待ちきれない人たち

死なないでいる理由 (角川文庫)

すいぶん前のことだが、ゴリラの生態研究で長らくアフリカに渡っていた友人が、久しぶりに日本に帰ってきて、こんなふうに話してくれたことがある。アフリカのことではなく日本のことだ。街にファーストフード・ショップがずいぶん増えていて、そこで食べている人たちを見ていると、つい、人間はサルに退化しつつあるのではないかとおもうというのである。

“死なないでいる理由 (角川文庫)” (鷲田 清一) P.36

人間は食べられる以上の餌を獲得すると、みなで分けて食べる習慣を身につけた。共食。一方、サルは餌を見つけても、その場で、自分が食べられる分だけ食べる。ファーストフード・ショップで金とバーガーを交換。ひとりで席につき食べる。

今日はイオンでお買い物。普段なら午前の早い時間に行くけど、事情があって14:00頃に行った。案の定、それなりに混んでいた。レジは行列。狭い店内にカートを押す人たち。思うようにすれ違えずみんなの表情が曇る。カートに子供をのせる人や小さいカートより大きいカートを押す人たち。それぞれの事情が交錯していた。

かごを持って歩き出し、野菜の値段を見て目を丸くした。高い。お客さま感謝デーに行ってしまった(5%OFFと宣言して総じて価格を上げる)自分に怒りつつ、それでも普段より、さらに5%OFFの値付けより上がっていたので驚いた。やるなぁって感じ。商売上手。年末年始の運送費は特別料金なのかな?

莫迦らしい、よって必要最低限の野菜と食料だけカゴへ入れてレジへ。

レジは砂糖みたいだった。アリの行列。少しでも早いところへとすれ違えない通路を滑走する人、人、人。父親に1番から18番まで確認させたり、どこのレジが二人体制かと見に行ったり。レジの導線には奉仕品と書いた商品が置いてある。狭い通路がさらに狭くなる。歩行の快適性と導線の寸断を天秤にかけたとき、イオンの店長は後者を選択した模様。どれだけ’印象が悪くなっても気にしなくてよいのだろう。掲示板へ苦情を申し立てられても、一円でも売ろうとする精神に敬服した。

僕は待ち人が少ないレジへ。もちろん一人体制。だからみんな並ばない。進まない。後ろの人たちはイラついている。後ろを振り向くと、首をキリンみたいに伸ばして前方を見る人たち。思わず笑いそうになったので、他のレジを見回すと、子供の頃にやった格好をしていた。少しでも身長を高く測定してもらおうとする仕草。笑いそうだ。だけど、10分も並ぶと阿鼻叫喚の様相へ。罵詈雑言の囁き声。

僕から二人ぐらい前の女性が「マイカゴ」を持っていた。大量の商品。その女性は、「これはここに入れて」とレジの女性へ指示する。どうやら、商品が自分の思い通りに収まらないと気に入らないらしい。後ろの人たちは、我慢の限界か。

僕は、周りをぼおっと観察していた。意識してぼぉっとすればするほど自分の時間と周りの時間がずれていくように感じた。

もう待てないんだ。

そう、待てない。コンビニエンスストアやファーストフードで待てない。待つ必要もない。待てるのはバーゲンと新装開店。

あたりまえ。待つほうがおかしい。待たせるなんて何事。元旦からイオンはやっている。なのに待つ。そこには待てない人の感情が充満する。

携帯電話は待ち合わせ場所と待ち合わせ時間を取り去った。きれいに。

待つ。じりじりすぎていく時間。待つは消える。

待たなくてもいい時間、待たなくてもいい場所を選ぶという自責はない。それでいいんだ、と。ぼぉと待っている自分のなかで、つながった。「待つ」と「弱さ」。

「人間の弱さは、それを知っている人たちよりは、それを知らない人たちにおいて、ずっとよく現れている」。十七世紀の思想家、パスカルのこの言葉をくりかえし噛みしめておきたい。

“死なないでいる理由 (角川文庫)” (鷲田 清一) P.39

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