[Review]: 墜落遺体

新装版 墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便 (講談社+α文庫)

昨日、クライマーズ・ハイのレビューを書いた。横山秀夫氏が自身の記者時代に遭遇した日本航空123便墜落事故取材の体験をまとめた作品。ただ、「墜落現場」は描かれていない。事故そのものがテーマじゃないから『墜落遺体』も扱われていない。レビューで紹介した現場雑感、佐山は左手を失った女の子を抱える自衛官を書いた。実際の現場は凄惨を極めた。著者は事故当時、高崎署刑事官在職にて身元確認の班長につく。

完全遺体といっても、潰されて形を失った顔面。前頭部の飛んだ頭蓋。二つに切断された胴体。焼けただれて分解しつつある焼死体。手足がちぎれ、下顎骨がかろうじて首と繋がっている、といった遺体が多い。

そして脳髄は脱出して無い。眼球は飛びだすか、めりこんでいる。肋骨はバラバラに折れ、脊柱も潰れて体が円くなっている。

手足は多発骨折か切断か挫滅創。腰の安全ベルトのせいか、下腹部で切断されているか、大きく破れて内臓が噴出している新装版 墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便 (講談社+α文庫)
完全遺体がそうならば離断遺体、分離遺体となると絶句する。遺体(部位も含む)のひとつひとつを丹念に調べ身元を確認していく作業、作業に従事する人々の懸命な働きを克明に記録している。

遺体の状況

  • 「何だこれは…..」毛布の中から取りだした塊を見て、検視官がつぶやく。塊様のものを少しずつ伸ばしたり、土を落としたりしていくうちに、頭髪、胸部の皮膚、耳、鼻、乳首二つ、右上顎骨、下顎骨の一部、上下数本の歯が現れてきた。
  • 二歳くらいの幼児。顔の損傷が激しく、半分が欠損している。それなのに、かわいい腰部にはおむつがきちっとあてがわれている。
  • 五二〇人という数字も大変だが、実際に回収される遺体は数千体にもなっている。
  • 「目が三つある死体があるのですぐ来てください」
  • 中には一週間もたっていないのに白骨化しているのもある。
  • 連日の猛暑のため、遺体に蛆が湧き、腐敗の進行も早いため、数日後からの回収遺体は原形をとどめていないものが多く、確認作業は困難を極めた。遺体の身元確認作業
  • 「焦点が合わないんです」写真担当の若い巡査が、カメラを両手でもったまま泣きべそをかいている。
  • 検視官も医師も首にまいた汗止めのタオルや上腕部を使って、汗を一緒になった涙をしきりに拭っていた。
  • 「これは仕事なんだ」と割り切れない、と。
  • 多くの医師、警察官、看護婦たちが不眠不休で凄絶な現場で闘っている。「殉職者だけは絶対に出してはならない」
  • せっかく出勤してきたのに、臭気にまいって検屍作業もできずに嘔吐、その後数日か寝込んでしまった若い歯科医師
  • ものすごい死臭と、これが人間かと思われる炭化遺体を目の前にして、失神寸前となった医師。
  • 一度だけは検屍はしたものの、米が蛆に見えて食べられず、一週間ザルソバで通した医師。
  • 「班長! また子どもじゃあねえかよ。俺は子どものはもう嫌だよ。なぜ俺んとこばっかり子どもなんだよ」突然、まだ三十代前半であるが、検屍業務では熟練のT巡査部長が本気で怒りだした。遺体と対面した遺族
  • 他の列でも日航職員が正座して、棺の中に顔を半分入れて謝っている。そこには下顎部から下の女性の挫滅遺体が納められている。
  • 母親が狂気のように叫び、抑えようもない激しい悲しみと怒りに床の上をのたうちまわっている。
  • 炭化して、人間としての原形すら残されていない父と対面し姉と妹が、失神して仮の救護室となった放送室に運ばれる。
  • どうにもならないほどの深い悲しみをじっと心の内奥に閉ざし、必死に耐えるのも人間の究極の姿である。
  • 「僕は泣きません」前頭部が飛び、両手の前腕部、両下肢がちぎれた黒焦げの父の遺体の側で、十四歳の長男が唇をかんでいる。
  • まるで地獄絵図のような、想像を絶したすさまじい情景は、宿命だとか運命だとかで表現し、簡単に他人の人生を総括できるものではなかった。遺体をあつかった看護婦
  • 遺族からの遺体取り扱いについての苦情はほとんどなくなった。それは医師会派遣の看護婦と日本赤十字社が動員した看護婦たちの、やさしく甲斐甲斐しい働きによるところが多い。
  • とりわけ、胴の部分がピチッと締まったベージュの上衣に裾のすぼまったスラックス姿の日赤看護婦のきびきびした動作とその気丈さには、医師も警察官も驚嘆し感動さえ覚えた。
  • 遺体に付着した泥や木の枝や杉の葉などを取り除き、髪の毛、頭、顔、胴体そして腹部から脱出した内臓まで丹念に洗う。
  • 洗った髪に櫛を入れ、頭の表皮から指の一本一本に至るまで、ていねい清拭した。
  • 長い髪の毛に顔の片側部分の皮だけがついている離断遺体があった。看護婦は髪を洗い、櫛でとかし、顔の皮膚の裏側から手を添え、ガーゼを用いて和紙に付着した汚れでも落とすようにそっと拭く。強く拭くと表皮が破れてしまうからだ。ファンデーションで化粧をほどこし、三分の一ほど残っている口唇にも薄く口紅をさした。
  • 「これが人間なのか」「人間であったのか」想像を絶するすさまじい遺体を前に、看護婦たちは黙々として清拭、縫合、包帯巻き等の作業を、夜を徹してやり通した。
  • 「あのような現場では、その人が能力があるとか、経験があるとかではないですよね。あの極限状態では、誰だっておかしくなります。ご飯が食べられなかったでしょう、なんてよくいわれましたが、その程度の次元で話されたくはなかった。そんな心境、そんな場面ではなかったんですよ。」
  • 領収書の宛名から、誰の内臓であるかの手掛かりにするという。内臓だけが戻される遺族の思いが頭をよぎる。ビニールの中に内臓だけが入れて棺の中に納めるなんて考えられない。内臓をさらしでていねいに巻いてお棺に納めた。
  • 河野は他の看護婦に手伝ってもらい、子どもの胴体部、手、足の形を相当な時間をかけてつくった。頭だけを棺に入れるなんてとてもできないと…..。
    前後の文脈を省略している。文脈はさらに現場を浮かび上がらせる。凄惨をきわめた身元確認の現場となった体育館、体育館に響き渡る遺族の慟哭と怒号、不眠不休の医師、縁の下の力持ちの看護婦。上の文章は全体のほんのわずかなシーンを切り取っただけ。それでも何か琴線にふれたなら手にとって読んでほしいと願う。

