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雨降って地固まる

こういうときに使うのが正しいのかわかんないけど。パッと思いついたので。禍を転じて福となすのほうかな。

大聖堂の事務局長は「謝罪訪問という勇気ある行動に感銘を受けた。寄付金で落書きを消した個所に、学校名入りのタグ(銘板)を作りたい」との意向を示したという。

6人の学生は3月、すでに文書で謝罪し、許しを得ていた。直接謝りたいという全員の意向を踏まえ、学生の代表1人と学長らが私費で現地に赴いたのは9日。大聖堂の事務局長とともに面会に応じたフィレンツェ市の副市長は「文化を大切にする日本人の意思と厳しい態度に考えさせられた」と話したという。

via: asahi.com(朝日新聞社):「落書き跡に銘板で校名残したい」伊の大聖堂が申し出 - 社会

普段はこの手の寄付は受付ないけど、今回は受け取って修繕費にあてるらしく、じゃぁ修繕するならと、大聖堂が提案。そういえば、この大学が学生に下した処分に甘いと苦情があったと聞いた。数百とも。苦情を放擲した人たちは、学長の行動をサキヨミしていたのだろうか。サキヨミなんて蠢動するのは脊髄反射にヒットさせたい思惑もあるのかな。話がそれた。とにかく咀嚼する術をなくしてきたのだろうなぁと実感。私も反応してしまいましたけど…..orz

「刈り」の報道が終熄することを願う。瑣末な出来事といい、それを取り上げる狂騒に失笑する人もいれば、直接謝罪に穿った見方を呈する人もいる。ほんといろいろだ。刈りといえば、こんなCMは日本なら狩られるのかな。

落書き、「落書」の重箱読み。おもに権力(者)への揶揄・風刺を書いた文を人目のつきやすい場所へ落として人に拾わせるから故。己を誇示するために書く行為と峻別しないとダメかもなんて頭によぎる。言葉と行為、難しい。そういえば、「沈黙と内緒の違いは?」なんて問いかけを目にした。答えを読んでなるほど。

学長の判断と行動に指導者の姿を学ぶ。

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[Review]: 死刑弁護人

死刑弁護人 生きるという権利 (講談社+α文庫 (G175-1)) (講談社+アルファ文庫 G 175-1)来年、裁判員制度の運用がはじまる。先日、朝生でこのテーマを扱っていた。賛成側と反対側、それぞれに言い分がある。二項対立はテレビの意図だから折り合いをつけるような議論に向かわない。素人の私にはかえってよかった。成立までの背景と制度の概要、賛成側と反対側が俎上に載せる論点も理解できた。共通点もあった。それは、「司法の危機」らしい。法曹界に棲む人々はそうそうな危機感を抱いているようだ(ポジショントークもあると思うけど)。表現は違えど同書の著者安田好弘弁護士は「この国の司法はどこに向かっているのか」と舌鋒鋭く論ず。「司法の劣化」とも。

いろんな事件の裁判にかかわって、はっきりと感じることがある。

なんらかの形で犯罪に遭遇してしまい、結果として事件の加害者や被害者になるのは、たいていが「弱い人」たちなのである。

他方「強い人」たちは、その可能性が圧倒的に低くなる。

私のいう「強い人」とは、能力が高く、信頼できる友人がおり、相談相手がいて、決定的な局面に至る前に問題を解決していくことができる人たちである。

そして「弱い人」とは、その正反対の人、である。『死刑弁護人 生きるという権利』 P.3

「弱い人」が犯した罪のうち、同書に登場する事件は以下。

法曹界に多くの支持者を持つ反面、テレビからは蛇蝎の如く嫌われる。テレビの思惑が那辺にあるか知らない。一読したとき、「あたりまえだ。だけどやっぱりあたりまえだと納得できない」感情がふつふつと。胸中穏やかならず。罪を犯した人が弁護を受ける権利。刑事弁護人の使命。あたりまえのことだとわかっている(つもり)。私は本村洋さんのように論理的に反駁を加えられない。ひたすら情動のおもむくまま。テレビも同じかなぁ。同書に登場しない名古屋アベック殺人事件とYouTubeのインタビュー。

