[Review]: バカ丁寧化する日本語

バカ丁寧化する日本語 (光文社新書)

当然のことだが、相手のことを考えないとコミュニケーションはとれない。敬語はその最たるものだ。相手のことを考える。すなわち、想像力なくして敬語は使えない。敬語が難しいと思えば、普通の言い方に直してみるといい。敬語という化粧をとると真の姿が見えてきて、おかしな日本語や失礼な表現に気づくことも多い。そうしたら直せばいい。そして、必要なら、改めて挑戦すればよい。

『バカ丁寧化する日本語』(光文社新書) P.216

公共機関や電車、店舗のアナウンスから聞こえる日本語。ぼんやり聞いていると気に留めないけれど、よくよく耳をすませば、変化した日本語がまじっている。本屋で『バカ丁寧化する日本語』(光文社新書) を手に取って目次を開いたとき、かねてより抱いていた疑問を見つけたので嬉しかった。その疑問は4つ。

  • させていただきます
  • ら抜き
  • さ入れ
  • を入れ

最近、「○○させていただきます」をしばしば耳にする。「させていただく」は謙譲語だ、と疑わない人が増えてきた。

筆者の野口恵子先生は、「目上の人に向かって(あなたに)電話すると言いたいときの表現は?」と、大学の講義で質問した。すると、真っ先に挙がった答は、「お電話させていただきます」だった。これには驚いた。ぼくは、「お電話差し上げます」か「お電話いたします」と予想したから。

「させていただく」の用法(この場合、古くから使っている言い回しの意味)から考えると、「させていただく」を、人によっては「慇懃無礼」だと受け止める。だけど、その人たちは今や少数派かもしれない。

たとえば、こんな新聞の投書があった。「都合により本日休ませていただきます」をおごり高ぶった表現だいう。それに対して反論の投書があった。「感謝を表す休業の表現として好感が持てる」って書いてあった。みなさんはどちらですか?

「させていただく」は、一体誰に対して謙遜し感謝の意を表しているのか? これが問題。敬語を使うとき、「誰に」を考えて、”尊敬”・”謙譲”・”丁寧”を選択する。おまけに日本語は、「二方面の敬語」もある。古典で習ったあのやっかいな言い回し。

野口先生は、「させていただく」を使う人々を「させていただきたがる人々」と評し、この言い回しに抱く違和感を、文法と用法に従って説明する。そこがおもしろい。先生は、バカ丁寧化する日本語をなるべく真っ向から否定しないよう心がけていらっしゃると読み取った。苦心が垣間見られるようでおもしろい。

日本語は変化してきた。変化に遭遇して、人は怒髪天を衝き机をバンバン叩いて批判する。そうやって、かつての「美しい」日本語を懐古する。それもひとつの反応。ぼくがひとつ申し立てるなら、雰囲気で批判せず、用法や語法をしっかり取り上げて懐古してほしい。

昨今、タレントの言葉が多大な影響を与えている。テレビを視ると、もう「ら抜き」単語は定着した。代表は「食べる」でしょう?! 「食べられる」が「食べれる」となった。現に、今、ATOK 2009 Macで「食べれる」と打ったら、「ら抜き表現」と叱られた。ただ、「ら抜き」も「揺れている」。「信じる」を否定するとき、「信じられない」と発音し、「信じれない」と発音する人は、今ところ少ないらしい。これもいずれ変わるだろうけど。

やっかいな「ら抜き」は「見る」の可能形。「見られる」が少数派になりつつあり、「見れる」が多数派へ躍り出た。そうなると、「見られる」を誤用だと思う人もいる。現に、外国人留学生が「食べられる」と発音したとき、日本人学生が「違う。”食べれる”だ」と教えたとの由。

大阪では、「さ入れ」が方言と相まって慣用扱いされている。「行く」は「行かさせてもらいます」と全国大阪弁普及協会には書いてある。ちなみにATOKは「さ入れ表現」と叱った。

そして、近ごろ、ぼくはある言い回しをとりわけ気にしている。「を入れ」言葉。「話す」はどうだろう? 「話す」を丁寧化して「お話をさせていただく」と発音する自分に後から気づく。先生によると、この「を入れ」は政治家が好んで使っているようだ。本書の冒頭、「皆様にワタクシの政策をお訴えさせていただきたく…… 」ってフレーズが登場する。もう目もあてられない。

  • 「来月サミットが開催をされます」
  • 「お願いを申し上げたいと思います」
  • 「このたび外務大臣を拝命をいたしました」

ここまで酷くなくても、日常で「を入れ」を使ってしまっている。ぼくの場合、ウェブサイトのページ制作の原稿を拝見すると、「を入れ」が登場する。特に、「名詞+を+動詞」が多い。一番多い例は、「○○を行う」形。「名詞+を+行う」は、使い勝手がよいのか、一枚の原稿に4,5回顔を出したりする。

ぼくは、日本語を書くとき、助詞に手こずる。助詞ってほんとやっかい。いま、文法を少しずつやり直していて、助詞がとにかくわからない。「に」「を」「が」「は」「へ」などなど。だから、「を入れ」言葉が余計気になる(わざと”に”を省略してみた)。

今、テレビは賛否あれど多大な影響を与えている。おまけに今のテレビは字幕までついている。語法や用法を吟味する時間はないから、日本が少々おかしくてもそのまま字幕.in する。それを耳にしたぼくはいつしかその言い回しを他で使ってしまっている。自分が口にした単語へ耳を欹てみると、顔から火が出る。

基礎体力がなくて基本的な練習もしていない人がいきなりスポーツ万能になれないのと同じで、敬語を使いこなせるようになりたければ、敬語以前の日本語能力、コミュニケーション能力をつけることから始めたい。知識もおろそかにできないが、知恵と創意工夫はもっと重要だ。そして、これからは机の上の勉強だけでは身につかない。

『バカ丁寧化する日本語』(光文社新書) P.241

敬語を使う。それは相手を敬い、相手と適切な距離を保つ。敬語の意味を忘れて、形骸化された言い回しを安易に多用して敬っているかのようにふるまったり、「させていただきたがる人々」は実は「させていただきたがらない人々」になったりしてまいか。目上の人に向かって「ご紹介してください」と言うのをおかしく思っていない自分がいてまいか。

もう一度、自分の言語能力を観察したくなった一冊。