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あれ、何色? 青に見えます?

hydrangea

青青 いかにも青いさま。また、一面に青いさま。「ー(と)した麦畑」

『岩波国語辞典』 西尾 実 P.7

青青、青が二つ重なって未熟と未来が待ち構えているわ。色の表現はややこしいおまっせ。青青した麦畑って、あれ、青に見えます? 屁理屈とわかっていても理屈をこねたくなるねん。

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カリスマがIDを布教していたのか…..

散歩道の花

私は「人は霊長類から進化したものではない」と思っていますし、「人は、本来の地球上の生物ではなかったようだ」とも時には思います。
  事実、科学界では「進化論」は、いまや古い考え方として、空虚な理論となりつつあります。私は「インテリジェント・デザイン論」や「創造論」という新しい 考え方の方が、はるかに納得できるのですが、拙著の短い文章(210〜214ページ)を読むだけで、「進化論に疑問を呈する人」が出て来たのにびっくりし ました。時流を感じます。

via: 「進化論」は正しくないようだ  船井幸雄 – アムールティーで元気に!!

人は真っ直ぐ歩けない、を実証 されたり、肥満は脳の老化を加速する と発表されたりするのを、経営者が万が一読んでも、slashdot.jp って何だ? であって、大御所様の方が著名であったりするわけで。これも、「何を言ったかより誰が言った」の典型だろな。経営者のなかには崇拝している人もいて、その方々が大御所様の説法を読むと、IDや創造論を新たな信仰の対象にしかねない。まぁ、布教活動のコツを垣間見られたようで勉強になりました(棒読み)

見方を変えると、日本ではトンデモでも米国ではキリスト教徒相まってIDや創造論を信じる人がマイノリティーでなくなりつつあるとか。実際、現地はどうなんでしょうねぇ。

fact or opinion?

琵琶湖

事実の記述は真か偽か(正しいか誤りか)のどちらかだ. つまり, 数学のことばを借りれば, 事実の記述は二価ーtwo-valuedーである. これに反して意見の記述に対する評価は原則として多価ーmulti-valuedーで, 複数の評価が並立する.

『理科系の作文技術』 木下 是雄 P.107

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[Review]: 化粧する脳

化粧する脳 (集英社新書 486G)

自分にとっていちばんの死角は、自分の顔である。
日夜、他人に曝しておきながら、自分自身ではその顔を見ることができない。
鏡を使って確認することはできるが、それは「鏡像(左右が逆転している像)」であり、ほんとうの顔の左右が入れ替わった像に他ならない。試しに鏡像を反転させて「正像」をつって「鏡像」と見くらべてみればよくわかる。[…..]多くの人が自分の「正像」にはどうしても違和感を覚えるだろう。「いつもの自分ではない」と。

それもそのはずだ。普段、見慣れている自分の顔は「鏡像」なのだから。
しかし、他人が見ているあなたは「 「正像」だ。「わたしが知っている自分とちょっと違った顔」を、他人はあなたの顔として識別しているのだ。

“化粧する脳 (集英社新書 486G)” (茂木 健一郎) P.50-51

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[Review]: 脳と仮想

脳と仮想 (新潮文庫)

世情を眺めると嘘から真をとりだす人が現れたなぁと思う。嘘をつく。その嘘にさらに嘘を薄く薄く塗っていく。だんだん”ほんとう”に。ついには嘘が「現実」だと認識。錯覚だよと私には判定できない。知らないわけで。ただおそらく世間は嘘を現実だと認めるわけないだろう。嘘はやっぱり嘘だと糾弾。あたりまえだな。でも、すこし引いてみる。”世情”や”世間”は「現実」だろうか。別に形而上を歩いたり、言葉を遊ぶつもりはない。表裏なき単純なギモン。「現実と仮想」を峻別するのは”何か”?

そもそも、人間にとって、自分の意識がある、ということほど確実なことはないはずである。物質的世界こそ確実だ、という近代科学の世界観は、おそらく公共的倒錯とでもいうべき奇妙なねじ曲がりの上に成り立っている。現実の世界がないというわけではない。現実は、きっとある。しかし、現実自体は知り得ない。私たちが把握できるのは、意識の中の現実の写しだけである。だとしたら、この世界で確実なのは、現実の世界ではなく、意識を持った自分だけではないのか。

『脳と仮想 (新潮文庫)』 茂木 健一郎 P.228

『方法序説』が判断している。疑えるものすべてを廃棄したとき残るものは何か。20世紀、科学は意識から距離を置いた。物質で構成された世界のすべてを数式で表現しうるとした。意識を捨象して。

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[Review]: 脳が冴える15の習慣

脳が冴える15の習慣―記憶・集中・思考力を高める (生活人新書)

電通の発表によると、消費者が選ぶ07年上半期の「ヒット商品上位10位」に”脳トレ等ゲームソフト”がランクインだって( 参照)。消費者の健康やトレーニングに対する関心の高まりが際立つ結果らしく、「ああすれば、こうなる」に拍車がかかっていそうな気配。そんな背景もあってか前著 『フリーズする脳―思考が止まる、言葉に詰まる』 につづき 『脳が冴える15の習慣―記憶・集中・思考力を高める』 もAmazonのベストセラーに一時ランクインしていた。この手の本を読んでいると、やっぱり脳に支配されているなぁといくぶん目をそむけたりしてツライ。おまけに脳を鍛える習慣を司るのが脳ってぇことは、なんだか自分で自分の腹筋を殴って筋力トレーニングしている奇妙な感じ。ああ、ヤダヤダ。

15の習慣を均等に実践するのはむずかしい。(先生のご指摘どおり)とっつきやすい習慣から試してみるといいのかな。私の場合、SOHO(聞こえはいいけどただの引きこもりだって)なので脳には劣悪な環境。しゃべらない、小さな平面を長時間見つめている、座りっぱなしって、全部あてはまるっつうから真っ青。唯一、生活のリズムは維持! それと食生活かな。それ以外は赤面。まずいまずい。

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[Review]: ドグラ・マグラ

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ (下) (角川文庫)

ようやく、『ドグラ・マグラ (上)』『ドグラ・マグラ (下)』を読了したよぉ。疲れたぁ。あぁ、低能にはさっぱりワカランかった。撃沈されました。日本三大奇書のひとつ(参照: ドグラ・マグラ)。本書を読破した者は、必ず一度は精神に異常を来たす、との宣伝文句。毀誉褒貶のはげしい小説です。

<これを書くために生きてきた>と著者みずから語り、十余年の歳月をかけた推敲によって完成された内容は、狂人の書いた推理小説という、異常な状況設定の中に、著者の思想、知識を集大成する。これを読む者は、一度は精神に異常をきたすと伝えられる、一大奇書。

とにかく設定と内容を読解する力が皆無だったのでGoogle先生に何度も問い合わせてみたけどさっぱり。壮大のなかに仕掛けられた緻密というか、プロットが幾十にも構造化されているようでまったく紐解けなかった。で、おしまい。再読決定です。

ただ、とにかく圧巻だったのは、昭和10年に執筆された精神病に対する見解。当時の時代背景を知る人ならびっくりだと思う。現在の知識で読んではいけない。いったん、「」に括る必要がある。「」に括れば、「解放治療」なんて概念がなかった時代。先見性という言葉が安っぽく聞こえるような著者の狂人に対する執着。

「心はどこにあるのか?」という問い、「人はどこから到来しどこへ逝くのか?」という無常、脳髄が映る世界はいったい何なのかがずっと脳裏にこびりついていた。

「脳髄は物を考えるところに非ず」