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[Review]: 狂気という隣人

狂気という隣人―精神科医の現場報告 (新潮文庫 (い-84-1))先日、名古屋地裁である事件の論告求刑公判が開かれた(参照)。2005年2月、犯人は生後11ヶ月の男の子の頭部にナイフを突き刺し殺害した。男の子は頭部にナイフが突き刺さったまま夥しい血を流しており、母親が抱きかかえて絶叫していたという。検察側は「あまりに凄惨。誰もが計り知れない恐怖を覚えた」と指摘しつつ、「無期懲役が相当だが、被告は当時、心神耗弱だった。遺族の被害感情を考えると断腸の思い」として有期刑で最長の懲役30年を求刑した。

私たちの周囲には数多くのスキゾフレニック・キラー(統合失調症の殺人者)が存在しています。彼らの多くは検挙されても不起訴になり、裁判で事実が明らかにされることもなく、精神病に入院した後何年かすると再び社会の中に戻ってきているのです。『狂気という隣人-精神科医の現場報告(新潮文庫 (い-84-1))』 P.106

統合失調症の発症率は人口1%。これは全世界で変わらない。スキゾフレニックと呼称される予備軍はその数十倍ともいわれる。本書の物語は「向こう側」の出来事ではない。登場人物はみな”隣人”である。なのに実感がともなわない。いやそれどころか、私が「彼ら」になるとはつゆほども疑っていない。

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[Review]: そして殺人者は野に放たれる

そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)昨今、凶悪事件が増加していると耳にする。それが事実なのかどうかわからない。むかしから凶悪犯は存在する。それが”マス”と相乗してクローズアップされているかもしれない。もし凶悪犯たちが私たちの「範疇」を越えたとき、野に放たれる(可能性が高まる)。昨年、私が住む滋賀県でふたりの園児が惨殺された(個人的には刺殺ではなく惨殺と受け止めている)。事件の概要は滋賀県長浜市園児殺害事件を参照していただくとして、容疑者はその後起訴され裁判中。「心神耗弱」を争っている。事件当初の衝撃にくらべ全国報道の時間が極端に減った。ゆえに地元新聞やメディアをとおして事態の推移を私は見守っている。

凶悪犯罪が、一〇〇%の理性によってなされるという発想も、一〇〇%の異常性によってなされるという発想も、私は間違っていると思う。しかし、こんなあたりまえのことが、専門家たちには承服できない。だから未だ日本には、凶悪犯罪者を心神喪失により無罪にする法(刑法三九条一項)はあっても、心神喪失により不起訴あるいは無罪にした凶悪犯罪者を処遇する施設が一つもない。『そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)』 P.67

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[Review]: ドグラ・マグラ

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)ドグラ・マグラ (下) (角川文庫)ようやく、『ドグラ・マグラ (上)』『ドグラ・マグラ (下)』を読了したよぉ。疲れたぁ。あぁ、低能にはさっぱりワカランかった。撃沈されました。日本三大奇書のひとつ(参照: ドグラ・マグラ)。本書を読破した者は、必ず一度は精神に異常を来たす、との宣伝文句。毀誉褒貶のはげしい小説です。

<これを書くために生きてきた>と著者みずから語り、十余年の歳月をかけた推敲によって完成された内容は、狂人の書いた推理小説という、異常な状況設定の中に、著者の思想、知識を集大成する。これを読む者は、一度は精神に異常をきたすと伝えられる、一大奇書。

とにかく設定と内容を読解する力が皆無だったのでGoogle先生に何度も問い合わせてみたけどさっぱり。壮大のなかに仕掛けられた緻密というか、プロットが幾十にも構造化されているようでまったく紐解けなかった。で、おしまい。再読決定です。

ただ、とにかく圧巻だったのは、昭和10年に執筆された精神病に対する見解。当時の時代背景を知る人ならびっくりだと思う。現在の知識で読んではいけない。いったん、「」に括る必要がある。「」に括れば、「解放治療」なんて概念がなかった時代。先見性という言葉が安っぽく聞こえるような著者の狂人に対する執着。

「心はどこにあるのか?」という問い、「人はどこから到来しどこへ逝くのか?」という無常、脳髄が映る世界はいったい何なのかがずっと脳裏にこびりついていた。

「脳髄は物を考えるところに非ず」

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[Review]: 身体から革命を起こす

身体から革命を起こす (新潮文庫 こ 43-1)何がトレンドになるかわからない。社会現象にはその下地が蠢動しているものもある。それらの現象はティッピングポイントを超えると爆発的に感染する。それが、今の「身体」なのかもしれない。甲野善紀先生は内田樹先生の著書にたびたび登場する。身体の使い方そのものを研究している。スポーツ科学全盛の発想とは正反対に位置し、なかば常識となっている動きを否定する。

