5年前のお客さまを覚えていますか?

遙洋子さんの「男の勘違い、女のすれ違い」:NBonline(日経ビジネス)はときおりぶくまでネタにされる。あっ、最近では毎回かも。賛否を問う内容だったり、ときに「ええ〜、斜め上をいくなぁ」と驚いたり。ネットで吐かれるネガコメはスルーするしたとして、「こういう方もいるんだなぁ」と定点観測に使わせてもらってる。

で、今回のコラム。

どうすれば売り上げが上がるのか

私はごくたまにだが高級店で服を買う。なぜたまかというと、高くて手が出ないからだ。

そこの店員は、私が5年前に一着買っただけのコートのことを5年後も覚えていた。その驚きに、その店にまた足を運ぶことになった。

「高いから、慎重に買いたいの」と、本当は高級服をバンバン買いたい衝動や快感を、ねじ伏せるように自分と店員に言い聞かせた。すると、店員はそれ以降、私がほしそうにしても「これは必要じゃないです。ほかのもので代用がききます」と、節約への助言をしてくれるようになった。その店員はそこで購入した私の服をすべて記憶していた。私の頭の中のワードローブと、店員の記憶の中のワードローブで、本当に必要な一着を相談して決める歳月が続いた。

「ほかの客の購入した服も覚えているの?」

「はい。ほとんどは」

ただ覚えようと思ってもできる芸当ではない。本気で真剣に選んだからこそ、おそらく記憶に刻み込まれるのだろう。

以前何かの特集で東京のブティック(なんだか書くと照れるな)の女性スタッフをフォーカスしていた。そのスタッフは過去に購入したお客さまのカバンを全部覚えているらしい。もちろんデーターベース化(紙で!!)されているけど、いちいち見ないで覚えておき、よほどのときに再確認する。

「何年か前に購入された○○のカバンをお持ちですから、それはちょっと」

とか

「この間のカバンとデザインが異なるから、あのお召しになった洋服と合うかも」

などとアドバイスしていた。驚いた。

映画でも似たような話が。ミンボーの女で2000人の顔を覚えるドアマンなんて設定がある。そのとき、「ああ、たぶん実話かそれに近いモデルが存在するんだろうなぁ」と一瞬だけのシーンを眺めた。

営業とは商品を売ることでも、売り上げを上げることでもないような気がする。本気で客のことを思えるか。「営業」はそれに尽きるように思えてならない。そして、仕事の喜びもきっとそこにあるように思う。そういう営業と出会えた客は、感謝しながら金を出す。

そのためにはまずその商品に“本気”で惚れ、お客様のことを“本気”で考え、もっとも相応しい商品を“本気”で薦めることだ。そしてそれらの前に、その仕事を、仕事として“本気”で選んでいるのかという、自分の人生の“本気”度が試される。

平積みされているマーケティング本のタイトルみたいな結論。わたしがツッコミたいのは「本気」。「本気たれ」に異論をはさまない。でも、「誰だって本気なの」と思っていて、不思議なのは、「私の本気」と「私は本気だと思っている」の違い。いくら「私は本気」だとふるまっても、遙洋子さんには「本気に見えない」ことがしばしば。

主体と客体の差異はどこから生じているのか?

ここにふれずに「本気」でソリューションしてしまうのはちょっと。

主体から主体へと内側に向かうベクトルの「本気」と主体から客体へ放擲されて再び主体へともどる「本気」。この二つの本気に伏流する「気」が私の気がかり。そこを探求したい。

ムダも必要です。