[Review]: 七回死んだ男

七回死んだ男 (講談社文庫)

科白の内容は妹に向けられていたが、舞姉さんの涙に濡れた双眸は最初から明白に冨士高兄さんに据えられていた。それでいて舞姉さんはこの場の誰にも実は語りかけていないのだった。完全な独り言だった。自分の世界に閉じ籠もり外の世界を認識する情性が完全に欠如してしまっているかのような危うさが漂っている。それが誰の眼にも明らかなだけに不気味というか鬼気迫る情念が伝わってくるのであった。

『七回死んだ男』 P.146

時間を考えると、その途中で「偶然」と「必然」に遭遇するわけでして。これはこれで度合いの大きいお題目。形而上へ接近するのか、確率論から侵入するか、あるいは、進化論あたりからまさぐってみるか、といった具合に、手探りが続く。とっかかりが見えてこないので頭を抱える。

「ありえないことが起こった」から、「起こらない」ようにと元へ戻そうと懸命に努力するけど、必然かのように起こる。起こる。起こる。どうあがいても起こる。時間が物語を嘲る。その嘲りに僕は抱腹す。

ある時点に発生した事象が、もし起こらないと仮定すれば、その時点から先は無限が待っている。この間、僕はミニストップで焼きそばまんを買ったけれど、もし焼きそばまんでなかったとしたら、なんて空想すると、あんまんか肉まんか、いやポテトか….と、違うよ、そもそもミニストップじゃないんだよなどなど無限が来襲する。

ということは、時間は、1本の流れにあらず、時の概念が発生した瞬間から、無限の広がりを持った空間のなかで生活している、ととんでもない妄想を楽しめる。眉村 卓時空の旅人がそんな妄想へ堕としてくれた。中学生の時に読んで、とんでもない世界が存在するとわくわくしてぼろぼろになるまで何度も読んだ。なめ回すように。お皿に残っているチョコレートソースをペロペロするように。

ある時点で発生した事象Xを回避しようとするならば、無限の選択肢のなかからまったく関連性のないと想定される事象YやZを選択すればよい。はずなのに、時空の旅人も七回死ぬはめになる男も、X’やX”を選択する。いや、選択させられる。それが時間と空間を想像する側の発想かもしれない。まったく関連性のないYを選ぶと、「物語」が存在しなくなるから。

「七回」と「死ぬ」が妙。本屋で回数に目を奪われ、「どうして”殺された”」じゃないのだと小首をかしげて手にとった。どこもめくらずレジへ直行。そのまま幻覚へ直行。

そして、まったく関係ないような、舞姉さんのふるまい、作者の自白みたいな箇所にひかれた。それが、この発言とつながっていた、僕の中で。

トヨタ自動車の奥田碩取締役相談役は12日、首相官邸で開かれた「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」で、テレビの厚労省に関する批判報道について、「あれだけ厚労省がたたかれるのは、ちょっと異常な話。正直言って、私はマスコミに対して報復でもしてやろうかと(思う)。スポンサー引くとか」と発言した。

[…]

奥田氏の発言は、厚労行政の問題点について議論された中で出た。「私も個人的なことでいうと、腹立っているんですよ」と切り出し、「新聞もそうだけど、特にテレビがですね、朝から晩まで、名前言うとまずいから言わないけど、2、3人のやつが出てきて、年金の話とか厚労省に関する問題についてわんわんやっている」と指摘し、「報復でもしてやろうか」と発言。

via: asahi.com(朝日新聞社):トヨタ奥田氏「厚労省たたきは異常。マスコミに報復も」 – 社会

自分の世界に閉じ籠もり外の世界を認識する情性が完全に欠如してしまっている表現者は、己が外で怪物を造っているかもしれない、という恐怖を抱きしめながら表現しない。それが僕はもっともおそろしい。