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GR DIGITAL Ⅱ

ペットボトル1本分の距離

昨日、皇子山公園で写真を撮っていた。15時頃の光がとても好き。やわらかい感じで、しなやかにのびていく。その頃に散歩へ行く。とても大切な時間。同じ風景を眺めながら散歩していると、頭の中では映像と単語が次々と浮かんでは消えてゆく。消えないように待ってと手をのばす。

皇子山公園の紅葉

そろそろ引き返そうかと思ったとき、横道から老夫婦が歩いてきた。どこへ行くのか立ち止まって後ろから見ていた。二人は急な下り坂を慎重にゆっくりゆっくり、手をつないで歩いていた。すぐに追い越してしまいそうだったので、僕はもう少し写真を撮っていた。

老夫婦

ふと気がつくと、老夫婦の姿が見えなくなったので、二人が下っていった坂道をトレースした。左手に僕の好きなベンチがある。そこに二人がいた。9年ほど前に僕が住み始めた頃、琵琶湖を望めた。今はマンションが並んでいる。

老夫婦

ファインダから見えるペットボトル1本分の距離。すごく素敵な空間だった。少しの間、見惚れていた。すると、奥様は右手でどこかを指さし、旦那様の方へ躰を少し傾けた。奥様と旦那様とベンチで、二等辺三角形みたいな形なった。その中にペットボトルがあって、隙間から向こうが見える。二人の姿を照らす光が美しかった。

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誰の口コミか?

利回り3%の新米でkonanさんからコメントをいただいた。「食に口コミはつきもの」というフレーズがステキだと感じた。僕の記憶からkonanさんを呼び出し、それを思い出に変換して懐古する。そのとき、口コミの原動力を理解できたように思う。

兼六園の交差点

口コミのもととなる商品の品質やそれを販売している人たちの話を聞く。ウェブサイトを運営しているならアクセスしてみる。口コミの内容やウェブサイトの文章が、購入の判断に影響を与えていることはたしかだろう。だけど、そもそも、口コミの最初、「いちばん最初に口コミしてくれた人」という問題がとても大切だと思う。そのクチコミは誰からやってきたのか?

兼六園

口コミが伝染するプログラム口コミび作り方口コミの手法が開発されるようになって、「クチコミ」自体に価値はなくなってきた。それでも、Amazonや価格.comのレビューが気になったり、食べログの評価を参照する。Amazonのレビューには、「アレ?」と首をかしげたくなるキャッチーなテキストがあるし、価格.comも同じ。以前、日本の伝統品を扱っている業者の方から、サクラを雇って某オークションの評価を向上させる方法を耳にした。それも口コミだ。

21世紀美術館

口コミが開発されると、口コミの品質は低下する。口コミの手法が複雑に、口コミの内容が創作されるほど、口コミの品質は低下して、「誰からか」が判断材料に。ひょっとすると皮肉かなと思う。

「購入者が増えつつある」というKファームさん。konanさんが口コミしているから、周りの人が購入しているのかなぁと想像したり。もちろん、品質や生産者のお人柄は言わずもがな。結局、自分の周りにほんとうの情報を伝えてくれる人がいるかどうか。ほんとうは、情報だけでなく人にも修飾するなと感じた。いやいや、人に修飾するほんとうがほんとう。

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そこどけそこどけ私が通る

自転車に乗っていると、日向と日陰が交互にやってくる。ここ数日、日向と日陰の温度差を肌で感じる。真夏なら、どちらも暑い、と口からもれる。 今は、暑いと思ったら、肌寒いのくり返し。せわしない。暑いと感じて、汗が滲み出る前にひんやりとする。`日向から日陰へ、あるいはその反対のグラデーションに巡り合うことはない(あたりまえか)。

琵琶湖の湖東側

あくまで主観的観測だけれど、自転車道同士が対向しようとするとき、上の世代の方ほど避けない(避けるそぶりを見せない)と感じる。今日も、50代ぐらいの男女と数人すれ違ったが、互いが中央を空けるように左右にそれたのは、クロスバイクに乗っている男性だけだった。

