36歳になって数ヶ月

あと数ヶ月で35歳を読んで常住坐臥や運否天賦が頭によぎる。座って半畳、寝て一畳というか。私は2月に36歳になった。30歳すぎての5年間は同じくあっという間だった。仕事上の成長をまったく実感していない。「人並み以下の技術」で独立している。給料は結構上がるどころかいつでも廃業できる水準。というか、確定申告書を受け取った税務署員は「どうやってメシを喰っているのか調査しよう」と疑うだろう。「36歳のフリーター」のほうが得策かもしれない。(考えたこともないけど)この先、そうとう問題ありだなぁと薄々感じている。

月並みな感想だが30過ぎてからの5年間は本当にあっという間であったな。

この5年間で仕事上の成長は殆ど実感できず。給料は結構上がったけど。

今の仕事を続けることに疑問を持ち初めて数年になるけど未だに結論はでないまま。

仕事を辞めたからといって人並み以下の技術力の自分に別の選択肢など思い浮かばない。

転職するにも35を過ぎると求人は激減する。選択肢が減って良いことかもしれないな。

このまま、あと25年間今の会社でなんとなく流されていても

自分ひとりで食って行くぐらいのことは余裕でできそうだし。

via: あと数ヶ月で35歳

ふとしたことで転職(私の場合、廃業して就職)に目をやると、たしかに35歳をすぎると激減。「希望の職」はナイだろう。そうなると「5段階」の一番下に向きあって職へ就く。職自体に就ければ万歳か。

継続であろうが廃業にしても、私は顧客に迷惑をかけたくないと願っている。たぶんそれだけを念頭にサービスを提供している。とはいえ、それも驕りだ。ジコマン。なぜなら、支援しているサイトを誰が引き継いでも制作できる。あっ、引き継ぎ当初は混乱させると思う。めちゃ下手なHTMLとCSSのコードだし。それに、Flashやイラストやデザインなら、私より上手な人はビルの屋上から石を投げると当たるぐらい。あとはfeeさえ合えばもっと見栄えのよいサイトになるわけで。

そうやって考えると、私にしかできない仕事は幻想だと体感できるし、自虐すれば、そもそも「私にしかできない仕事をこなす水準」にあるわけないので、幻想を抱くこと自体が「問題の設定を間違えている」と気づく。「私にしかできない仕事」とは、「他者が私に与える仕事」であって、それをいついかなるときであろうと「他者が他者に与える仕事」に変換できるように備える。それが大切なのだと。そこに「私」はない。

「私」はないのに「迷惑」はおかしな話。だって、迷惑になるわけない、私がいないのに。そうなると迷惑もジコマン。置換すれば、私が廃業して他者がコードを読んだとき、混乱を最小限にくいとめること。コード以外にも、私だけが了解する「言葉」で仕事をしない。それが、「迷惑をかけない」ことだと思う。

そんな「迷惑をかけない」ことをつきつめると、常住坐臥や運否天賦が頭によぎり、座って半畳、寝て一畳が真なりだったり。ただ、そこに向き合えないのは勇気というか心のほう。隣の芝は青く見えるから。