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IMHO
個人情報に敏感 天に鈍感
- 2008-08-06 (Wed)
- Diary
Googleのストリートビューがはじまった。前の里のマンションが丸見え。ネット界隈は賑やかになってきた。Googleもプライベートについて方針を説明(参照: 「ストリートビュー」のプライバシー問題、グーグルが方針説明)。ひょっとすると個人情報に敏感な人は天の観察に気づいていないかもしれない。
6月の下旬に市役所から書類が届いた。住民税が還付されるかもしれないよと書いてあった。文章を一読してなんのことかさっぱりわからない。計算式もまったくわからない。とにかく同封してある申告書にサインして提出するようにとのお達し。期限は7/1-7/31まで。サインして7月の初旬に市役所へ行って提出した。まさに「渡した」だけ。あれから音沙汰ナシ。
以下、一般論じゃなくて勝手に不思議に思っていること。
どうして「渡すだけ」の時間なんて必要なのだろう。社会保障番号みたいなユニークがふられて、それをネットワークで入力すればサーバー側で受信して、必要な情報をDBから読み取り、還付金額を計算して、そのままオンラインで銀行口座に振り込めばいい、と思う。申告も同様。インターネットがある時代に「足を運ぶ」理由がわからない。
事務手続きのうち、「判断しないでいい」行政サービスや「数値演算」の計算サービスは全部サーバーに委託すればいい。こう書くと”セキュリティー”という免罪符がたぶん与えられる。免罪符は、公務員の雇用を守ってくれる。たぶん10人分ぐらいの年収を払えば、クラックに対抗できるシステム管理者を雇用できるだろうし、数万人の年収と取引すればシステムも構築できる(と妄想している)。
別に公務員に限らず。ああこうすればいいなぁと思うことを想像していけば、私は必要とされないなぁと気づく。その恐怖が自分の糧だと思う。自己防衛は自己の頭脳の拡大と増強。それを怠れば必要とされなくなるのはやむを得ない。まったく役に立たない自分に気づくこと。それを認めること。
「インターネットからの手続き」が「足を運ぶ手続き」より不便になるなんて奇妙奇天烈なシステムができあがる。何かが起きたとき自分たちの責任にしたくないから。
もうひとつ。ユニークの番号をふるなんてもってのほかだと憤る人はいるだろう。監視社会やプライバシー侵害が躍り出る。不思議だ。今、天は人工衛星を打ち上げ住所を入力すれば自分の家の真上なんて丸見えだし、今度は360度眺められる。年賀状に記された個人情報をインターネットで入力すれば、どんなところに住んでいるのか一目瞭然。
ネットワークが分散化していてもシステムは中央集権化している。情報はあちこちに散らばっていてどこになにがあるのか自分ですら管理できない。戸籍、健康保険、年金、生命保険…..。個人のフェイルセーフを勘案すれば、ユニークが漏洩するリスクよりあちこちに点在しているほうが健全という意見も予測できる。その健全と引き替えに膨大な数の公務員を雇用しているのだから、「個人情報はイヤだけど公務員をやめさせろ」は筋が通りにくい。
個人情報に過敏になっていくけど神の視点に鈍感になる。ネットワークが発達すればするほど不便になる。そうやってバランスをとっているのかもしれない。
今日も影が美しい。毎日、影を眺めていると影も同じじゃない。光に表情があるなんて。嬉しくなってきた。
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自分以外は天才
- 2008-08-04 (Mon)
- Diary
人格だけじゃない、すべての概念、価値観が混ざっていないのです。善と悪、正と偽、明と暗。人は普通、これらの両極の概念の狭間にあって、自分の位置を探そうとします。自分の居場所は一つだと信じ、中庸を求め、妥協する。けれど、彼ら天才はそれをしない。両極に同時に存在することが可能だからです。『有限と微小のパン―THE PERFECT OUTSIDER』 P. 127
