医療は政治に迎合しない

琵琶湖

不幸中の幸いというべきか、毒性は強くありません。しかし、持病のある場合や妊婦では重症化するおそれもあります。また、秋以降に強毒化する可能性も懸念されています。

 このインフルエンザに効くワクチンは当分ありません。発症してしまった人はちょっと辛いのですが、これで免疫を獲得して今後同じタイプのインフルエンザにはかかりにくくなることが期待できますし、公衆衛生的観点からは集団免疫の成立にも貢献することになります。賢く行動してやり過ごしましょう。

via: 保健管理センター:新型インフルエンザに関する緊急情報(第2報) — 京都大学

京都大学がインフルエンザ対応専門家グループを設置して、医学的、生物学的見地をふまえて対応方針を決定したとのこと(【重要】新型インフルエンザに対する本学の方針について(第4版)【5月22日更新!】 — 京都大学)。

政治は「できる」以上の領域へ足を踏み入れ、現場へ混乱と疲弊をもたらしてしまった。水際や病院の現場の方々は不眠不休のような体制だったのかな。感謝。

何かあったときの「責任」の呪縛。『「責任」ってなに?』を吟味する間もなく、とにかくどの方角からやってくるかわからない大衆の不条理な言い分へ政府は備えなければならない。結果、「やるべき」ことと「できない」ことを仕訳せず、無責任に行為を広げて散らす。専門家を招集しない会議。そこで一体何を決めているのか?

医療もしがらみを断ち切れないから政治へ配慮してしまう。報道は文系(二項的に放言すれば)が発想するから、科学や論理の視点から情報を流せない。今日は何人,昨日は何人 ,どこで何人……。個人情報を晒して民度を低下させる。もし、感染者が数千、数万になった時、どこどこの人、どこの組織に属し、どこに在住かまで逐一報道するつもりなのか。もし報道しないなら「最初に報道された個人情報」と区別した理由は何か? それを論理的に説明できるのか? 不思議。守らなければならない人々へ発信する情報。

京都大学の発表を一読して、専門的に理解できない。だけど安心した。専門家集団がインターネットから情報を発信する。医学と論理の視点。この視点を学ばなければ、と思った。この視点で情報を検索する思考。

医療が政治に迎合せず、独立した見解を示す。素晴らしいな、と無邪気に喜んだ(馬鹿だから)。極度の恐れは無用。同じくのんきに考えない。喉元過ぎれば熱さを忘れず、生活の習慣を見直す。

先述したけど、二項的に放言すると、文系の政治が医療へ関与しすぎると恐い。責任者が文系の報道は恐い。もうひとつ、政府のスタッフの中に物流の専門家はいないのだろうか? 無秩序な恐慌に陥った物流を眺めていると恐い。

専門家が表へ出てこない世相。何だかわからないけど嫌な雰囲気を感じる。