安田弁護士の弁護は想像を絶する量と時間。どうやったら膨大な量をこなせるのか、ほんとうに寝ているのと目を疑いたくなるほど。弁護士の職責を果たそうする、あるいは先生の信念にもとづいた行動に尊崇の念を抱く。だけど尊崇と書けば書くほど胡散臭いと自己嫌悪するのは、頭でわかっても身体が拒否するからだろう。インタビューに登場する宮台真司先生や安田弁護士も含め、ひとつの事件を「審問」するとき、ひとつの上の次数に視座をあげ全体を鳥瞰しなければならないのだと思う。そこは感情が排除された世界か。100%排除できなくてもできるかぎり。そうでなければ審問は私的制裁になりかねない。

裁判を私刑にしない原則は

  • 無罪推定の原則
  • 検察官の全面的な立証責任負担の原則
  • 直接主義、口頭主義、公開主義の原則

であって、これが公平・公正な刑事裁判を支えてきた。 だけど、それがオウム事件をきっかけに放擲されてしまった。そうだと思う。森達也が指摘するようにオウム事件以降、三権分立どころか三権がそろい踏みで厳罰へと舵を切った。そして、光市母子殺害事件が起きた現在、過去の事件をググると「どうして死刑判決じゃないの」と首をかしげる(死刑廃止と存置の問題は別、念為)。すべて「今、起きたこと」から振りかえる。「今、起きたこと」を括弧に括るのはむずかしい。むずかしいから悟性よりも情意を前景化させる。賛同を得やすい。

いま、そんな過渡期なのかもしれない。中庸は目に見えない。目に見えやすい両極へと振り子を振るとわかりやすい。支持も集まる。私はまだまだ情動で判断している。それではだめだと論理に傾こうとする。その狭間を往来している。読了後、無性に胸がかわいた。

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[Review]: 幽霊人命救助隊

幽霊人命救助隊2007年度の自殺者は33,093人で10年連続30,000人を超えた。03年度の34,427人に次ぐ多さ。年代別では60歳以上の高齢者が8.9%(12,107人)と最も多く、次に30代が6.0%(4,767人)。両世代は統計をとりはじめた1978年度以降で最多の人数(参照: 自殺者:10年連続で3万人台 高齢者と30歳代増加 - 毎日jp)。1日に90人が自殺する。日本の文化と自殺の関係を報じる海外や先進国のなかで突出した自殺者数である点などについて議論が展開されている(参照: 日本の自殺 -Wikipedia)。わたしはよくわからない。今年に入って急増している硫化水素による自殺とかを耳目すると連鎖も否めないと思う。ただ、手段は何にせよ自殺したいという目的を持つ人がいる点に着目するとわからなくなる。

人が生きていることには意味も目的もないのではないか。人はただこの世に居るだけではないか。そう考えたほうが気が楽だ。そもそも命の意味とか目的とかを言い出したら、それに当てはまらない人間は生きるに値しないことになってしまう。『幽霊人命救助隊』P.446

幽霊が自殺しようとする人を助ける。幽霊は4人。浪人生の裕一、老ヤクザ、気弱な中年男、アンニュイな若い女。4人は自殺して幽霊になった。なぜ幽霊が地上に戻って人を助けるのって思って読み始めた。

奇想天外なプロットとほんのちょっぴり気の利いたユーモアで、自殺に向きあおうとする。冗長な感もある物語も、3万人の自殺者の背景を十把一絡げにしようとしなければしょうがないかなぁと思う。

  • 自殺者の揺れ動く心情
  • 自殺しようとするきっかけ
  • 自殺する人の思い込み
  • 自殺する人の鬱
  • 自殺する人と周囲の誤解

約600頁に及ぶ物語も、自殺を考えるには絶対足りないよ言いたげなほど、「自殺」に向きあう。なんていうのかな、理想論をふりかざすのじゃなく、「現実」っていうのか、「自殺」した人が自分の自殺を語るシーンは突き刺さった。幽霊人命救助隊のひとりアンニュイな若い女が語る。