自転車のフレームから望む琵琶湖

今日だけに限らず、少し、被害妄想的に書くと、「私が通る」という人がいる。道路の中央を走って避けない。避けない人の中には、結構なスピードですれ違う年配の方もいらっしゃる。正直、怖い。と、そんなことを書こうと考えながら自転車に乗っていたら、角を曲がりかけたとき、ヒンヤリした。危ない危ない。

なぜ避けようとしないのかは、わからない。運動能力的な要素か、あるいはバランス感覚の問題かもしれない。だとしたら、僕がその歳になって自転車に乗っていないと、「ああ、あのときの疑問が解けた」と氷解しないだろう。

自分の影

反対に若い人は、左右に避けるか、スピードを落とす。ただ、最近、左右の判断がつかず、ハンドルがユラユラしてしまう機会が増えた。これは、僕の身体能力が著しく低下したからだと評価している。そう評価するから、慎重に乗るように心がけている。

身の回りのごくわずかな人の行動観察から敷衍することは愚かで危険だと自覚した上で非難すると、自分でコントロールできる範囲は、他人を前提にしないほうが得策だと思う。「自分がコントロールできる範囲」がどこからどこまでかという問題が問題だ、と認識しているけど、その範囲を吟味するかしないかは、雲泥万里と思う。

人の振り見て我が振り直せと言うけど、自分の影を見落とす方が怖い。ややもすれば、影がないかのよう。日陰に突入して影がなくなった安堵、日向に突然現れる自分の影。影に追いかけられ、追いかける。そして、影を忘れている。影はどこからやってくるのか。コントロールしたつもりでも、日陰に乱される。やだな、足元が映らない影なんて。

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満腹より空腹が難しい

先週の土曜日、所用があってJR京都駅の伊勢丹へ行く。5Fか6Fの紳士フロアを横目に8Fへ。そういえば、伊勢丹新宿店メンズ館の売れ行きが好調、との記事を何かで読んだはず。東京の成功を京都にもか、1,2年後が楽しみ(悲観的)。8Fで所用をすませ、10Fへ。女性陣の消費欲に驚く。消費欲に年齢は関係なし、といったところ。

きつねそば

異様な熱気に包まれた10Fを後にしてデパ地下へ。ここも、独特の熱気に包まれていた。消費欲と食欲、いずれも欲が司る笑顔が館内に溢れる。昨年あたりから、満腹よりも空腹が難しい、と理解しはじめた。小腹が減ると、つまみたくなる。そういった習慣をやめたくて、空きっ腹にまずい物なしを試みる。今の自分には、1日1.5食ぐらいがちょうどいいようだ。

鯖ずし

デパ地下で鯖ずしを3個半食べた。5個のうち2個はあぶり鯖。これは、1個で充分だった。残り2個半、もうお腹がいっぱいだった。金曜日の夜から食べすぎだった。日曜日の夜、お腹を下すだろうなぁと予感していたら、案の定、的中した。もともとお腹が弱いうえに、空腹を意識しはじめて、感度が増幅したらしい。

満腹より空腹のほうが難しい。欲が身体を操ろうとする。それに抗おうとせず、受け止めて、吟味すれば、やがて身体が欲を操るようになる。問題は、吟味。吟味せずに食べ物を口へ入れる。足すことより削ることが難しい、と常々考えるけれど、どうやら食べることも同じような気がしてきた。吟味の発端は、なぜ。なぜは、視点から生まれる。

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中身があること

現在、印刷会社のウェブサイトを制作している。WordPressを採用していて、優れた管理能力と拡張性を再確認した。ブログだけに使うのではなく、コンテンツを管理するために運用してこそ、本来の威力を発揮するのだと感じた。ところで、制作を始めて驚かされる日々が続く。というのも、この印刷会社のサイト(レンタルサーバー上で制作)は、まだ完成していない。普段は、メンテナンスモードで制作して、時折、公開モードでテストしている(「問題のある制作方法」と承知している)。

琵琶湖湖西側

驚かされるのは、問い合わせについて。なんと、少し間の公開にもかかわらず、問い合わせがあった。しかも、お問い合わせと資料請求のプログラムを動かす前だったので、コメント欄へ問い合わせてこられる方がいた。サイトで場所を調べて会社へ足を運んだ方もいらっしゃったようだ(後日、受注されたようだ)。その後、お問い合わせと資料請求のプログラムを設置したら、設置当日のうちに2件の問い合わせがあった。もちろん、まだ完成していない。テスト運用のつもりもない。