記憶力が良い、計算が速い、走るのが速い、高く跳べる、重い物を持ち上げられる…..世界中の誰よりも。道具を使わない状況下では「誰よりも優れている」と評価できる。「誰よりも優れている」なかの「誰か」が道具を発明して、それを使えば評価は一変する。人間は道具を使う。そして、「誰」の範囲を「何」に広げた途端、人間は「何」かよりも劣る。道具を使わない状況下、道具を使う状況下、「何」との比較、それらいずれにも当てはまらない価値を人間は持つ。人間が持つ価値。それは思考。
“天才”を思考したことがない私が、言葉に還元された「天才」に出会って、「意味」を知る。思考は言葉に還元される。こう書くと、思考は言葉によって行われるように受け止めてしまう。受け止めてしまえば躓く。それを疑問に抱くかどうか。
自分の思考を表現する手段として言葉を選択したとき、意味を判断して、必要と無用をフィルタにかけ、的確な単語を選び、適当な文字数を算出して道理の文章を脳裏に描き、発話する。それらを瞬時にフロー化できれば、接続詞はいらない。言い訳なんて単語は辞書から消えるだろう。
「人間のほとんどは馬鹿です」犀川は立ち上がりながら微笑んだ。「僕の試算では、九十四パーセント。ただし、忘れないで下さい。馬鹿は、悪いことではない。低いことでもない。卑しいことでもありません。死んでいる人間は、生きている人間よりも馬鹿ですし、寝ている人間は、起きている人間より馬鹿です。止まっているエンジンは、回転しているエンジンよりも馬鹿です。それが馬鹿の概念です」『有限と微小のパン―THE PERFECT OUTSIDER』 P.425
他者と馬鹿の概念が一致していれば、感情を考慮にいれる回数は減る。オブラートに包んで伝えるなんてフレーズは存在しない(その行為がすでに馬鹿なのだろうけど)。いや、伝えない方がいいのかも。伝える/伝えないの判断すらできないから私は馬鹿なんだ。「それは言い訳です」と相手に言えば終わる。だけど、その言葉は勇気を私に求める。相手に対する勇気じゃない。自分へ課す勇気。果たして自分はそこまで自分を制御できているのか。否、言葉と勇気を関係づける考えが愚かだ。
私は自分が馬鹿だと思っている。その集合は私一人。それ”以外”は天才。ただし、「思考」を認識できていればのお話。たぶん認識していない。だから、犀川助教授が指摘する馬鹿ではなく、私はいわゆる「馬鹿」だなと納得。
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何かのせい
- 2008-07-24 (Thu)
- Diary
たとえば、「子供に夢を与える」と言いながら、本当に夢を見る者を徹底的に排斥しようとする社会。集団はいったい何を恐れているのだろう。多くの大人たちは怯えて何もできない。ただ作業をするだけ、子供を育てるだけ。新しい目的に挑戦している者は少数である。それなのに、子供には挑戦させようとする。自分たちにはとうてい消化できないものを子供に与えている。こんな動物は他にいるだろうか? 『夏のレプリカ―REPLACEABLE SUMMER』 P.14-15
「人のせいにしてはいけません」と子供のときに叱られた。「他人に迷惑をかけていけません」と子供のときに諭された。「謝りなさい」と子供のときに教えられた。大人の言葉は正しいのだろう。だけど「正しい」は世の移ろい。言葉の意味は認識する人によって変わる。「正しい」と発声した途端、言葉の内側に包まれる「正しい」は外側に広がる「わからない」を対象から隠す。内側と外側の境界に「間違っている」が囲っている。
「人のせいにしてはいけません」と言った大人は、「社会のせいにしていけません」と言わない(ゼロじゃない、断定調に自己陶酔)。それどころか「社会のせい」にしたがる人もいるぐらい。不思議だ。「人」と「社会」を使い分ける。社会は表象しづらいから制度に置き換えたり。制度も腑に落ちないなら公務員、政治家、官僚、経営者…..。集合の範囲を狭める。抽象から限定へ。限定はラベルにすぎない。「人のせいにしてはいけません」の人が構成する仕組みの名称だ。名称なら「せい」にできる。実害はない。
