何かを見つけたいなら見るのをやめること

キャラバン

単語と単語を合成して修辞の化学式ができあがる。それは言葉遊戯。単語を弄ぶ。修辞を肴に酔う。先人の至言と巧言令色の差異は何か。至言の文字に反応し、巧言令色を嘲笑する。ほんとうは至言と巧言令色を分別しなくてよいはず。読んだと動いたは同等にあらず。「意味」。一体、意味はどこにあるのか。意味は行動に隠れている。能書きをたれずに動け。考える前に走れ。言葉にする前に感じろ。これらは年表に書き記される前からあった。五感を見失う。

数秒で最適解や経済的合理性のある解を選択できない。そう肌で理解している。肌で理解していても、躰は選択している。なぜだろう。行動する。行動が与えた結果を認識できるか否か。意識の行動ではなく、無意識の過程で計算して計画する。

計画で安心。言葉遊戯で慢心。

目に見えないという自己陶酔。疎明。目の前で行動しているならば相手は見ている。相手を見くびるから目に見えないと思い込む。

わからないなら調べればいい。文字の情報は獲得できる。きちんと分類され整理された文字列。それすらしない。文字の情報は獲得できても、意味を理解できない。言葉の呪縛。行動を制限する。解き放つ。”YES”の直観より”NO”の理由を思いつく。たくさん。

行動は意味を整理する前のノイズを豊富に含む。誰かが編集した文字列の固まりや映像はノイズが低減されている。あるいはノイズがない。意味を整理する前のノイズ、それらを除去するかどうかの判断。行動の産物。そのプロセスは豊穣な識を含み、滋味あふれる。

直観は勘じゃない。膨大な事実と数値から導き出される結論。無意識。没我。

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