制作するにあたってヒアリングしたとき、この会社が持つコンテンツの魅力に僕は惹かれた。だから、その魅力を伝えることだけを今も考えている。それが僕の役割だと思う。とにかく、シンプルに伝える。洗練されたモノを持つ喜びと技術力の高さを伝える。削り落とした言葉とわかりやすい視覚で。僕にできることはそれぐらいだ。

琵琶湖湖東側

やっぱり「中身を持つこと」だ、と痛感した。この印刷会社のウェブサイトを支援できて、ほんとうに嬉しい。ウェブサイトのデザインや高度なプログラムを組むなら、プロに任せたほうがいい。すばらしいサイトが完成する。その旨を事前に伝えた上で、選んでいただけたことに感謝。ほんとうに嬉しい。「中身を持つこと」の素晴らしさと力強さを教わっている。

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隣の芋は青い?

今年も近江舞子いちご園へ行ってきた。晴天、半袖では少し寒いくらいだった。毎年、良い天気でめぐまれている(雨の日に行く人はいない)。近江舞子駅から見える景色が好きだ。小野駅を過ぎたころ、読書をやめて景色を眺めていた。和邇から近江舞子までの間、鎌倉に住まないならこのあたりに住むなと思った。「朝、目が覚めて窓を開けると、目の前に琵琶湖があったら、それだけで幸せやな」といつも感じる。鎌倉でも同じ気持ちだった。

近江舞子駅

近江舞子いちご園は、近江舞子駅から歩いて7,8分ほど。周りの景色を眺めてゆっくりと歩いた。

近江舞子いちご園の周辺

12時すぎに到着。芋掘りの場所を案内してもらった。毎年、掘る場所は違う。案内された株のすぐ隣では、4人家族が掘っていた。小学生の低学年と幼稚園ぐらいの姉妹が、すごく楽しそう。さっそく、袋から軍手とスコップを取り出した。ところが、掘り始めて妙な感じがした。なんとなく視線を感じる。(後で聞いたところでは)お隣のご両親が、こちらの芋掘りの様子を窺っていた。

隣のお父さんは大変そうだった。ハンディカムで撮影しながら芋掘り。姉妹たちが、芋の周りの土を丁寧に掘り、いざ、引き抜こうとしたとき、「まだ、あかん。電源が入ってない」とか、「引っこ抜くとき、声をかけてな」とか、「●●ちゃん、もっと土をかき出さなあかん」とか。その必死さに感銘を受けたのか、お母さんも、同じく、「●●ちゃん、芋がもっと見えるように掘らな、カメラで撮られへんから」とか、「お父さん、もう引っこ抜くよ、大丈夫?」とか。

そうやって娘たちを鼓舞しながら、ご両親は、こちらの芋掘りの様子を窺っていた(らしい)。大変だな。

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今年は、ものすごく大きな芋が3,4つ収穫できた。かと思えば、小ぶりもあった。全体として例年より大きめ。芋の大きさが毎年違うので楽しい(あたりまえか)。収穫した芋を持ち帰ってすぐにでも食べたい。それをぐっと我慢して、2,3週間から1ヶ月程度待つ。すると、ものすごく甘くなっていて、とてもおいしい。

近江舞子いちご園

収穫を終えて、小屋に戻ると、さっきの4人家族は、もういなかった。ベンチに座っておにぎりをほおばる。おいしかった。琵琶湖側から山側へ風が流れる。心地よい。ときおり風向きが変わると、肥料のにおいが鼻にやってくる。ベンチの前では、別の4人家族(こちらは兄弟)が、昼御飯を食べていた。食べ終えた頃、4人が一斉に席を外したので、何事かと走っていった方へ目をやったら、収穫したばかりの芋を焼いていた。それを、いちご園の人たちにもおすそ分けしていた。熱熱の焼き芋をほおばる兄弟。

近江舞子いえいご園

帰りの電車まで30分ほど時間があったので、畑を探索。すると、焼き芋の兄弟が、僕が持っていた南瓜風の物体に興味を示し、「それは何ですか?」と訊いてきた。「そこで拾ったけど、僕もわかりません」と答えた。子供たちが敬語で話しかけてくれたので、僕も敬語で答えた。やっぱり敬語っていいなと改めて感じた。距離を感じさせない敬語に堪能な人になりたいと思った。

毎年、近江舞子いちご園へやってくると、気づきがたくさんある。気づきがなくなったら、違うか、気づけなくなったら、足を運ばなくなるのだろう。そのときの自分は、自然と人工を峻別しているだろうし、そうなりたくないと願う。

焼き芋の子供たち

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価格? デザイン? 文化?

