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愛嬌たっぷりの耳毛

愛嬌 接する人に好感を与え、思わず話しかけたくなるような親しみを誘う物腰。

『新明解国語辞典 第6版 並版』 山田 忠雄 (3)

愛嬌たっぷりの顔、そんな人に出会うと羨ましい。愛嬌って抽象的だし視覚的やけど、ユニークな基準が何となく頭に格納されとる。その基準を他人と共有するようなシーンになかなか遭遇せん。ああ、そういえば、愛嬌、って単語を会話で使わんな。ご愛嬌はあっても。

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開いた扉をいつ閉じるのか

奈良で買ったパン

三人に共通しているのは、「オープンマインド」ということである。
いつもにこにこしている。
これは「たまたまそういう人だった」ということではない。
この方々は、人間は「理解しがたいこと」を受け容れ理解しようと願い、それを受け容れるために脳の容量を押し広げているときに脳の情報処理能力が最高速になることを体験的にも理論的にも熟知しているからである。
「心を開く」ときに、脳の演算能力は向上し、「心を閉ざす」ときに、脳の機能は劣化する。
怒ったり、憎んだり、嫉妬したりしているときに知性の機能が上がるということはない。

via: 河合塾でお話 (内田樹の研究室)

Kさんから話を伺っていて、ぼくの欠点を認識できた。それを内田樹先生がエントリーで表現してくださっていた。まさに、

自分と意見の違う人の頭の中ではどういう推論がなされているのかを想像的に追体験してみる

via: 河合塾でお話 (内田樹の研究室)

が、欠落している。ぼくはこのプロセスを体験していないから、他者との会話不全に陥っているんだな。理解できた。意識して行動しよう。追体験しよう。

創発を知らない組織の散発

紫陽花

われわれの道徳や生活の大部分は、いつでも義務と自由とが入り交じった贈与の雰囲気そのものの中に留まっている。幸運にも今はまだ、すべてが売買という観点から評価されているわけではない。金銭面での価値しか持たない物も存在するが、物には金銭的価値に加えて感情的価値がある。われわれは商業上の道徳だけを持っているわけではないのである。いまだ過去の風俗を持ち続ける人々や階級が残っているし、われわれのほとんどは一年のある時期もしくはある機会に過去の習慣に従う。

『贈与論 (ちくま学芸文庫)』 マルセル モース P.260

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余計なお世話を焼けば焦がしかねない

サンパチェンス

外界の知識(情報)と頭の中の知識(情報)は、どちらも私たちの日常の活動にとって本質的な役割を果たしている。しかし、そのどちらの方をより重視するかは、ある程度は私たちが選択することができる。しかしこの選択にはトレードオフがつきまとう。すなわち、外界に知識を置くということの利点を使おうと思えば、頭の中に知識を置くことの利点が失われる。

『誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論』 ドナルド・A. ノーマン, D.A. ノーマン P.128

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鳩はオジサンを知っている

  鳩に餌をやるおじさん

05/10、おにぎりを作ってGIOSにまたがり琵琶湖を走った。お腹が空いてきたのでベンチに座っておにぎりを食べていると、真上の木の枝に鳩が2,3羽止まりだした。ん、おにぎりを狙っているようではない。降りてこない。気にせず食べ続けた。そしたら、鳩が5羽に増えた。なんだか様子がおかしい。地面にも鳩が集まってきた。

鳩が集まりだして5分もしないうちに、プリンスホテルの方角からオジサンが自転車に乗ってやってきた。オジサンさんの走行している姿を遠目で見てびっくりした。鳩が2羽低空飛行(おじさんの肩の付近)。な、なんだ、なんだ。

オジサンは僕のベンチから5-7mほど離れて自転車を止めた。ちょうど、鳩が集まっていた場所。そしたら、真上の枝に止まっていた鳩がオジサンのもとへ行った。

餌だ。

不思議。鳩を知っている人にはあたりまえ(の行動)なのかな。鳩は

  • オジサンを認識しているのか?
  • オジサンがやってくる時間を知っているのか?
  • オジサンが止まる場所を覚えているのか?

どうか、鳩に詳しい人へ訊ねたかった。もう気になってしょうがない。とにかくオジサンよりも鳩がどうやって理解しているのか興味を持った。

そこへカラスが1羽やってきた。デカイ。オジサンは、「ああ、またきたな」とでも言いたげな顔をして、餌を鳩の群れから少し離れた場所へ放り投げた。オジサンの手慣れた動きに再び吃驚。

カラスも鳩に近寄らず、餌が「いつもの場所」に飛んでくるまで待っていた。カラスは餌を口にくわえて近くの電線に止まった。大きな餌を口にくわえてどうすんの? と思って見ていたら、カラスは電線のカバー(? 電線を覆う丸い筒状の物体)の中に餌を入れた!

そして、すぐさまオジサンのもとへやってきて、また餌をもらって同じ電線へ行き、入れた!

なんだか、一人興奮してオジサンと鳩とカラスに釘付けなってしまった。

The known the unknown 奇智

カレー

情報については、同一性に関する心配はない。どこまで行っても、それ自体は固定しているからである。ところが固定しているものは、定義によって、なにも生み出すはずがない。つまり情報を生み出すのは、生きて動いている実体であるほかはない。だから細胞-遺伝子、脳-言葉なのである。原子が素粒子に分解していったのも、同じ理由であろう。
原子のままで固定していたのでは、変化が生じえないからである。究極の粒子は、もしあるとすれば、情報か実体か。むろんそれは情報であるほかはない。実体なら変化してしまうからである。変化したら究極の粒子にならない。しかしそうした究極の粒子は、おそらくなにも生み出さないであろう。だから究極の還元論は成立しない。私はそう信じている。

“養老孟司の人間科学講義 (ちくま学芸文庫)” (養老 孟司) P.78

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