「それでビルの屋上から飛び降りたの。ちょうどここくらいの高さから」と言って、美晴は十階下の路上を見下ろした。「でもね、やめときゃよかったって、すぐに思ったわ」
「空中を飛んでる最中に?」

美晴はうなずいた。死を目前にした取り返しのつかない後悔を想像して、裕一の身の毛がよだった。自分が全体重をロープにかけた瞬間と同じではないか。

「もっと美味しいものを食べておけばよかったとか、遊びまくるべきだったとか、短い時間にいろいろ考えたわ。でも体は落ち続けた。もう助からないと思ったら、今度は生まれてからの出来事が全部見えた。迫ってくる時地面もね。で、激突。グシャって」

その先は聞きたくなかったが美晴は続けた。『幽霊人命救助隊』 P.374

私も聞きたくなかった。だけどすぐ隣の行に裕一が聞いた美晴の言葉が続いた。グシャの情景。目をそむけた。裕一と同じように絶句した。美晴が語った飛び降りている最中の心理や飛び降りたあとの人体について、「心理学」や「医学」の見地から適切かどうかを検証することもでできるはず。だけどそういった知識を持ち合わせていない私には、ひたすら生々しかった。

1986年4月8日、ひとりの女性が飛び降り自殺した。アイドルだった彼女は芸能界への頂点へと一気に駆け上がっていくところだった。そんな矢先の自殺。その自殺が与えた衝撃は若者へ。若者たちはあとへ続いて自殺した。この連鎖反応も本書に登場する。実名こそ出てこないけどほぼ同じ設定で。

政府が認めるように有効な手段をなかなか打てない。不景気に連動している(失業率)という指摘もあれば、鬱病が原因という識者もいる。なんとか食い止めようと医学や科学は欧米の研究を援用してサポートする。私はほんとうにわからないけど、できるだけ形而上へと昇華させずに、こういった小説からゆっくりコミットメントしていきたいと感じた一冊。

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問題を切り分ける難しさ

SANKEI EXPRESSに掲載されていた記事で感じたこと。昨今の報道とからめて。「問い」が硬直化して思考停止に至る恐怖を感じたので。

温暖化が実際に差し迫っているのか、それとも杞憂にすぎないのか、ということは、しばしば「白か黒か」というイメージで論じられるが、気候の専門家の話を聞いてみると「9割」の確率で人間による温暖化が進行中、というのが科学的な実態らしい。科学には定性的な議論と定量的な議論があるが、気候学者が出してくる細かいシミュレーションの中身は門外漢にはわからないので、なかなか「9割」という意味が伝わりにくい。SANKEI EXPRESS 2008.06.15 『「偽エコ」にはだまされるな』

『99.9%は仮説-思い込みで判断しないための考え方』の著者、竹内薫氏の記事。公共放送の環境特別番組に出演して気候学者の方々と3時間ほど論戦した内容をQ&A方式で掲載。そのなかの一文。気候学者たちが提示する定量的な議論に「門外漢」とはいえ得心している様子。それに反温暖化論者の議論は「定性的な議論」にとどまっていると指摘。だけど、反温暖化の風潮にも一理あると。

「人間のせいで地球が急速に温暖化している」という科学の話と、「だから、なんでもリサイクルしようと、エコ生活しようと」という対策の話は、まったく次元が違うからだ。対策は、政治、外交、経済の分野にまたがっており、科学とは無縁のところで、ドロドロとした儲け話が「エコ」の名の元に進行していたりする。そういった偽エコ活動にだまされずに地球温暖化を防止するのは、案外、難しい。

なるほど。「案外、難しい」は言い得て妙。居酒屋タクシーも同じ。「居酒屋がなぜ悪いのか」や「税金の使途」を俎上に載せる記事は多いけど、「深夜残業」の意味を問う機会は少ない。官僚をやり玉にあげる絶好の機会といわんばかり。

では、なぜ官僚は深夜残業が多いのか。
結論的に言えば、官僚が通常の業務の他に、
政治家への対応に時間を取られているからである。

via: 財務省タクシー接待問題はなぜ起きたのか。 - かみぽこぽこ。

「質問取り」「質問主意書」を丁寧に解説してくださり、長妻氏の鬼の首を取ったような態度の解説までおまけつき。ブロゴスフィアでは専門家や政治に興味を抱いている人をはじめてとして、「なぜ深夜残業が発生するのか?」という問いから出発して論じている。ブログというメディアの醍醐味。