「正しい」の外側にある「わからない」を認識しようとしない。恐い。恐いから「何かのせい」にしたい。したいけど「人のせいにしてはいけません」という「正しい」がある。大人が「正しい」を言った。大人が言った「正しい」は彷徨い、すべての「正しい」が子供たちへふりそそぐ。そして大人は「正しい」を忘れる。自分が言った「正しい」だけを残して。
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見ているものより見落としているもの
- 2008-07-19 (Sat)
- Diary
昨年からラディッシュと青紫蘇を育てている。育てると書けばおおげさなので家庭菜園の初級といったところ。
昨年も今年もムシがやってきた。ムシが青紫蘇やラディッシュの葉を食べている。下の写真(拡大版)の中央にいる。特にラディッシュの葉は穴だらけに。それがおもしろい。昨年はオモシロイだけだった。今年、水をやりなりながら小首をかしげた。
「どうしてムシはココに葉があると認識しているのだろう」
そぞろ歩き(ムシに使うのは変だけど)をしているとたまたま葉があったとか(そんなわけない)。じゃぁ、嗅覚か触覚か視覚か。はたまた、親が産みつけてもともとココで生まれたのか。疑問はつきない。
日常の生活に身を沈めたとき、見ているものより見落としているもののほうがたくさんあると思う。あたりまえと受け取ってしまうから不思議に思わない。「不思議」という言葉を頭に思い浮かべる時間と空間が少なくなっているのかもしれない。
京都の町屋は鰻の寝床。その玄関の前に立ったとき、奥行きを脳裏に描く。無意識の作業。住宅も同じ。玄関の真正面に立って側面と裏を無意識に描く。空間の認識を映像として補完しているのかなぁと勝手に想像している。それは「不思議」よりも反復作業みたいなものだと。だけど、いざ鰻の寝床に招かれたとき、奥行きが頭の映像より深ければ驚く。頭で描いた仮想現実と身体が感知した実体とのズレに違和感を覚えるからなのか。差異を認識できたとき、不思議がやってくる。
鏡も不思議だ。毎日歯を磨きながら上下がひっくりかえらないのはなぜだろうと。左右は反転するのに。上下は反転しないのか。
森羅万象の仕組みに不思議をあてはめて探求できれば解決できるかもしれない。だけど不可能だ。不可能よりも先に精神が破綻をきたすかもしれない。だから頭は強制的に「スルー」させているのだろうか。そんな不可能を評価したあと、スルーし続けるか、それとも抗うか。それは身体の反乱。頭と身体の二元論を超越する苦行。
私の目の前にいる人々。私はその人を見えている。だけどほんとうは見落としているもののほうがたくさんあるのだろう。見落としているものがたくさんあると認識させてくれるのは他者でしかない。
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必然の伝えると偶然の伝わる
- 2008-07-16 (Wed)
- Diary
考えていることを伝える。「それは”考える”ではない」と指摘されても。伝える手段はたくさんある。数多のなかから言葉を選択する。言葉は無限か有限か、今の私は知らない。その前に思考が無限か有限かも知らない。もっと前、「思考」をしたことがないと思う。極めて少ない己の語彙を取捨選択して伝える。伝えるは言葉を選択した者に訪れる必然。だけど伝わるのは偶然にすぎない。
伝えることを表現したとき、「伝える」とおりに「伝わる」機会はやってこない。いかように伝わっているかを知るよしもない。否、そもそも自分が発話した言葉が自分の耳に到着したとき愕然とする。「伝えることはそうじゃない」と。常に自分は遅れてやってくる。その自分に呆然とする。
Action is eloquence
必然の伝えると偶然の伝わるに拘泥したとき、我が身に訪れた。表現しているのは行為、それを言葉にした。煌びやかな逆説。
伝えると伝わるに存在する径庭。そこに伏流する言葉。そして最後に思考。最後にして原始の思考。
