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争奪

2011.02.02 晴れ

朝の寒さがずいぶんやわらぐ。部屋へ差し込む朝の光が変わってきた。やわらかい。春に近づいている。異常気象や温暖化やらおだやかでない単語を目にしても先人の暦はそれらを意に介さないようでおもしろい。もうすぐ立春。ちゃんと暖かくなるんだな。ということは寒の戻りもあるかしら。

体重が減ってきた。55. 5kgぐらいと予想して体重計にのったら54.2kgだった。はて、心当たりがない。のんびりふりかえる。原因ではなく環境へフォーカス。じたばたしてもしょうがない。

午前中、F先生の資料を読み込み業界の統計数値と比較。数字に執着して分析が目的になってしまうと現場の「コト」を見失う。それを戒めて数字を冷静に検討しなければならない。現在の数字と未来の現場は一致しない。未来の現場とは実現したい活動である。その中にコンセプトとイマジネーションがある。現場の人々は前傾姿勢で未来へ疾走する。数字はそれらの人々の活動を後ろから追いかける。僕はそのズレを表現したい。

15:00前に出発。16:00からF先生と打ち合わせ。19:00に終了。不安に包まれる自分。大阪駅で途中下車してMARUZEN&ジュンク堂 梅田店へ。あっというまに2時間が過ぎて閉店時間直前。まだ居たかった。

近くのスーパーは、火曜日と土曜日にサイズいろいろ玉子を1パック98円でタイムセールする。昨年の11月頃から様相が変わってきた。5分前には30,40人ぐらいが待ち始める。争奪戦である。僕は5分ほど遅れて参戦する。年配の人ほど始末に負えない(統計的な有意はない、皮膚感覚的)。悪態をつく、お一人様1パックの但し書きを守らない、買えなければ店員に文句を言う、さまざまである。

ところが事情が変わってきた。無秩序の争奪戦は秩序をちょっぴり回復しつつある。配る人が登場したからである。配る人は同じ人ではない。その日によって違う。その場にいる誰かが玉子の前に立ち、「何パックいります?」って声をかけて渡す。お年寄りや子供連れの方へ優先的に渡す。配る人はスタッフではない。これが驚きである。自然発生的に誰ともなく場に立つ。

以下、まったく主観的で他意はない、良い悪いの話でもない。この争奪戦に参戦している人々の中で、1円でも安く玉子や食材を買いたいという人の比率は高いと観察している。なぜかといえば申せない。書くと下品だ。まぁ、中でも僕は“そこ”にいると申し上げられる(へんな自信を持っている)。どのあたりいるかまではよろしかろうと。

それらの人は玉子と必要最低限の物(たいていはご奉仕品)だけをカゴに入れてレジに並ぶ。だからレジが混雑する時間帯は一定する。「レジがただいま非常に混んでおります」のアナウンスがそろそろ流れるなと予想したら流れる。その誤差は5-10分ぐらい。

で、それらの比率が高そうな集団心理は「争奪」であり「他の人のことは知ったことではない」である。我先だ。ルールはない。それらの比率とふるまいの粗さに統計的な有意の相関関係があるかどうかを知りたいところなんだけど、それはどうでもよいか。

サイズいろいろ玉子98円は昨年の秋までこれほどもてはやされていなかった。いつの間にか殺到するようになった。11月後半から人が集まりエスカレートして「争奪」はひどくなった。

そこへ登場した配る人。とてもおもしろい。助け合いなんだなと思う。そういう人が現れると「暗黙のルール」が形成されるみたいだ。我先の人が減る(もちろん我先はいる、一人で4パック抱えていたり)。自分に回ってくるまで待つようになる。

誰かが場に立つと次の人も立ちやすい。まったく見知らぬ他人同士が声をかけあって場をうまく回す。こういう場で「暗黙のルール」を形成できるような人、つまり「配る側」に回る人、誰とも知らないそんな人が生き残るんじゃないかと感じた。

たぶんね、「助け合い」って言う人よりも「助け合う」人はもうすでに動いているんだよね。思考は言葉を必要とするけれど行動は標語を必要としない。なんとなくだけど。