をとりのぞきフライパンで焼く。砂糖と醤油と日本酒、そして出汁と水を加える。頃合見計らって立方体に切った厚揚げを入れる。フライパンの傍らには大根おろしがいまかいまかと待機。ほどよい辛みの香りが鼻腔を刺激。
フライパンの様子をうかがいながら後ろのテーブルでボウルに入ったほうれん草ともやしに醤油、塩、ほんの少しの砂糖、それからごま油を加えてまぜる。
豚肉と厚揚げがほどよい感じになったところで大根おろしを入れてちょとだけ煮る。みぞれの風味がとばないように。あっ、ごはんが炊けた。フライパンを右側によけて、かわりにミルクパンをコンロの上に置く。お味噌汁を温める。
お茶碗にご飯を少量よそって、豚肉と厚揚げのみぞれ煮を鉢に。ほうれん草ともやしの和え物は小鉢に。そうしている間に味噌汁がよい案配になったのでお椀へ。じゃぁ、いただきます。
「待っているとは、待たせていると感じていてくれているか、それとも待たせているとは思いもしていないか、をただただ想像すること」ってつぶやいた。その想像が現実を侵襲して現実と虚構の区別がなくなる。意識では区別しているけど想像上で繰り広げられる映像や言葉に感情を揺さぶられ、自分を損なうんだろうな。
フォローって大切だと思うよ。あなたが相手に放擲した事柄を放置しておけば受け止めた相手は考え続けてるかもしれない。放擲した事柄の様態を伝える。内容はどうでもよい。伝達じゃない。伝える。伝えるという行為それ自体があなたが自ら幽閉した己を自ら救い出すことになると思うんだ。幽閉された己を誰かは導き出せない。
でも、誰かは幽閉から導き出したくて現実と仮想の狭間を彷徨っている。幽閉された己と誰かは圧倒的な孤独の影をそれぞれの背後に映し出している。頼りなく心細い影。なのに他者から影を踏まれる恐怖に戦く。伝えるという行為それ自体が己と誰かの影を交わらせ圧倒的な孤独から豊穣な優しさが生まれることを知らしめ、現実というのは常にひとつきりであると教えてくれる。