事故を風化させてはならない、二度と事故を起こしてはならない、という言葉を加害者が口にしたとき、「絶対そうであってほしい」と同意してむなしさを感じる。日本航空123便墜落事故 から20年後に JR福知山線脱線事故 が起きた。もちろんこの事故だけにかぎらず毎日のように事故は起きている。私はいずれの事故にもテレビを視る側でしかなかった。そんな側から少しでも離れるためにこれからも読み続けたい。

いつ自分も事故に遭遇するかわからない。それだけがわかっていることだから。

私が一日も欠かさず、時には一日に何回も会う遺体があった。会ってことばをかけ、抱いてやらなければその日の作業が終わっても、家へ帰れない心境になっていた。「A列8番」の棺。その中には、幼い女児の頭部だけが寂しく眠っている。首からスパッと切断されているが、顔面頭部にはほとんど損傷もない。顔などはかすり傷ひとつないようにきれいだった。

まるでコケシ人形の童女のように、たまらなくあどけない。小さな唇と、愛くるしいほっぺには、ほほ笑みさえ感じられる。日赤の看護婦さんがやさしく洗い、櫛でとかしてやった黒く柔らかい髪の毛もそのままだ。

「三歳以下の女の子には間違いないよ」と東京歯科大学の橋本。

犠牲者の中に四歳以下の幼児だけでも一四人いた。このうち女児は八人である。私も橋本、木村、新谷ら先生方も、「M・Yちゃん(一歳)に間違いないのになあ」と早いうちから確認していた。それなのにいつもったひとりで棺の中に…..。

私はM・Yちゃんが、不憫でならなかった。帰宅する前には深夜でも明け方でも、必ずM・Yちゃんに「お休み」をいう。そのままM・Yちゃんの目線を私と同じ高さにして、二人の顔がくっつくぐらいの間隔で話す。

「M・Yちゃん、ごめんね。早くお家に帰りたいねえ、もうすぐ帰れるから待っててね、・・・・・おやすみなさい・・・・・」

時には冷たく凍ったM・Yちゃんの額を私の額いつけながら話すこともあった。このころ、「隊長も少しおかしくなったんじゃねえの」二階の観覧席から私の奇異とも映る毎夜の行動を見て、そんなことをいう班員もいたとか。新装版 墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便 (講談社+α文庫)