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堺雅人の徳川家定 実像と虚像
- 2008-07-13 (Sun)
- Diary
猫猫先生もやばいぞとおっしゃる篤姫 (NHK大河ドラマ)。たしかにやばい。以下、敬称略。
何といっても、「実は賢君」だというフィクションの将軍がまずかったね。原作とも史実とも違うのだが、うまい。宮崎あおいまで最近かわいく見えてきて、大変やばい。フィクションと割り切って考えれば、シナリオの質は高いのである。
山南敬助のイメージを確定させてしまったように第13代将軍徳川家定の虚像を構築したと思う。フィクションの家定はとかく震撼たらしめる。うつけを演じている時と賢君を演じているとき、両方を視聴者が見分けられるように堺雅人は演じる。演技の演技。視聴者が「暗愚か賢君か」の見分けが今日までつかなかったとしたら今ほど盛り上がらなかったのでは。支持される理由のひとつに、「わかりやすい」があるのではと(夫婦愛もふくめて)。
徳川将軍家を論じるとき、医学(科学)と歴史学を峻別して論じないと誤解をまねく。あとは闇の部分。前回、「長年毒を飲まされ続けたわしの身体はもうボロボロじゃ」と徳川家定は吐露した。日の目をみない事実もあったと思う。それは歴史じゃないとも。歴史は連続しているように錯覚してしまうけど、日常に埋もれた膨大な事実の断片をつなぎあわせた認識でしかない。認識を歪めるのは観察者。歴史学の実像や医学の仮説は、子孫が続く家の場合、ありのままに描写しづらいのではと穿ったり。差別や不快用語の範囲がひろがり、建前の倫理が表現を制限する「テレビ」をやるならNHKでも視聴率を看過できないわけで。そのへんの配慮が原作から差異を生じさせたのでは。
伝えられているように、天璋院篤姫が終生処女だったかもしれず(当時の女性としては悲劇)、島津斉彬の幕政への参画や大奥との確執、側室の妨害なんかの変数を将軍家と幕末の方程式に算入すると、(今の価値基準に参照すれば)解は不幸。四面楚歌の篤姫は徳川家定と画面で見受けられるような仲睦まじい夫婦であったかどうか、「おわ(あ)たり」がどれほどあったのか(数えるほどではと)なんて慮る。側室をあんまり全面に出すのも憚れる。じゃぁ、なんであんなにも徳川家のために奔走したのかというギモンが。そういった現代の価値基準を括弧に括って、論理だけで割り切れない、置換すれば、「画面に映らない」部分を自分で調べていくところに大河ドラマの虚像に対する好奇心がわいてくる。
それにしても、今回の配役を構想した人に拍手。いやぁ高橋英樹(島津斉彬役)が時代劇に必須と再認識。というのも、宮崎あおいや瑛太をはじめとする若い俳優が発話する「声」を聞いていると、どこか「ためらい」があるのかなぁと思う。自分たちが使わない言葉を発話する声が自分の耳に届く。それを確認しながら演じると、日常の自分と演技の自分に、普段の俳優以上の差異を身体が感じとってしまうからと考えてみたり。
ところが島津斉彬はもう成りきっているというか、外連味のない芸に達しているような印象。まるで日常生活のときからそんな言葉遣いをしているかのようで。違和感を自分のなかで抱いていない。「自分」と「自分」の間にズレがない、と勝手に私は楽しんでいる。
そのなかでやっぱり堺雅人が秀でている、ずば抜けていると勝手に唸って勝手に喜んでいる。だって大ファンなので(笑)
いや、ホント、強烈だよ、あの暗愚か賢君かの演じ方は。ときおり現代風なコミカルなふるまいをまじえて楽しませたり。
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7×7=49
- 2008-07-13 (Sun)
- Diary
