素敵な人間

「良い意見だ」国枝桃子が呟く。
「意見に良いも悪いもないだろう」犀川は言う。
「訂正します。私の思っていたことに近い、という意味」国枝がすぐに言い直した。

『有限と微小のパン―THE PERFECT OUTSIDER』 P.682

最初の壁。良いか悪いかで判定する。悪い意見を排除し、良い意見に同調する。同調だけですむならよい。良い意見を「自分で考えた」意見だと錯覚する。が、そもそも意見に良いも悪いもない。と、同調しつつ、「自分で考えた」ように、今、書いている。

皇子山公園の紅葉

次の壁。近いか遠いかの距離で判定する。「自分で考えた」ように書くと、自分の意見と他者の意見の違いは、距離だ、と思う。半分は最初の壁を乗り越えられない。そして、残りの半分は最初の壁を乗り越えられても次の壁に絶望する。自分の意見と他者の意見、近いか遠いかの判定のあと、遠ければ排除し、近ければ、修正の余地を吟味する。修正可能な意見なら、自分の意見として取り入れ、自分の思考のように出力する。

皇子山公園の紅葉

他者の意見を近いと判定して、そればかり剽窃すると、原型を思い出せなくなり、剽窃した意見を語っている自分に陶酔する。ほんとうは、最も遠い意見を吟味する能力が求められるはず。対話は、その前の自分とその後の自分、両者の差異を気づかせ、驚愕させる。そのために存在する。驚愕するのは誰か?

対話の前と後の自分、それは別の自分。そうやって次々と別の自分へ憑依して、いくつもの人格を練り上げる。いくつもの人格をひとりの自分のなかで統合させていく作業、それが思考の熟成と発酵。

そして、自分の中に存在する人格を統合せずに、いくつもの人格を所有し、統制できる人が、もっとも素敵な人間だ、と僕は思う。