[Review]: 時間はどこで生まれるのか

時間はどこで生まれるのか (集英社新書)

無限は何を表すのか愚考していたとき手にとった。無限と時間をリンクさせ、「時間とはそもそも測定可能な物理的現象なのだろうか?」とさらなる愚考を重ねたのでAmazonで検索したところ本書がヒット。

「ミクロの世界に時間というものが仮にあるとしても、マクロの世界における時間と、ミクロの世界における時間は、同一のものではない。また、マクロの世界においても、物理学的時間と人間(生命)が感じる時間は、同一のものではない」

『時間はどこで生まれるのか』 P.19

古今東西、「時間論」は語り尽くされてきた。古くはアリストテレスの『自然学』、カントの『純粋理性批判』、そしてハイデガーは『存在と時間』のなかで、「時間性が人間(現存在)の存在論的意味だ」と結論づけた。なのに今になってなぜ「時間論」を語ろうとするのか?

筆者は、「目からウロコの落ちる時間論」に出会えていないからだと言う。その原因は、近代以降の哲学と科学の乖離にあると指摘する。

現代の哲学者が語る時間論は、現代物理学(おもに相対論と量子論)が明らかにした時間の本性を無視し、科学者による時間論は科学の枠から出てこない。今こそ現代物理学をふまえた哲学論的時間論を書いてみたいと切望し上梓した。

  • 第一章 なぜ今、時間論なのか
  • 第二章 相対論的時間と時間性
  • 第三章 量子論における時間の非実在性
  • 第四章 時間を逆行する反粒子
  • 第五章 マクロの世界を支配するエントロピーの法則
  • 第六章 主観的時間の創造
  • 第七章 時間の創造は宇宙の創造である

たとえば、「1秒」とは何を表すのか?

1秒や1時間は地球の自転公転をもとに決められている。1967年以降、1秒を以下のように厳密に定義している。

「一秒は、セシウム一三三原子の基底状態の二つの超微細エネルギー準位の間の遷移に対応する放射の九一億九二六三万一七七〇周期の継続時間」

しかし、これは「役所の公文書」のようなもので、ミクロの世界ではどうかというと、まったく現実にそぐわない。そもそも、我々は技術的に上のように測定できる手段をもちえない。定義は定義であって、時間の測定そのものとは関係ない。

時間を「ある」か「ない」かと考察すれば、現代物理学を無視した哲学的考察に終始する。だから、本書は「どこから生まれるのか」という表題をかかげている。

冒頭の引用は筆者が提起した命題である。ここから時間論を出発させて真偽を検証する。この命題から導き出される結論を最終章で読んだとき驚いた。なぜなら私が持っている「過去・現在・未来」という一直線の時間軸を覆してくれたから。

「過去・現在・未来」が一直線上ではないななら一体何なのか?

そこには「実在」が何であるのかを私に突きつける刹那があり、「意思」があり、「自由」がある。

「時間の創造は宇宙の創造であり、われわれはそれに参画しているのだ」