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一元

2011.02.05 晴れ

06:30すぎに起床。日の出がはやくなった。金曜日の夕方、先週より遅くなった日の入りを実感。時間を安定させたら知る。同じ時間に同じ場所へ立ったら感じる。ただし毎日“いる”と見えなくなる。

午前中、読書。サイクルがある。年に2,3回、まったく読まなくなる。14日ほど続く。反して年に数回、ひたすら読みたくなる。いまはひたすらのサイクル。これが終わると平坦なリズムへ。ということは2週×3として46週で読みたい本を読む。

午後、スーパーで土曜日のタイムセールへ参戦してから16:00に京都へ。家人が少し早い誕生日プレゼントを買ってくれるのでSOUSOUへ。僕はモスリンのえりまきを買ってもらって家人は穏を買った。誕生日プレゼントより高い鞄を購入している家人を見て微笑む。おかしな人である。

風呂に入って自分の身体を見る。腹が凹み回りは皺。シワシワ。自分の腹はこんな腹だったかなと思う。昨年、鏡に映る自分の顔を見てびっくりした。こんなシミがあったんか。自分の部位を見ていない。見ているようで視ていない。

お尻が小さくなったらしい。そう云われる。後ろは見えない。自分ではわからない。指摘されて自分の尻に毛が生えていたことを思い出す。ひさしぶりに。刹那、かつて何かの拍子に見た自分の尻の毛を想起する。

想起するまで尻の毛はない、ある、どっちだろ。外からの入力が刺激して見えない背中を想起する。ただこれは二元だなと思う。内と外を分けている。前と後。見えると見えない。それを超えたいのに超えられない。一元のはず。はずと書く。“自分”で一元をまだ記述できないから。ここに僕の壁がある。

表象する私の尻の毛と表象される私の尻の毛の二つがある。前者は過去の一点から抽出されて私の頭の中で描かれている。頭の中で描かれている間、“ある”。ただそれを描いている私は現在である。後者は実際に“ある”。知覚していないだけ。

二元を超えたいのに超えられない。時間と空間と無限が待ち構えている。そもそも言語で記述できるんだろうか、どうでもよくなる。どうでもよい。

19歳、ある日突然気づいていまだはまり込んでいる謎謎。尻の毛を想起する私と鏡で尻の毛を確認する私。そしてそれを嘲り笑う私がいて、その私をさらに嘲る私がいて、そのまた私を嘲り笑う私、さらに…..と続く。

主観的な私に対して客観的であれと云う。そうか? 留保したほうがよさそうだ。そう思うようになった。「客観的」を連発する人がいたら「その客観は主観であろう」と今の僕は感じる。昔は“ある”んだと思ったが、今の僕はとりあえず“ない”へ傾きかけている。私を反省する私がいて、さらにその私を反省する私がいて、またさらにさらに私を私を私を反省する私がいて、と、さて、どこまで私が続くのよ。

だから無限だなと思う。20代、そんなわけないだろとむかっ腹を立てる。可能無限と実無限を読みあさった。さっぱりわからない。今もわからない。まったくわからない。残留物は数学への畏敬。科学への羨望。頭がよい人への嫉妬。

二元を提示した先人は凄まじい。超えられないとあきらめかけてまた立ち直って、超えられるかまったくわからない。でも超える努力はしたいわね。暇を見つけて努力するぐらいはしておきたいよ。