猫猫先生も怒っている。

『週刊朝日』の見出しはひどいなあ。「若者に気をつけろ」だって。実は私にも取材申し込みがあったのだが、通り魔無差別殺傷事件のようなものは五年、十年に一度くらい、社会的に不遇な者によって起こされているもので、当人の「彼女ができない」といった言に過剰に意味づけするのは間違いである、マスコミはこういう事件に意味づけしすぎる、と電話で言ったが、どうやら採用されなかったようだ。この手の事件に若者も中年もないのである。調子に乗るのもいい加減にしてほしいものだ。

via: 猫を償うに猫をもってせよ

同感。YouTubeには白黒映像がアップされている。昭和に発生した通り魔無差別殺傷事件の報道。ずいぶん古い。私が知らないスゴ本さんも憤る。

どの世代(職場・教室・地域)にも「困ったちゃん」がいるように、理不尽な要求を突きつける親たちはいる。しかし、そうした「困ったちゃん」が激増しているかのような印象操作をくり返すマスコミ・ライター連を見ると、「また君か」という気分になる。根拠と数字を元に議論しようよ。

新しい名前をつけて「発見」した気になるのはコロンブス・メソッド。ちっとは過去を見ろ。ママゴン、未熟児ならぬ未熟親、「ローカルちゃん」ママ、「責任転嫁」親、廊下すずめ、いろいろな名前で呼ばれてきた。「モンスターペアレントは、どこにいるか?」ではなく、「モンスターペアレントは、何と呼ばれてきたか」なんだね。

via: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: モンスターペアレントはどこにいるのか?

1936年まで時代を遡り、理不尽な要求を突きつける親の「名称」を紹介。

ブロゴスフィアに棲むようになってありがたいなぁと感謝する日々。知識が増える喜びじゃない。 「私の問いの立て方は稚拙だ」という認識をもたらしてくれる。知識を過度に軽視したりさげずむのは短見だけど、まずは知識を捨て去ることからはじめた。問いをゼロベースから見直す。「他者を受け入れる」というフレキシブルな姿勢を貫いているようで、その実確固たる己を持つことを私はもっとも恐れる。なぜなら、確固はやがて硬直をもたらし、ひいては停止に至る。

ただし代償は大きい。いつまでもたっても”頼りない”わけで。わはは。

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[Review]: 安楽病棟

安楽病棟“ケア”という響きに強さと脆さを感じる。「ケアすることで自分がケアされる」強さと「非対称の力関係」の脆さ。理学療法士(PT)の三好春樹さんは、「「介護」現場の目標は「臨床」ではなく「離床」にあるのだ」という(『共生から』P.76)。離床の意味は文字どおりかな。安楽病棟の人たちに離床はもらされたりするんだろうか。ケアを囲む離床の有無。私は「介護」を知らない。介護とケアの関係も知らない。安楽病棟にいる看護師はケアと口にする。介護という集合に含まれる要素のケアなのか、はたまた二つの独立集合が交わっているのか。読みながらつらつら思う。

一期一会、お招きした客人。主任さんが言ったその言葉は今でも耳に残っています。考えてみれば実にその通りです。旅先で人と巡り会ったり、あるいは仕事上で人と出会ったりするのと同じように、わたしたちは病棟で患者さんと出会うのです。まさしく一期一会に他なりません。それも頭ごなしに扱う患者さんではなく、招待する客人として接するのです。患者と思ってしまうと、もうそれ以上の何者でもない単色の人間になってしまいます。人であれば、色でたとえるなら赤黄青黒白という風に、ありとあらゆる色合いがあってしかるべきです。『安楽病棟』 P.460

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歯科医が中国へ進出

歯科医の増加と収入の減少、そこへ「差異を絶えず創出して利益を獲得する」という商売の根本を持ち込んだら中国へ進出となったようですね。こういう医療も医療なんでしょう。