エディ・バウアーの大津パルコ店が、9/30で営業終了するとのこと。さっそく行ってみた。2007年に開店して、1年ほどで撤退。THANKS SALEのハガキには、「諸般の事情」と書いてあった。5Fにある紀伊国屋書店へよく足を運ぶので、諸般の事情がよくわかる。

エディ・バウアー大津パルコ店営業終了

店内の洋服は、20〜30%off、秋物の新着は定価のままだったので、別の店にまわすのかな。それにしても、安いなぁと思った。ボタンダウンの長袖シャツなんて2,900円ほどで売っていた(50%以上のOFF)。パッと見た限り、デザインやつくりに不満はない。だけど売れてない。それもそのはず、店内にお客がいない。閉店セールに客が来店しないのだから、1年間の営業も推して知るべし。

パルコの壁

1時間ほどウロウロした。その間、何がダメなのか思いを巡らせていた。価格, デザイン, 文化, 接客, 雰囲気…、自分でバカだなぁと呆れるけど、どうしても何がダメなのかなぁと観察してしまう。ユニクロより高い。GAPとテイストが似ているようでそうじゃない、だけどテイストの違いがわからない。パンフレットを眺めると、湖や山、草原を背景にしたモデルの写真が多い。とにかく伝わってこないことだけが伝わってくる。

抹茶

店を出たあと、すぐ目の前にあるユニクロをのぞいた。こっちは人、人、人。キャンペーン中らしい。レジには20人ほど並んでいるし、6,7つある試着室も列を作っていた。店内の人は、ぶらぶら歩くより、買うぞと意気込む人のほうが多いように感じた。どんな人が買い物に来ているのか、ひととおり眺めて、店内のスタッフの動きとアナウンスを聞いて、ユニクロを出た。価格の訴求力を再認識。

伊丹十三氏の『スーパーの女』に、「安かろう悪かろう」というセリフがある。今なら食べ物にフォーカスがあたるし、他にもあてはまる商品はたくさんある。洋服に付けられたMADE IN CHINAのタグを見て、座りの悪い感情が交錯。しょうがいない諦めと昔ほどダサクない納得感が、しょうゆとんこつのようにからまっている。色やデザインもおかしくないといえばおかしくない。

洋服のような「形」の商品ですら、「伝える」ことが大切になってきた。ましてや、「形」のないモノは、「伝えなければならない」ことが商品だ、とメモしておいた。

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理解の外側の人は目の前にいつもいる

彼らは、どうして自分は自分の知っていることの重要性をオーバーレイトし、自分の知らないことの重要性をアンダーレイトするのか、その非対称の理由についておそらく一度も省察したことがない。

via: 知識についての知識について (内田樹の研究室)

火曜日、明日都浜大津トレーニングルームで2時間ほどすごした。自転車をこぐようなマシンからはじめて、ストレッチ、それからベルトコンベアの上を30分走って、下半身の筋肉をいじめる器具を使う。これでおおよそ1.5-2時間ぐらい。最初の頃は、器具を使うことに意識が集中したり、数値が気になったりしていた。この頃は、別にどうでもいいから淡々とこなす。むしろ、意識は、周囲の人へ浮気する。

わっぜ家のデザート

つい最近では、アンチエイジングな50歳ぐらいで胸と腕がムキムキだけどお腹は鍛えてないよと一目でわかる男性が気になった。僕が、トレーニングをはじめる前から入室していた。だけど、トレーニングしているようではない。と、思ったら、ほんの少しだけ胸と腕を鍛える器具を使っていた。と、思ったらすぐにウロウロしはじめる。その男性の近くには、僕と同世代か少し若い女性が、ひとりで鍛えていた。男性は、機を見て女性に話かけていた。妄想すると、2人はここで知り合って、話をする程度のお知り合いっぽい?!

