[Review]: バカにならない読書術

バカにならない読書術 (朝日新書 72)

「他人は本をどうやって読むのだろう?」ってふとよぎったことありません? 本を読む人なら一度は抱くギモン。いや、そんな経験ナイよって人はスルーしてください。”読書術”の背表紙が所狭しと本棚にならぶ。速読から耽読まで。テクニカルな記述もあれば心構えも。そんな本を二桁も読めば一回りしてだいたいわかってくる。『バカにならない読書術』が目にとびこむ。余計なお世話だと心中でつぶやきながら手にとってしまった。バカな自分。性だな。

人間は一人ひとり違うという前提から入ると、本を一生懸命読むんです。人間は同じだという前提から入ると、違っているのが気にいらないわけです。[…]要するに、気に入らないものを消してすべてを同じにしたがる。そうじゃなくて、人間ってこんなに違っていて話が通じないものなんだな、ということを感じている人ほど、人のことを知りたがるはずなんです。そこで本を読む。

『バカにならない読書術 (朝日新書 72)』 養老 孟司, 池田 清彦, 吉岡 忍 P.70

「わかってくれる」という前提から入ると言葉を失う。阿吽の呼吸とは違う。「わかってくれる」はわかってもらおうという努力を怠らせる。みな同じだ、わかってくれると判断。思考停止。「ああ、また”アノ”事件と同じだ」と推測で報道し、それを眺める人たちは自分の推理と一致した報道に一喜一憂。右を向けば賞味期限と偽装、左を向けばメタボリックとグルメ。雀の涙の語彙と同じ映像の繰り返し。

本を読む楽しみは、「書いてあること」を読むのではなく、「何を書いていないのか」を読むのにある、と養老孟司先生は言う。国語の授業で「行間を読め」と言われた。「何言うとんねん、”間”なんか読めるわけないやろ、書いたぁらへんがな」と毒づいたのは学生時代。不思議だ。今はシマッタと反省。あの当時からそんな読み方が身についていれば。

「何を書いていないのか」を読む楽しみ。写真の構図に通じる。この写真は何を削ったのか? 削った結果、際だつ被写体。作者は何を書かずに書いたのか。なぜ書かなかったのか。妄想は広がる。しかも、その妄想は私が知っている程度しかないわけで…。トホホ。自分が何を知らず、何も考えもせず、何も判断していないことに気づく恐怖。おもしろいなぁ。

ところで本を読むときリズムがあるのはなんで? 本を読むリズム。筆者が一気に書いたであろう文章と詰まりながら書き上げたのではと推し量る文章は違う。音読すればなんとなく体感。タンタンタンとリズミカルに読める文章。自分の知も後押し。

反対に韋編三絶しないとまったくわからない本もあったり。わからない、わからない、ハテナマークがポン、ポポポポポポンと頭上に点滅。知が後押ししてもわからない。ましては知を持ってなければ問題のフレームすら構築できず。悲しい。

そんなギモンも本書はふれる。

そうそう、本書は二部構成です。で、第二部はというと池田清彦氏と吉岡忍氏との座談会。この座談会がなんだか井戸端会議っぽくてイイ感じ。ディベートなんてどうでもいいだろってな雰囲気で自分の意見を言いたい放題。読んだことのない書名がどんどん出てくる。

まいったぁ、自分がごくごく限られた範囲の本しか読んでないということを気づかされた。「わかっている」本しか読んでないよ、こらツライわ。長嘆息。