考えるな感じるんだ考えろ

琵琶湖

朝日新聞のウェブサイトによると、JR山形新幹線に「カリスマ車内販売員」がいるとの由。

  1. 売上高は平均的な販売員の約1.2倍(2倍強の約50万/日も達成)
  2. 年配客には山形弁で応答
  3. 車内を1往復した時点で客層を見極め、売れ筋を把握
  4. ワゴンを押しつつ客を観察する
    • 「パソコンで仕事中だからコーヒーを飲みたいかも」
    • 「出張帰りなのにお土産を持っていない」
    • そんな客がいれば歩く速さを落とす
    • 列車の進行方向に歩く時は、後ろ向きでワゴンを引く
  5. 迷っている客を捕まえる力が他の販売員たちよりも優れている

観察力。入社当初からいきなり売れるわけない。疑問が浮かぶ。

なぜ、買ってもらえないのか?

上司はその疑問の視点を変えた。

「買ってあげたいと思われる人になればいい」

マトリックス(映画)の中で、Laurence FishburneKeanu Reevesが対決するシーンがある。その時のセリフ(『燃えよドラゴン』のセリフをそのまま使ったらしい)。

考えるな 感じるんだ

他方、ソードフィッシュ(映画)の中で、Hugh Michael JackmanJohn Joseph TravoltaにTVRタスカンの運転方法がわからず、「これどうやって運転するんだ」と訊ねるシーンがある。緊迫した状況。John Joseph Travoltaは一言。

考えろ

両方を備える源が観察力なのかな。狭小な身の回りを振り返ると、K先輩は、「何とかしてあげたいと思わせる人」だ。僕は後輩にもかかわず、微力ながらウェブで「何とかしたい」と実行している。(K先輩の)「考える」と「感じる」のバランスは優れている。

「考えるだけ」の人を苦手だ、と僕は認識する。鏡に映った自分を見ている気分に陥る。

自転車のメンテナンス本を買い、読み漁る。いくら読んでもわからない。それよりアーレンキを手に持って身体を動かせば氷解する。古い自転車を解体して組み立てれば、構造を理解できる。僕は失敗を恐れるから、知識、否、情報をとかくストックしてしまう。無駄なストック。

「考えるな 感じろ」と自分を戒め、とにかく触る。触れば触るほど、今度は上手くやりたいと「考える」。何を考えなければならないのかを知る。それから情報を検索してアクセスする。試してみる。体験が知識に変わり、知識が体系化されてゆく。躰と頭が一致。

PCの組み立ても同じかな。20代の頃、7,8台組み立てた。その体験を整理整頓しただけ(たったの7,8台です、念のため)。かなり失敗した。不器用が主な原因だけど、仕組みを知らなかったり、相性を調べなかったりしてパーツを無駄にした。それらを知識にまとめた。ただし、体系化できていない。なぜなら、CPUやHDD,memoryの原理をきちんと学んでいない。

そして、写真も同じ。そうやって自分の弱点を分析してきた。知を体系化できない致命的欠陥。それを一つ一つつぶしていくしかない、とぼやきつつ実践している。

自転車、写真、PC…..いずれも失敗を恐れ、「考えるだけ」になりがち。だから、「考えるだけ」の人は苦手。

「考えるだけ」の人は、失敗を恐れるのに、それを回避する思考回路のスイッチが入らない。「考えな 感じろ」と「考える」の両方を持つ人は、危機管理能力を備えている。未然に防ぐという優れた危機管理能力。それは、想像力、想定力の領域。矛盾を承知で書くと、無限の言動から「有限のシミュレーション」を脳内で繰り返す。その結果を勘案して、現場をデザインする。

<なんという男たちだろう>
側室の中でたった一人、この宴に参列していたお梶の方は、驚嘆し、ほとんど感動していた。

危険を危険としてありのまま受け止め、素早くそれに対応する処置をさぐり、それが終わるとまた悠々と酒を飲む。誰一人無用の恐れ、無用の不安など示す者はいない。

『影武者徳川家康〈中〉』 隆 慶一郎  P.248

「無用の恐れ」「無用の不安」を抱く。観念が表出する恐れと不安。それを観念で解決しようとする。その行為が不安を増幅させ、時に、相手へ波及する。受信力が強い人なら、波及する前の段階で即座に察知し感受するだろう。

いずれも歴戦の武士である。つまり徹底した現実家である。現実家だから、危険に対しては敏感だ。だが危険は恐ろしいものだ、という風には、この男たちは考えない。危険は考慮し、対策を考え、対策のない時は極力それを有利に使おうと考える。ただそれだけのことだ。この男たちに恐怖心が欠如しているというのは間違いである。恐れるべき時には人並みに、いや、人並み以上に恐れる。ただ恐怖の先どりをしない。やがて起こるかもしれぬ恐怖の場面を脳裏に描いて、早々と恐れるということをしない。そんな恐怖心ぐらい根もなく意味もないものはない、と心底思っているのだった。その時はその時のことだ。今は今である。だから、将来の危険は今の歓楽を少しも遮げることがない。

『影武者徳川家康〈中〉』 隆 慶一郎 P.249

この認識と実践を自己評価できるようになるまで修養する。この先ずっと。