『ベア速 12×12=144の素敵さ加減』のスレがたまらなくおもしろい。「7は分数にすると美しい」にうっとり。『すべてがFになる―THE PERFECT INSIDER』に登場する真賀田四季が、西之園萌絵とかわす冒頭の会話を思い出す。書棚からひっぱりだして再読。ちなみに私はミステリィを読まなくなった(大学まで読んでいた)。「誰がどのように殺したか」に興味を抱かなくなったから。ミステリィの目的はエレガントなトリック。その目的に関心が薄れた。だけど、森博嗣先生のS&Mシリーズと真賀田四季は別格(Vシリーズは位相が違う、だけど堪能)。エレガントなトリックは手段。では目的は何か? わからない。考えろと読者に啓示しているかのよう。ゆえにいまだに再読する。答えは知っているけど、問題を考えたいから。
真賀田四季は面会に訪れた西之園萌絵に指摘する。
「いいえ、貴女は気がついていないのね。初めて九九を習ったとき、貴女は、7の段が不得意だったはずよ。幼稚園のとき? もっと小さかったかしら? 7は特別の数ですものね。貴女、兄弟がいないでしょう? 数字の中で、7だけが孤独なのよ」『すべてがFになる―THE PERFECT INSIDER』 P.12
そして問いかける。
「[...]1から10までの数字を二組に分けてごらんなさい。そして、両方とも、グループの数字を全部かけ合わせるの。二つの積が等しくなることがありますか?」
「ありません」萌絵は即答した。「片方のグループに7がありますから、積は7の倍数になりますけど、もう片方には7がないから、等しくなりません」
「ほら、7だけが孤独でしょう?」真賀田女史が言った。 同 P.16
「7だけが孤独」って美しい響きだなぁと思った。そして7×7は49。日本人なら忌み嫌われる数字が二つ並ぶ。
孤独と孤独を乗ずると死と苦が訪れる。なんとも美しい凛とした数式だと思う。
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iPhone vs PC
- 2008-07-10 (Thu)
- Article
テレビ、ラジオ、新聞、雑誌のマスコミ4媒体(4マス)とネットを合わせた1日当たりのメディア接触時間は、昨年の調査時よりも5.6分減って319.3分。このうちPCからのネット利用時間は2.4分減って59.4分、携帯電話からの利用時間は3.6分増えて17.7分だった。 4マスでは、新聞のみ0.3分増えて28.5分だったが、テレビは2.3分減って161.4分、ラジオは4.1分減って35.2分、雑誌は0.7分減って17.1分だった。 性別・年齢別で見ると、総メディア接触時間は、若年層でここ3年減っている一方、男性40、50、60代と女性60代は増えている。
「減少」の定義に問題が残るのではと小首をかしげつつ、私も減った。24時間からパブリックとセミパブリックの時間を差し引けばプライベートの時間になって、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌といったメディアは時間(=パイ)の奪い合いをしてきた。そこへ、インターネットがやってきてPCが参入。次にケータイ。パイの奪い合いはますます激化。おまけにここ数年、海外動画サイトの波がおしよせて、私はもっぱらそっちを使っている。おかげでテレビの前に坐って視るのはスポーツぐらい。スポーツ観戦も減らしつつあったりして。
自分がインプットしたい方向性を検討して24時間の「引き算」をすると、答えはカンタン。ただ、自分のなかで問題を設定するのに苦労した。だから、今はどんどん引き算して、空いたリソースと時間をインプットに費やしている。アウトプットは尊敬する方々との対話(M先生、F先生、O先生、Kさん、Oさん、Hさん…etc)とブログ程度。コメントをくれるEさんとも対話してみたいけどタイミングやキッカケとか。
いよいよiPhoneが日本へやってくる。
11日に発売される米アップルの携帯電話「iPhone(アイフォーン)」に対応したウェブサイトの導入が広がっている。画面に指で直接触れて操作する機能を踏まえ、使い勝手をよくした。
iPhoneはパソコンと同様にインターネットのサイトが見られるが、文字などは一般に小さく見づらい。そこで、ポータルサイト国内最大手のヤフーは11日から、iPhone用のサイトを開設する。天気、メール、オークションなどよく使われる12の機能をアイコンで大きく表示した。