京都府亀岡市で開業する泉要佑会長(48)が知人の歯科医や歯科技工士に呼びかけて結成し、昨年1月から海外視察や勉強会を定期的に開催。中国では日本の歯科医師免許があると、当局の許可を得るだけで滞在する外国人を診療できるとあって、メンバー35人の中には、すでに現地で開業した歯科医もいる。

上海市で開業した歯科医によると、ビジネスや留学などで同市に長期滞在する日本人約8万人。これに対し、日本人歯科医はわずか10人ほど。矯正など長期の治療で帰国後もケアが必要になるケースがあるほか、痛みの微妙なニュアンスを日本語で伝えたいというニーズがある。

一方、中国人富裕層も、手先が器用で高度な技術を持つ日本人歯科医への信頼が厚い。高額な医療費をいとわないため患者の単価が高く、「日本だと1日30~40人診て月収100万円だが、中国だと数人で80万円ほど」。中国人歯科医を技術指導しながら、富裕層を診療する地方もあるという。

via: 日本の歯科医が中国目指す 富裕層は医療でも「メード・イン・ジャパン」がお好き?

といっても、進出する先生方は利益追求を先鋒にしづらいでしょうし。

泉会長は「中国の市場規模は大きく経済的な魅力はあるが、日本人歯科医が中国で必ず成功するわけではない。しかし今後は中国人にも現地の日本人に対しても医療貢献が重要になってくるので、積極的な進出を促したい」と話している。

「医療貢献」というわけで。医療貢献と報酬のトラブル。一筋縄ではいかないのでしょうか。

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終身刑は判決じゃなく刑の運用では?

政治家は機会をうかがっている。裁判所も同じかなと穿ったり。光市母子殺害事件の上告審で主任弁護を担当した安田好弘氏に罰金50万円(求刑懲役2年)の逆転有罪を言い渡した(参照:NIKKEI NET: 安田弁護士に逆転有罪で罰金刑・東京高裁)。4月23日。光市母子殺害事件の差し戻し控訴審判決の次の日。逆転有罪かつ異例の罰金刑。そして今度は「終身刑」が出てきた。首をかしげる。

現行法では、死刑に次ぐ重い刑は無期懲役。しかし、法務省によると、平均25年程度で仮釈放されており、死刑より軽く無期懲役よりは重い刑として、終身刑の創設を求める声が少なくなかった。

平沢議員は議連の意義について「死刑廃止論とは相いれないが、終身刑の創設の部分では一致している。平行線の存廃論議と切り離し、裁判員制度で市民が悩むことになる前に解決しなければいけない」と強調する。参加予定者の中には、山口県光市で起きた母子殺害事件の死刑判決をめぐり、「終身刑の必要性を考えるきっかけになった」と話す議員もいるという。

via: asahi.com:死刑賛成派も反対派も「終身刑を」 超党派で議連発足へ - 政治

私のような市井の徒がいずれ司法に参加しなければならない。今の私は罰金を支払うつもりだけど。法律をまったく知らない。にもかかわらず、ちょっと本を調べれば、終身刑は「判決」ではなく「刑の運用」の問題を含むと理解できる。たとえば、現在でも「非転向」の政治犯は仮釈放を与えられにくい。日本赤軍がらみとか。なのに政治家は「判決」の問題として俎上に載せようとしている。政治家と司法は判決と刑の運用の峻別を丁寧に説明すること、それが求められているのでは?

以前、芸人やタレントがコメンテーターをしているテレビ番組で「終身刑にしたらええやん」みたいなコメントをしていた。感情を顕に正しいことを主張していると言わんばかりの顔で。そのコメントに対して、八代英輝氏が「判決と刑の運用の問題」をわかりやすく解説した。コメンテーターは沈黙。

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聖火リレーに踏み潰される花

長野聖火リレー

聖火リレーを終えた後、善光寺近くの沿道の花壇には踏み荒らされた跡があった。「地元不在」で終わったリレーに、街には不満がくすぶった(26日午後、長野市)

via: 踏み荒らされた聖火リレー沿道の花壇 | 時事ドットコム

まったく関心ないなかで唯一心を掻き乱された

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[Review]: チーム・バチスタの栄光

チーム・バチスタの栄光(上) 「このミス」大賞シリーズ (宝島社文庫 599) (宝島社文庫 599)チーム・バチスタの栄光(下) 「このミス」大賞シリーズ (宝島社文庫 600) (宝島社文庫 (600))

