公園の女の子

今日は、早朝から自治会の掃除に参加したので、なんだか気分的に長い。休日の早起きも三文の得だと実感 🙂

というわけでどうしようかとゴハンを食べながら思案。ぽんと膝を打つ。「そうだ、前から考えていた菜園をやってみよう」とひらめき、さっそくアヤハディオへ。線路のガード下沿いを2kmほど歩く。

その道中、ガード下にある小さな公園に親子が遊んでいる。滑り台とブランコだけの小さな公園。そこに2歳ぐらいの女の子とお母さん。

どこにでもある風景を目にして目を細めようかと思いきや、違和感が心に踏み込んできた。

小さな女の子がよちよち歩きで公園の中を歩いているので、それを眺めていると、女の子は後ろを振り返った。その目線の先には母親がブロックに腰をかけている。

当然、女の子の目は母親の目と合うはずが、合わない。なぜなら、母親は、さっきからずっと携帯電話をのぞき込みなにやら夢中でボタンを押している。

女の子は数秒ふりかえったあと、また前を歩き始める。そして、数歩、ぱたぱたと歩いてまたふりかえる。

そこに母親の<顔>はない。

2歳ぐらいの子どもがどの程度の知覚をもっているのか私はまったく知らない。ひょっとすると、子どもからすると、「こんなことがあった」という記憶は、再生できないように引き出しにしまわれるのかもしれない。もう着なくなった服のように。

子どもがふりかえると親の<顔>がなく、目が合わない光景。無知な私の目には、日常の風景に異形が侵入してきていびつに仕上がったような映像としてうつった。その後、私は首を後ろにまげながら歩いていたが、母親は携帯電話から一度も顔をあげず、黙々とボタンを押し続けていた。

目的をはたすまでの道中、私はわかるはずもない愚かな想像を働かせながら歩いた。女の子はどんな気持ちでふりかえり、どんな気持ちで<顔>を探し、どんな気持ちで前を向いたのか。