Look at me Mommy

琵琶湖

マクドナルドで仕事をしていると、異音が耳に入った。ん、なんだ、と思い左右を見渡すと、テーブルの上にポータブルDVDが置いてあり、そこで何かのアニメを上映していた。父母子。子供は3歳ぐらいか。父と母は、それぞれ自分の携帯電話をのぞき込んでいる。夢中だ。メールかネットかな。子供はDVDを一人で見ている(観賞しているかどうかわからない)。時折、声を発する。泣き声みたいな懇願のような。すると、母か父のどちらかが「なんだよ」みたいな表情を浮かべ、ポテトを一本取り出し、子供の口へ。そして、再び携帯電話へ顔を落とした。

世界とわたしは互いに互いのうちにある。知覚すること(percipere)から知覚されていること(percipi)に向かって、どちらかが先行するということはなく、同時性、あるいは<遅れ>が存在する。自然の世界の重みは、すでに過去の重みだからだ。わたしの生のすべての風景は、偽りの感覚の群れではないし、はかない判断を組織したものでもない。これは世界の永続的な<肉>の切片であり、見えるものとして、わたし以外の他者の<見え>を懐胎している。

“メルロ=ポンティ・コレクション” (モーリス メルロ=ポンティ) P.103