ベストセラーなんて読まない、特にコレは読まないって決めていたのに。ちょっと興味本位で『チーム・バチスタの栄光(上)』『チーム・バチスタの栄光(下)』手にとってしまった意志の弱さ。ペラペラめくるやいなや、レジへ直行して布団のなか3時間ほどで読了。ナニも書きません。ただただひたすら読みましたとだけ。ネタバレするし。

海堂尊先生や帚木蓬生先生などが書く医療小説。いままでの医療小説と違う新ジャンル。それは現場の医師が書く点。取材の限界を超えた現場が書く「描写」。そして、もうひとつ。現場の声。チーム・バチスタの栄光にも現在の医療現場が抱える「問題」が記されている。その問題は、「問題」にすら取り上げられていない。だから読めばぞっとする。

あとはロジカルモンスターの白鳥が最高。

もっとも印象に残った言葉。

すべての事象をありのままに見つめること。「厚生労働大臣官房秘書課付 技官 白鳥圭輔」

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[Review]: てつがくこじんじゅぎょう

哲学個人授業- 殺し文句から入る哲学入門 (木星叢書)「殺し文句から入る」哲学カフェ。永江朗氏が個人授業を受けるために鷲田清一先生のもとへ赴く。なんと贅沢な。23人の先人が残した「知」をテーマに繰り広げられる喫茶店での授業。小難しい顔で読むのはナンセンスかと思い、スタバでモカを楽しみながら気楽に読み始めた。毎回の「殺し文句」に興奮。エマニュエル・レヴィナスの講義には内田樹先生もゲスト参加。その一幕。

永江 研究室の看板は林床哲学研究室じゃないですか。でも、臨床じゃない哲学ってあるのだろうか。

鷲田 ない。僕の言う臨床というのは現場とかそういうのではないんですよ。他者を論じる時って、まず他者性について考えて、そこから触手を伸ばしてだんだんわかっていくという方法があるでしょう? レヴィナスは逆。いままでわかっていると思っていたことが、ある時、わけのわからないものになっていく。

内田 そうですね。

鷲田 臨床もそういうところがあって。臨床というと、「みんな苦労してはるな。助けにいこか」とか、「ケアしないといけない」とか思うかもしれないけど、僕はそういう臨床ってあんまり好きじゃない。そやなしに、「こんなもんや」と思っていた場所があって、助けにいこうと思って、そこに実際に立ってみると、いままでわかっていたはずのものが壊れていく。それが臨床やと僕は思う。

内田 なんと見事な。

鷲田 臨床って、何か世の中に大変な現場があって、そこに哲学のノウハウを使うとよくなるようにというのとは違うんですよ。身を置いたら、思っていたものが全部壊れてしまうという体験やね。

via: 哲学個人授業-<殺し文句>から入る哲学入門 P.107

バカな私は「臨床」を「経営」に置き換えて読む。怖いもの知らず。「苦労している現場」や「ケアしないといけない現場」があっても助けにいこうと思わない。むかしは助けようとしていた。だけど、自分にはそれができないと理解し離れた。それ以来、「実際に立つ」ようにした。いままでわかっていたはずの「思い込み」が音を立てて壊れていく。そこに「経営」があると思う。だから私は顧客に「解決」を売らない。売り方を知らない。「解決」も知らないし。私は「問題の立て方」を売る。「何が問題なのか」を徹底的に対話する能力。それを売る。必要とする顧客は少ない。「解決してくれ」と。だけど、解決するのは「臨床」であって、わたしはその傍らにずっとよりそうだけ。一度、問題を立てたら、顧客のそばによりそうだけ。すると、また「問題の立て方が間違っていた」という機会が訪れる。そのときはもう一度、「音を立てて壊れていく場所」に身を置く。顧客といっしょに。何度でも。

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