ネット証券の楽天証券も11日から、iPhone用のサイトを新設し、市況情報などを指先で拡大・縮小して閲覧できるようにした。
iPhone向け電子コミックもいずれ登場する。
セルシスは7月9日、アップルの「iPhone 3G」「iPod touch」向けに開発中の電子コミックビューワを、東京ビッグサイトで7月10日から同13日まで開催される「デジタルパブリッシングフェア2008」の同社ブースで初公開すると発表した。
via: iPhone 3Gで電子コミック――セルシス、iPhone向け電子コミックビューワを開発 - ITmedia +D モバイル
そしてちょっと興奮気味の人が記事を書いたらこうなった。
iPhone 3Gを日常的に使ったこの2週間、筆者はずっと5年後の未来に時計を早回しにしたような感覚を持っていた。インターネットの世界にシームレスにつながり、さまざまなデジタル情報にダイレクトに触れて操る。そこにはケータイの未来、コンピューティングの可能性があふれている。率直に言おう。iPhone 3Gのある生活は、とても楽しく、エキサイティングだ。
7月11日、iPhone 3Gが発売される。
なんで「5年後の未来」なのか私にはさっぱり。無線LANのインフラと通信機能を除いたiPod Touchもどきが発売されればインターネットの世界にシームレスにつながる。ただ、それでは携帯キャリアはめしのたねを取り上げられるから自ら進んでインフラを整備しない。無線LANを提供する企業も巨人を敵に回したくないからとりあえず無難な場所に設置して折り合いをつける。
で、なんといってもユーザー。5年後、全員がiPhoneを使うわけもなく、「ある一定数」が存在してその一定数のほうが市場のパイが大きいならそちらへ目をむく。というよりも、今はiPhone vs PCの図式を鮮明にしたがってるかもしれないけど(vsじゃないよとツッコミつつ)、少なくとも5年後ぐらいにはケータイを持たないライフスタイルにしたいなぁと、私は願ってる。インターネットの世界にシームレスにつながっていることを意識させない端末さえ手に入れられれば、通話機能もいらないし、もう少しふみこめば、アンケートにあるメディアに使う自分のパイは今後ますます「減少」すると思う。
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論理的に破綻する効率的な文章
- 2008-07-08 (Tue)
- Diary
ITベンダーの営業担当者にはもっと、当社の業務を理解しようという姿勢を見せてもらいたい。提案書を見て、「使い回している」と感じることが多く、がっかりすることもある。
なるほど。毛色の違う話をひとつ。文章を書くとき、自分の言葉を大切にしたい。ただし、自分の言葉とは”オリジナル”じゃない。私には書けない。私が言う「自分の言葉」とは自分で考えて書く文章。じゃぁ、「自分で考える」の意味がのしかかる。
自分の言葉で書かない人に、「論理的に破綻する効率的な文章」を書く人がいる。おかしな言い回しだけど。「効率的」というのは、崩せばコピー&ペースト。おかしい、コピー&ペーストなら「論理的に破綻する」わけない。にもかかわらず論理的に破綻するのは、前後の脈絡をとばして文章をつなぐ由。その文章は、豊富な知識と専門的な単語が配列され、ときおりカタカナが混じってトレンドの単語がちりばめられている。最初はウンウンとうなづけるけど、数行、数ページほど読み進めると、混乱する。一体、ナニが言いたいのかと。部分は論理的にコピー&ペーストされている。ところが前後の文脈が欠落しているから、部分が全体になったとき破綻している。
テンプレートは情報と流行の量で書かれた文章。量を否定しない。ただ、「量」の書き手はその「量」を上回る読み手の出現によって退場を命じられる。もしくは、常に自分より「量」の少ない読み手を探す旅に出る。その量が顧客から受け入れられているのであれば、それでいい。それだけの話なので。
