昨日は、以前お世話になっていた会社にてサイト更新の打ち合わせ。出席者は、自分をふくめて9人。出席していたかつての上司は、社外の人間に参加してもらっているのに意見がないのは失礼だろうと、少し顔をしかめておられるご様子。その心づかいが身にしみる。感謝。
それはさておき、昨日の打ち合わせのなかで、収穫がひとつ。ある先輩(以下、Eさん)が、サイト更新に“かかわっていただける”ようになった。Eさんは、医療部門に所属されていて、今後、医療関係のページを充実させていきたいと発言(ちょっと意訳気味かな、スミマセン)。
その発言がわたしの収穫。Eさんを全力で支援する。理由は、出発点に立ってもらえたから。出発点とは、「ウェブサイトの更新について具体的なテーマを持つ」ということ。
では、なぜ出発点に立たないと支援できないのか?以下、暴論。
ウェブサイトの更新について具体的なテーマを持った方とわたしのなかで、「言葉」を共有できるようになる。パートナーシップのなかで「共通言語」が形成されていく。
出発点に立てば、あとは、「やるかやらないか」。やれば、成果の有無がわかる。芳しくなければ、問題点の抽出と改善のために全力で支援する。一方、やらなければ、やれなかった理由を真剣に傾聴する。
ウェブサイトに限定すれば、「具体的なテーマを持つ」苦労を理解している(つもり)。ゆえに、テーマを持ってもらったということは、脳漿を絞ってもらったのだろうと推し量る。だから、EさんとEさんの顧客(=顧客の顧客)に喜んでもらうために五感を総動員する。Eさんを理解しようと、これからひとつひとつの言葉を確認し、二人の間で「共通言語」をつくっていく。そして、小石を積んでいくように合意をかさねていく。わたしが問いかけ、Eさんに答えてもらうこともあれば、逆もある。その工程が、“かかわり”だと思う。
反対に、「やるかやらないか」までいかない、いわば出発点に立っていなければ齟齬をきたす。かみ合わないところを埋める言葉を、わたしが知らないから。無言であれば、なおのことわからない。言葉があっても、「しゃべるための話す」であれば、「やるかやらないか」がピンとこない。
弁解しておくと、出発点に立つ立たないは、いい・わるいではない。上のことは、シンクセルのウェブサイト更新に対する構え。社内間であれば、さきの上司の方のように、はがゆく感じるところもあるだろうし、人材育成を考えればもっともだと思う。社外の人間であるから割り切れるのかもしれない。
出発点に立っていない人とわたしの間に溝がある。それを埋めるための努力・襟度・技量をそなえていない。それが、わたしの問題。打ち合わせの醍醐味は、そういった欠点が浮き彫りにされるところかな。ただ、努力・襟度・技量をまとうようになれるのは、はるか先。あっ、できないかも、ハァ:’-)
Eさん、がんばりましょう。これから約1ヶ月半、想像を絶する業務が待ちかまえているのは承知しています。なので、それが終わってからでも大丈夫ですよ。頭の片隅にほりこんどいてくださいね。
がんばりましょう:-)