誰も視なくなったゴールデン

少なくとも98年度下半期以降でNHKが同時間帯1位になったデータはなく、NHKも「これまで、半年間の平均でゴールデンタイム1位ということは聞いたことがない」。民放の在京キー局の幹部は「我々は社会の空気の変化についていくのが遅れてしまったのかもしれない」と話した。

via: asahi.com(朝日新聞社):NHK、視聴率トップに 上半期ゴールデンタイム – 文化

あえてのタイトルにしてみました。第一印象は、自分の生活と合致している。19:00から22:00までの間、Wiiの番組表をテレビ画面に映しても、視たい番組はない。奥さまは、コナン君やヤッターマンが好きなので、画面に映っているのを上の空で視ている。一人なら19:00か21:00のニュースを視る。それも最近では少なくなってきた。

この記事に便乗すると、今年に入って、SANKEI EXPRESSに掲載されている週間視聴率ランキング(TOP20)の変化が、気になっていた。NHKニュース(19:00)のランクインが、多くなった。それも、●●日付けとわかれてランクインしている。最初は、その日に災害や重大ニュースでもあったのかなぁと思い出すけど、そうでもない。ほんとうに「ニュース」を視ているんだと実感した。この記事を読んで、SANKEI EXPRESSのランキングは、脚色されていなかったんだと納得。

想像するに、ニュースと情報番組を融合させたような民放の手法に辟易しているのじゃないかな。あと、キャスターやコメンテーターのポジショニングトークが、耳障りな雑音に変わった。キャスターは、政治家や公的機関を糾弾したり、事件を批判したり、世情を憂えたりする。コメンテーターも同じ。視聴率が前提だから、分布図のもっとも集中している地点(=倫理や理解)へ、ポジショニングトークは着地する。言い換えれば、その地点の水準に合わせた番組を制作している。

分布図の中の大衆は、いままでテレビを視ていた。もっとも集中した地点からはずれた人も視ていた。分布図の外の人は、はじめからテレビを視ない。今、分布図の中の人が、テレビから離れつつあるか、あるいは、情報番組に価値を見出さなくなったんだと思う。そして、キャスターとコメンテーターの言動に疑問を抱きはじめた。

今ならネットで調べれば、おおよその事実関係を把握できる。大勢のブロガーがそれらについて書いている。優れたブロガーの思考は、たいてい尖っている。データを揃えて反論したり、対偶で世の中を観察していたり、倫理で価値を評価せずに論理で冷静に説こうと挑戦していたり、とさまざま。視聴率は関係ないから、対話できる(したい)相手へ言葉が届く。思考が尖っているから、読み手は、テレビにない情報を発見する。ライフハックな情報でも、テレビにないから重宝する。

ただし、情報と知性を峻別する判断は難しい。その難しさに気づき始めた。自分の言葉で伝えようとするブロガーの文字列と出会って、情報と知性を峻別する基準を持っていない自分に気づいたとき、テレビのくだらなさに驚く。そして、いままでテレビを視ていた「時間」を再考する。そうなると、テレビの前にもう座ってられない。情報を獲得する手段と割り切っても、効率は最悪、ノイズも多い。検索もできない。

「時間」に目覚めた人は、視聴者の分布図から外れて、事実を淡々と読み上げるNHKのニュースへなだれ込む。ブログのネタや書くきっかけがほしいから。NHKのニュースは、ノイズが少ない(公正や中立という意味じゃない)。30分ほど視て、あとはネットの扉を開くか、読書をするか、趣味の部屋に棲むか、ずっと仕事をしているか。いままで視聴率の一翼を担っていた10代は、携帯電話を片時も離さないし、それで視たいシーンだけ視たり、小説を読んだり、ネットにアクセする。音楽も聴ける。

って、長々と書いてきたけど、ほんとうは一言ですむ。それをさもブログ風に書きたかっただけ。一言は、「つぶやき」に書いとこ。