[Review]: 医療の限界

医療の限界 (新潮新書)

財務省が08年度診療報酬を引き下げる方針で固めた。対して日本医師会は「過去の厳しいマイナス改定で医療崩壊が現実化している」と主張して大幅引き上げを要求。国と医師とのせめぎあい。他方、患者と医師のせめぎ合いも蠢動しはじめた。医療訴訟。国・医師・患者の中心に残ったのは不信。負の連鎖。マスコミも乗じて負を伝える。医療を「消費」するようになり、結果を金銭に等価交換する。司法も金銭で裁定。医師と司法、まったく位相の異なるプロフェッショナルが論争する負の再生産。

日本人が、死を意識のかなたに追いやり、死生観といえるようなしっかりした考えを持たなくなりました。安心・安全神話が社会を覆っています。メディアに煽られ、司法に裏打ちされ、医療への理不尽な攻撃が頻発しています。このため、医療現場はとげとげしいものになりました。勤務医や看護師の激務は昔からあったことです。私は医療崩壊の原因は患者との軋轢だと思います。使命感を抱く医師や看護師が現場から離れつつある。
このまま事態が進んでいくと、結果的に困るのは医療を必要とする患者とその家族です。本書が、医療の置かれている危機的状況の理解をうながし、医療の崩壊をふせぐ一助となることを願ってやみません。

『医療の限界』 小松 秀樹 P.8

私は医療の現場を知らない。ましてや医局と聞いてもピンとこない。いかなる組織でどんな人が働いているのか。どんな人間関係が育まれ、いかなる権力闘争が跋扈しているのか。どれも私の「現実」じゃない。だから患者の立場で読む。となると難しい。Amazonでの酷評もうなづける。医師の視点から患者・司法・マスコミを吟味。愚痴じゃなくつとめて冷静に問題点をあぶりだす。そうそのとおりなのだろう。筆者からすれば。

指摘を受け入れる患者はといえば。「人は必ず死ぬ」から「人は老いてから死ぬ」に変わりつつあるのかもしれない。「人は絶対死ぬ」から「私は何%で助かりますか」になったのかも。「出産は危険がつきまとうもの、絶対成功する手術なんてない」から「母子ともに健康があたりまえ、100%成功する手術しかイヤだ」と主張したり(するかもしれない)。

もし助からなければ、「何か失敗があった」という前提のもと、帰らぬ人を金銭で補償させようとする。司法は「賠償金とモラル」のバランスを議論する余地もなく、医師を弾劾する場へと傾斜。

そんなわけないだろ、と私は反論しない。筆者の指摘する大衆の無能、医療と検察の無謬、マスコミの無知、そのとおりなのだろうと思う。すべてを咀嚼。医師の「現実」の世界を垣間見た気分。

咀嚼のち内観。先日、造影剤の同意書を見た。紙切れ一枚を渡され、あとでサインしてくださいと言われたらしい。無論、説明なし。となりの私は頭にきた。刹那、本書が脳裏に。かろうじてこらえた。だから反省。

日々そうやって自省(したいと思う)。それを矜持としているから問う。結果的に困るのは医療を必要とする患者である私はいっこうに困らない。医療を必要とする原因を招いたのは私。己の身体が悲鳴をあげる。非は己にある。しかし、医療の崩壊をふせぐ一助を願う医師は、思想を引用し海外の事例をひき説明するも他責的ふるまいが目につく。

「使命感を抱いて懸命に働いているのになぜなんだ」と他者を責め、そして医師の地位向上につとめ、政治に掛け合い待遇を獲得した。他責的ふるまいの成果が今の医療じゃないだろうか。

私はあなたたちに嫉妬する。すばらしい活動から導き出された成果に。