自分の言葉で書く人に、「論理的に破綻した非効率的な文章」を書く人がいる。おかしな言い回しだけど。「非効率的」というのは、崩せば難産の文章。一行書くのに一日かかることもある。おかしい、そんなに時間をかけるなら「論理的に破綻する」わけない。にもかかわらず論理的に破綻するのはなぜか。それがわからない。わからないから、読んでいるとワクワクする。最初は一体ナニを言っているのかわからないけど、数行、数ページほど読み進めると、ウンウンとうなづける。「わかった」までいかないけれど。
テンプレートは情報と流行の質で書かれた文章。流行の質とは、トレンドをスルーした構え。質の書き手は質を上回る読み手の出現によって、「創る」。量に左右されず、時代の濾過に耐えようと苦しむ。
最後に天才。天才は論理を破綻させずに一切の無駄を省いて文章をつづる。一分の隙もない。「天才」の判断基準と定義を私は持ってないので巡り会えず。この先もお目にかかることもないだろうし。ただ想像で書いている。天才が綴るそぎ落とされた言葉。その言葉が描く矛盾を超越した世界。そんな妄想を抱く。
「意味不明」は拒否するけど、「わからない」には感謝したい。「論理的に破綻する効率的な文章」に解多し、「論理的に破綻した非効率的な文章」に問多し。
天才の文章にはナニが棲んでいるのだろう。
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マクドナルドと老人 突然変異の若者
- 2008-07-03 (Thu)
- Diary
午前中、制作中のサイトで使うサーバーの設定に四苦八苦。今回はWordPressで制作。同時進行でもうひとつ。こちらもWordPress。WordPressのサイト構築は諸刃の剣…..かもしれない。ウェブサイトのマネジメントは効率的に。反面、クライアントはカンタンに更新できるので、私は御役御免も。ここからが腕のみせどころ。クライアントだけの更新と私が支援する更新との差異を体感してもらわなければ(笑)
午後から近所のマクドナルドへ。190円の書斎。WIRELESS GATEに契約しているからマクドナルドでネットにつながる。最近、ここを通りかかるとマック難民なる言葉が脳裏をかすめる。
「マック難民」という言葉が誕生した。ハンバーガーショップ「マクドナルド」の24時間営業店舗に「寝泊り」する人々のことで、多くは日雇い労働者風男性だが、高校生などの若年者もいる。「アパートが借りられずマンガ喫茶に寝泊りしていた人達が、単価の安いマックへ移った」という背景もあるらしい。マクドナルドも対応に困っている。
ただし客層が記事と違う。年配の方が多い。私の前に3人の老人たち。お店側も慣れているようだけど、やっぱりテンポが合わない。で、スタッフが注文内容を聞き間違えたか、あるいは老人たちが言い間違えたか、とにかく注文した商品がでてこなかった。老人は店に苦情を申し立てる。その言い方が耳に残った。居丈高な物言いに聞こえた。私の耳は程度が悪いのであしからず。
私はホットコーヒーを注文して老人たちの隣に腰をかけた。5分ほどすると着信アリ。一人の老人が甲高い声で話し始める。どうやら今ドコにいるのかとの友人からの電話。マックにいるからおいでと。以下、つらつら書きつづるよりもよきにご想像のほどを。
耳学問で恐縮。市場は団塊世代や老人へとシフトしている一方で、その世代に隠れていた貧困がうごめいているらしい。今風にいえば格差とのこと。どこまでほんとうの話か知らないけど、マクドナルドに座る人たちを眺めてなきにしもあらずかと独りごちる。
老人を枕に言いたかったこと。それは老人そのものじゃなく老人たちのふるまい。言葉づかい、店員への物言い、食事中のしぐさ。3人から世代まで風呂敷をひろげるのは短見。とはいえ、突然変異のごとく「キレる若者」が生まれたのであるまい、と私は思う。
それを備忘しておきたかった。
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