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「私」雑感

先日から書くよって予告してたエントリー(笑)。香山リカ先生著、「生きづらい私たち」(以下、「生きづらい」)と「じぶんを愛するということ」(以下、「自己愛」)を読んで雑感。まぁ、万感こもごも至るって状態なので、ただただ綴ってみよ。

著書に登場する人たちの現象は、程度の差はあれ、経験のある人もいると思う。前述したとおり、僕もそのうちのひとり。僕の場合、「生きづらい」風に言うなら、「周りから見られている“自分”と僕が思う“自分”とに認識の違いある」って悩みと、「自分を理解してくれる他人がいないか、いても去ってしまうんじゃないか」っていつも怯えた。

前回、登場人物たちと僕との違い(「差」という言葉はあまりに傲慢すぎたと反省)は、何かと愚考したら、3つに落ち着いたかな。

物の順序は、「ご両親はお元気ですか?」のエントリーでふれたとおり。だから、僕にとって、自殺目的でない自傷行為はありえないし、よぎらない。例え、「そこまで思いつめたことがないからだ」と言われたとしてもね。

自己内観の限度を味わうとは、何だろ?先に結論から言うなら、「自分ってナニ?って問いに対して、アプリオリな答えなんてない。頭の片隅において事あるごとにひっぱりだしてきて問いつづけるわけだし、日常の過ごし方そのもの」だと思う。昔は思えなかったけど、今は思う、生きてるだけでもうけもの。

自己内観のきっかけ(後でノーガキるけど)は、「自己愛」にあるように、「自分ってナニ?」だと思う。ただね、限度を知ることも肝要かと。ここでの限度は、自己内観の質と量かな。例えば、どうせ死んでしまう・・・・・・私は哲学病の中島義道氏の書籍をあさってみてもいい。お会いしたことがないし、どこまでが「真」かなんてわからないけど、正直言って、ここまで読後感の奇妙な、ひょっとすると悪い本は見たことない。個人的ね。

といっても、中島先生を一切否定も批判もしない。「自分とは何か?」をトコトン考えるってそこまでするの?って感じ。中島先生の日常生活が本当なら、職業的哲学や哲学そのものに悪寒。まぁ、プロフェッショナルの方々では賛否も当然ながらあるだろうけど。それでも、中島先生をよりどころにしている方も随分いてるみたいだし。

「なんで、あの時、あの人にもう少し違った言い方ができなかったんやろう」ってふり返ってゲキ凹すれば、「今日は、すごく素直な自分でいられた」って得心する時もある。自分と他者の関わり方を客観的にみつめ、言動に一喜一憂して、次への改善につなげようとする。

ただ、内観に質を求めるあまり、いくつもの答えを浮かべては消しての堂々巡りになると、いつまでたっても動けない。また、量を求めるあまり、凹むと病になるし、凸すぎると傲慢になる。

「生きづらい」や「自己愛」に登場する人は、この質と量の均衡がとれない、もしくは深遠な真理を悟るなんて勢いなんかじゃないのかなぁって思う。なんとなくだけど。

「自己愛」のなかで香山先生が述べているあるくだり。

「私は私」というのは、言葉で言ってしまうとあまりに単純ですが、そのような気持ちを手に入れるのはそう簡単ではありません。しかも「私は私なんだから!」と力を入れて意識したとたん、もう私でなくなってしまう、という厄介な性質を持っています。(同書 P.197)

そうなんよね。簡単じゃない、厄介な性質にのんびり対峙してきたなぁって今まで(笑)

そして、最後の糧を求めつつ不足を楽しむこと。登場した人たちも、多かれ少なかれ「糧」をもっているだろうけど、漠然と不満なのかな。泥沼にハマっているような。「糧がないときに、自分ってナニってやってしまう怖さ」を感じる。服を着ずに、外へ飛び出して、あたふたしているような…。

うーん、上手く伝えられないけど、卑近な例でいえば、今の僕の「糧」は、パブリックはお客さん。プライベートは、当然パートナーだけど、SOもいる。そして、インナーは興味という水を汲んだ泉。

お客さんが僕を必要としなくなれば、商売をたたむときだし、パートナーが僕を必要としなくなれば、別れのとき。SOもしかり。そして、泉が涸れたとき…..、想像もしたくないけど…..orz。

ただ、自分を必要としているかどうかなんて、他人が判断するからね。だから、試行錯誤しながらも修養を積んで、いつでも必要とされる準備をしておきたいかなぁ。それでもバイバイなら、それまで。それもまた一期一会だし。

ナルっぽいのはさけたいし、捨て鉢になるのじゃない。それに尊大じゃなく自然にね。もともと、それだけ「ゆらいでる毎日」ってちょっぴり思ってきた。不安定な日常。でも、自分自身がすごくグラグラしていて足りないって楽しめるようになってくると、静謐さのありがたみも肌で感じられるし(笑)。アレもコレもって望む気持ちって貪欲さがあっていいけど、知足もね。

ただ、ここでいう「糧」って成功したいって意味ではないと思う。「生きづらい」にもあるように、成功している人、成人しているフツウの大人が、「こんな私はイヤ」って言うのだから。

全部を満たしてくれる「糧」もあるかもしれないけど、足りなくてもいいから「糧」をもつ。それから、「自分ってナニ?」ってやったほうが、抽象的でなくナマな自分を探求できるんじゃないかと。あとは、どうやったら「糧」をもてるの、だね。

毎度、グダグダと書いてきたけど、そんな感じ。あっ、自己内観しはじめるきっかけを書こうとしたけど、ただでさえ「自分語り」でドン引きなのに、これ以上はどうよって、一人ツッコミ。なもんで、万一ご興味がある方は、いつでもポストしていただければ多幸です、ニッコリ。

毎度、拙劣なエントリーを読んでもらって、ホント感謝です。