学問ができ本を読める毎日

8月15日、高市早苗少子化担当相が靖国神社に参拝した。報道陣は鎮魂に抗い、喧噪と下劣を報じる。高市早苗氏はそれらに乗ずるかのようにこう答えた。

「閣僚が靖国神社に行くことを外交問題にしてしまう勢力があることを残念に思う」

胸中穏やかならずともじっとこらえればよいものを口にする。この文脈自体がすでに「外交問題」の俎上へと載せているにもかかわず。皮肉。氏の知性はその構造に気づいているはず。

今年、ひとりの「母親」が全国戦没者追悼式に参列した。「子」が参列しても「父母」はもうほとんど参列されない。にもかかわらず、「最後になるかも」とご自身が感じ、周囲の反対をおしきったご決断だった。

「最後になるかも」息子亡くした101歳母、車いすで参列

御長男の松岡欣平氏が順当に東大経済学部をご卒業されておれば、日本の将来を担った方だったと思う。英霊が書き記した日記。つきささる。

<九月二十七日 自分は命が惜しい、しかしそれがすべてでないことはもちろんだ。(中略)死、死、一体死とは何だろうか。(中略)政府よ、日本の現在行っている戦は勝算あってやっているのであろうか>

<十月四日 もう学問など出来ぬと半ば捨て鉢とでもいう気持ちになると、小説がむやみに読みたい。(中略)ああ もっと本を読んでおけばよかった>

<十一月某日 俺(おれ)は気が狂いそうだ。(中略)戦争、戦争、戦争、それは現在の自分にとってあまりにもつよい宿命的な存在なのである。世はまさに闇だ。戦争に何の倫理があるのだ>

小遣いはすべて本につぎ込む勉強家だった。出征後も度々はがきをよこした。

<母上様にもあまり苦労されぬ様、くれぐれも御体を大切にされますことを遥かに祈っております>

魯鈍の私は戦争を想像する力を持っていない。己の貧困な語彙をすべて用いても、戦争を「わかる」だけの頭を持っていない。恥ずかしいことだと承知している。はばかりながら、ふっと何かの拍子に先人の方々と対話する「妄想」に我が身を置いたとき、「日常」に感謝する。私にできるのはそれだけ。なにも8月15日だけではあるまい。

「もう学問など出来ぬ」「ああもっと本を読んでおけばよかった」という。今の私にはあたりまえであることがあたりまえでない時代。

今、私は何かを学び続けたいと願いながら本を読む。それが、「あたりまえ」だと自覚せずにすごせるほどの毎日。その情景に感謝する。与えられた「日常」をかみしめる。かみしめる情感をもっと養いたい。

文官は参拝理由を立板に水を流すように仰せられる。毎日諳んじているかのように。その言葉に異論を挟むつもりはない。少しだけ苦言を呈したい。ほんのわずかだけでもいい、政治のニオイをカラダから取り払って参拝されてはいかがだろう。

英霊は日常が日常でなくなることを叫んだ。だから私は「日常」に拘泥する。62年前の8月15日、玉音放送が流れた。その日を勝手に終戦として区切りをつけた。毎年訪れる日常ではない日。わざわざその日を「非日常」にした。日常にない音をつくり、音量をあげ、演出する。まるで俄狂言のように。ふだんから喧噪と狂気に包まれる私は、せめてこの日ぐらいは静かに何も語らず、淡々と頭を垂れたい。日常のありがたみをかみしめながらすごす非日常の日。

本を読める毎日。