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ブログをKindleで、遺言です

パーソナルデータを世紀単位で保存できるのでしょうか?

ネットがパーソナルデータを世紀単位で保存できる仕組みを提供できれば、ヒトは情報に対して新しい概念を構築するんじゃないか、実現すればヒトはネット上で進化できるんじゃない? って想像しました。

まず、話を書くにあって以下の3つを想定していません。

  • 一企業の事業を想定していない
  • 新旧技術の対決を取り上げない(紙か電子書籍か デジタルカメラか銀塩かなど)
  • 専門的知識と技術を知らない

AppleはiPadを発表して電子書籍のプラットフォームを用意しました。iPadを使う広告写真を見ると、Appleは日常のシーンでもっとインターネットを提案しているように僕は感じました。生活のタスクをもっとオンラインへの提案です。

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一身独立して一国独立する

自宅で育てている花

貧富・強弱の有様は天然の約束にあらず、人の勉と不勉とによりて移り変わるべきものにて、今日の愚人も明日は智者となるべく、昔年の富強も今世の貧弱となるべし。古今その例少なからず。わが日本国人も今より学問に志し気力を慥かにして、まず一身の独立を謀り、したがって一国の富強を致すことにあらば、なんぞ西洋人の力を恐るるに足らん。道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ。一身独立して一国独立するとはこのことなり。

『学問のすすめ』 福沢 諭吉

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打ち手の小槌

琵琶湖

イデオロギーを論じあってみたところで、何になるのだろう? すべては、立証しうるかもしれないが、、またすべては反証しうるのだ。しかもこの種の論争は、人間の幸福を絶望に導くだけだ。それに人間は、いたるところぼくらの周囲で、同じ欲求を見せているのだ。

『人間の土地』 サン=テグジュペリ P.220

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人のフリを見ているだけでは我がふりは直らぬ

琵琶湖疎水の桜

現場といえば、「臨床」という言葉を思い出す。臨床医あるいは臨床医学というときのあの「臨床」である。
「臨床」は英語で“clinical” 。クリニカルというのは、ギリシャ語のクリーニコスを語源としており、ベッド(クリネー)に臥している病人のもとに行く医師を意味する。ベッドサイドに赴くということ、それがつまりクリニカルということである。

いまの臨床現場では、逆に患者が医師のもとを訪れる。臨床医は診察室に座ったまま、「次の方」というふうに患者の来室を待つ。往診というのもないではないが、めったになされなくなった。
診察のための装備が立派だからということもあるのだろうが、それにいまなら過重労働ということもあろうが、ならば臨床医ではなく病院医と名のったほうがいい。
入院すれば回診もしてもらえようが、そのベッドは病者がふだん臥している寝床ではない。

via: 鷲田 清一 – 新聞案内人 :新s あらたにす(日経・朝日・読売)

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どうなさいましたか?

皇子山公園の梅

「どうなさいましたか?」と、今の時期、製造業の社長へ尋ねたら感性を疑われるだろう。

「どうなさいましたか?」と、来院してきた時、歯ぐきの腫れで顔が変わった患者へ尋ねたら感性を疑われるだろう。

「どうなさいましたか?」と、予約の時間ぴったり、美容院に訪れたお客へ尋ねたら張り倒されるだろう。

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平積みが情報を収集しろと脅す

琵琶湖

大津パルコの紀伊国屋で平積みをスキャンすると、「情報を収集しなさい」と脅かされたような気分を味わえる。タイトルを一瞥して、「知っておかなければなりませんよ」と語りかけてくる。危うく手に取りそうになり、「知ったとしても理解できない」と自制する。「理解できない」は、「私はあの人を理解できない」とか「何を考えいるのか理解できない」といった「理解」じゃない。その本を糸口に自分で体系化して学べるか。あっ、無理とすぐにデリート。

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