「私が研究してきたのは、剣術にも体術にも共通するような動きの原理、身体の使い方の原理ですから、スポーツにも応用できます。ただ、それは今日のスポーツの常識とはまったくちがった動きです。だからこそ現代のスポーツの常識では無理だと思いこまれてきたようなことを可能にするのです」『身体から革命を起こす』 P.14

この言葉どおり先生の動きを目の当たりにしたスポーツ関係者や武道家は目を丸くする。定説では説明のつかない動き。体幹部をねじらない、足で床を蹴らない、反動を利用しない、言い換えれば筋力を発揮させないといった説明を前にして専門家は腑に落ちない。現代のスポーツ科学は「いかに筋力を最大限に発揮するか」が前提。それでも野球、ラグビー、バスケットをはじめ医療関係者などそれぞれのプロフェッショナルが先生のもとにぞくぞくとやってくる。百聞は一見にしかず。

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[Review]: 合気道とラグビーを貫くもの 次世代の身体論

合気道とラグビーを貫くもの 次世代の身体論 [朝日新書064] (朝日新書 64) (朝日新書 64)持病の腰が悲鳴をあげている。二週間ほどまえから痛みがましてきた。どうやら今までと違うみたい。今回はてごわい。ただここ数年、持病とのつき合い方がかわってきた。脳のシワのエントリーで紹介したように「全体」を意識するようになってきた。つまり、「腰」だけでなく、全体のバランスが何かおかしいのだろうと。もちろん専門医の先生方からすれば笑止千万。それでも自分の身体の悲鳴に耳をかたむけると部位ではなく全体に目がいくようになった。仕方がない。

そんな矢先、先週読み終えた『合気道とラグビーを貫くもの次世代の身体論』に興味深い一節に手が止まった。関心のある箇所を瞬時に読み分けたみたい。これがヒトの能力かと妙な気分。

違うよ、内田先生、あなたの右膝は性能が良すぎるの。あなたの体のなかでいちばん優秀な部位だから、ここで身体の全部の歪みを補正していたんです。全身の歪みを右膝ひとつで処理していたから、結果的にオーバーワークになって炎症を起こしているんだから、膝に感謝しなさい P.176

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[Reivew]: 待つということ

「待つ」ということ (角川選書)あるひとつの道具が「待つ」を劇的に変容させた。携帯電話。国民の半分以上のひとが携帯電話を持つようになって、「待ち合わせ場所」がなくなった。待ち合わせ時間に遅れても気にしない。電話かメールで「遅れる」と伝えればよい。ひととひとの交信は空間の隔たりと時差をなくした。

未来というものの訪れを待ち受けるということがなく、いったん決めたものの枠内で一刻も早くその決着を見ようとする。待つというより迎えにゆくのだが、迎えようとしているのは未来ではない。ちょっと前に決めたことの結末である。[...]結果が出なければ、すぐに別のひと、別のやり方で、というわけだ。待つことは法外にむずかしくなった。「待たない社会」、そして「待てない社会」。『「待つ」ということ』 P.10

手紙を書く。投函する。そして返事を待つ。その間、ひとは、

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[Review]: 21Grams

21グラム

21グラム

監督は、『バベル』アレハンドロ=ゴンサレス・イニャリトゥ。彼の映画にはひとつの特徴がある。それが、「時間軸の交差」。物語が過去・現在・未来の直線に展開するのではなく、それらが細かく交差し、まるでジグソーパズルのピースのように映し出される。そして、最後に1枚の絵が完成する。

だから観ている者は、最初とまどうかもしれない。過去・現在・未来が細切れにバラバラにされ、たくみな編集によって最高値構築される世界。観ている者は、眼前の映像が直線に展開していると誤解した瞬間、理解から遠く離れた自分を自覚する。それでも交差する時間軸と映像に魅了されてしまうのはなぜだろう。過去と現在の映像と映像が象徴となる物質や音声でつながれていく。

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歪み醜く狂う

私と周りのバランスを大切にする。そのために「正しいバランス」を求める。でも正しくなければ釣り合わないのか。世情に通じずいびつな我であっても実はそれで釣り合っていることもある。

世に対しすすんで背をむけるでもなく、勇ましく飛び込むでもない。ただ控え目に醜く生きたい。でも受けるがままの首輪を拒否する。

まずは己が一歩踏み出さなければ何もはじまらないし何も終わらない。

「できるからやる」は「できないことはやらない」と同義。「やらなければできない」と選択する意志でありたい。その先に何があるかわからない。わからないと思い込む自分に陶酔する。それを私は忌み嫌う。わからないことをわかろうとする欲と凜がつり合うための糧となる。

バランスとは正しくつり合うことではなく、極度のゆがみから生じる唯一の居場所。偶然に誕生し偶然に生き延び偶然に死ぬ。それが必然。

多くの者がつり合う方法を知りたがり訊く。しかし、「なぜその方法なのか?」と意味を問う者は少ない。

バランスを大切にするから一日一日を狂う。

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