親殺害急増の記事に首をかしげる

asahi.com: 少年の親殺害が急増 家族消去したい衝動か

未成年者による親の殺害や未遂事件はこの1、2年、急に目立つようになってきた。警察庁のまとめでは、刑事処分対象になる14歳以上の子どもによる実父母の殺害(未遂など含む)は97〜04年までは年3〜9件で1けただったが、05年に17件に急増。06年分は集計中だが、2年連続で2けたに上りそうだ。親への単純な憎しみをもとにしたものより、自分の居場所を取り戻そうと家族や家庭を消し去ろうとする衝動が目立つとの指摘もある。

時事問題はこっちでとりあげるつもりだったけどリテラシーにからみそうなので。記事を一読して閉口した。97年〜って、恣意的にもほどがある。いまどき、数分ググれば親子間における殺人事件の犯人に対する処分の実情とか昭和48年警察白書親殺し統計がヒットする。前2つは世代問わずの件数、後者は未成年。数値の正誤を検証していない(それを検証するのが本業だろうし)。

おそらく記者の手元にも資料はあるだろう。それらを提示せずに、都合のよい世代だけを抜き取ってあたかも「急増」しているかのように書く。その行為が犯罪に等しいと思う。

何を問題提起したいのか。「質」なのか、「量」なのか、あるいは「少年」か。要素が違う集合を重ねようとする根拠に首をかしげる。質なら昔もあっただろう。量は統計から判明する。では少年を取り上げたいのか?

テンプレートしておくと、罪を犯した少年たちを擁護するわけではない。ただ、大人、特に一番人口が多い世代付近の人たちが戦後にかけて犯した件数を捨ておき、「オレたちのころと変わった」的な煽りをやめてほしい。

烏合の衆と化して事を書き立て、数日もすれば何事もなかったかのように去る。忘却。刹那の映像が事態を好転させず、ともすれば悪知恵に手を貸している。彼らが流す映像は記録に残っても、記憶に残らない。ときに記憶の弊害をもたらす。思考の停止を助長する。彼らはそれを頭で自覚し、noblesse obligeのごとくふるまう。

半端な「意見」しか書けないなら客観報道主義に徹すればいい。未来志向であれとは望まない。せめて娑婆の空気を吸ってから文章を書いてほしい。行動を煽動するための文章じゃなく、心を動かすための生の声で言葉を紡いでほしい。