立花隆氏に贈呈する「読書について」

いつも拝読しているブログ経由(いつも良質なエントリーに感謝)で立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」を一読。エントリーで指摘されていた該当箇所を読んでいくうちに、『読書について 他二篇』を贈呈したくなる。

開票の日、私はテレビモニターを5台ならべてテレビの開票特番を全局ウォッチしていたから、この日の安倍首相の顔色の変化をよく知っている。安倍首相はこの日、夜10時ちょっとすぎ(自民党惨敗がすでに確実な時点)からテレビに出はじめ、ほとんど12時近くまで出ずっぱりで出ていた。負けがわかっているから、テレビに出た最初から顔色は悪かったが、その悪い顔色が、時間を追うにつれ、一層悪くなっていった。[…]顔の皮膚がむくむとともに、色がドス黒くなっていた。テレビ局の人に聞くと、安倍首相はある時期から、夜のテレビは絶対に出ないようになっていたが、それは、夜になると、顔から生気が失われ、体調の悪さがモロに顔にあらわれてくるらしいということだった。内閣改造でも“ボロ出し”確実 解散必至!末期の自民安倍政権

主観の想像に依拠した事実と乖離した感想文。さらに続く。

前に述べたことがあるが(第98回「政権の命取りになるか 安倍首相の健康問題」)、安倍家の家系(父方)は短命の家系である。短命ということは老化が早いということである。最近の安倍首相、年齢(52歳)相応の男盛りのエネルギーが満ちあふれた顔ではなくなっている。一挙に10歳以上も年をとってしまって、とっくに還暦をすぎた人ではないかと思われる顔色をしている。

短命が老化に直結する理路は何だろう?

ゴーストライターが書いているのならオナニーで気持ちいいのかもしれないけど、立花隆氏本人がタイプしたなら、いつから「理系」に転向され、しかも医学と科学に精通されたのだろう。わからない。立花隆氏ならはるかむかしに熟読したであろう“読書について 他二篇 (岩波文庫)” (ショウペンハウエル)の一説を思い出す。

読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。[…]だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。[…]ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失って行く。[…]彼らは多読の結果、愚者となった人間である。“読書について 他二篇 (岩波文庫)” (ショウペンハウエル) P.128

ショーペンハウエルは「二つの歴史がある」という。一つは政治史、もう一つは文学および芸術の歴史。

第一の歴史は意思の歴史であり、第二の歴史は知性の歴史である。したがって政治史は我々に不安を与えるばかりか、恐怖心までもひきおこす。政治史は大量の不安、困窮、詐欺、残忍な殺人に満ちている。“読書について 他二篇 (岩波文庫)” (ショウペンハウエル) P.140

ショーペンハウエルの言葉を剽窃すると、立花隆氏が書いた上記の内容は”ソフィスト”だろう。ソフィストとはギリシャ語で”知者”。もうひとつ、詭弁を事とする人から転じて「詭弁者」と同義語であった。ショーペンハウエルはソフィストを以下のように断じる。

彼らは世間から思想家であると思われることを念願し、かくして世人から得ようと望むもの、つまり名声の中に幸福を求める。その真剣な努力はこのように他人本位である。“読書について 他二篇 (岩波文庫)” (ショウペンハウエル) P.22

読書について 他二篇 (岩波文庫)

「老害」という単語がある。忌むべき造語。年を重ねた人がもつ叡智に対して失礼と思う。しかし、ここ数年、ごくまれにこの単語を咀嚼したくなる「年を重ねた人」に出くわす。

昔の功績がいかなるものか。否定しない。ご本人は功績と自負しているかどうか私にはわからない。意識・無意識かかわらず、成功したのちに「停止」したらどうなるかという見本を私に開陳してくれる。

思考停止。判断停止。思索をやめた知識人。

多読の結果、得た知識。それ自体、並大抵ではあるまい。努力されたのだろうと推し量る。知識を得た結果、何を失ったのだろう。「本を読んだ」という動作と記憶が残ったのか。知識を自らの血肉と化す作業。先人を否定しつづけ、思考と実践を積み重ね、否定したのにまた先人へと回帰する。それが、思索であり、己と対話するヒトが獲得した能力だと私は愚考する。

先人が考想してきた知を拝借し、それがいつのまにか「自分が考えたシロモノ」と言い聞かす。言い聞かすうちに、己を信じるようになる。

何人も判断するよりはむしろ信じることを願う “読書について 他二篇 (岩波文庫)” (ショウペンハウエル) P.20

立花隆氏をあざける笑う私も思索したことがない。剽窃の毎日。だからこのエントリーに自嘲を与えて、私と氏へ贈呈する。スペインの諺。

愚者も自分の家の中では、他人の家における賢者より物知りなり

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