女性のトレーニング方法を横から監視しては、コメントしているように聞こえる(さだかでない)。女性が、器具から器具へ移動すると、男性はストーキングしない。しばらく、スタッフの人と筋肉談義の話で盛り上げる。スタッフは、「へぇ」と「はぁ」と「なるほど」しか口にしていないようだった。僕がベルトコンベアの上で走りながら、目の前のメータに表示されたアイコン(カロリーを食べ物に換算)が、「ああ、やっとキャンディーから飲み物に変わった」と思ったぐらいに(短い時間です)、横目でチラリと男性を捜すと、女性の横にいた。

僕がベルトコンベアの上で走っている間、男性は、「女性の横とスタッフの筋肉談義」を繰り返していた。

わっぜ家のメッセージ

火曜日、10:30ぐらいにトレーニングルームに入ると、違う男性とはちあわせした。今度の男性は、両腕をまっすぐのばさず、肘から少し湾曲させて(上腕と脇の角度は20度ぐらい)肩をいかりっぽく歩いていた。逆三角形のシルエットをつくっているようだ。胸の筋肉がじゃまで両腕をまっすぐのばせないと訴えたいのかもしれない。だけど、後ろ姿の男性の腕と脇の間から、向こうの景色が。はっきりと見える。

ナイキの半袖シャツにナイキの短パン、頭には水泳帽のような黒のキャップをかぶっている。靴は赤のナイキ。なんだろ、ナイキの広報部の人だろうか。「形から入る」という単語を映像で記憶するには、もってこいだった。

僕が、ベルトコンベアの上で走っている間、男性は大きな鏡の前にいた。ストレッチをするのか、いや、ゴムボールの上にのるのか、それとも、床運動でもするのか思っていたら、身体をずっと眺めていた。そして、時々、胸と腕を鍛える器具に座っていた。

僕の理解の外側にいる人は、新聞やテレビのなかではなく、目の前にいつもいる。それに気づくかどうかだ、と思う。理解の外側に遭遇しても苛立たず、そのまま受け止めて、評価する。その気づきが、「自分が知っていること」は知の文脈の中でどのようなポジションを占めているのか、ということを認識させてくれる。

「この人の言うことなら信用ができる」という判断がくだせる人に出会うまでやはり大量の書き物を読み続けるしかない。
「自分が知っていること」は知の文脈の中でどのようなポジションを占めているのか。
「知識についての知識」を得るためのショートカットは存在しない。
そういうたいせつなことはグーグルで検索しても誰も教えてくれない。

via: 知識についての知識について (内田樹の研究室)

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マネジメントなんて関係ない

13日の土曜日、三ノ宮へ打ち合わせに行く。話しすぎた、質問する側に徹しないと、と会話を頭の中で再構成して反省。成長しない自分に呆れる。自覚より強い認識を自分にもたらさないと修正できそうにない。問題の根本を考える。14:00から打ち合わせをはじめ、17:00に終了して失礼する。帰りに、いつもの餃子の店へ。

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メニューは餃子だけ(ジャジャメンがあるけど)。シンプル。写真の暖簾の前に3人家族が一組待っていた。その後ろに並ぶ。10分くらいして振りかえると30人以上が並んでいた。びっくりした。しばらしくして店に入ってさらに吃驚。空席のテーブルがちらほら見える。と思っていたら、外で待っていた人がどっと狭い店に入ってきた。

そして3度目のビックリ。四人席に二人で座ったり、カウンターに三人で座ったりとめちゃくちゃ。相変わらずなところがおもしろい。効率とは縁がないのだろう。でも、ひっきりなしに客が入ってくるし、注文している内容を聞いていれば、儲かってるのは火を見るよりも明らか。

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自然に感動することが不自然であるように、効率よく経営したいために取り組んだ行為が、非効率だなんてこともある。方法を追求してタスクを増やした結果、最初よりも酷くなる。一見、忙しくなったように見えるけど、それは「過程」を増やしたからで、「成果」をひとつも出していなかったり。マネジメントや経営というタームに惑わされない集団の仕草が、傍目には無駄と映っても、「無駄」の概念が違うだけかもしれない。焼餃子と水餃子を食べながら、視線は客と店内と厨房を往来した。

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三ノ宮へ戻る途中、元町線路下のアメリカンワッフルのお店に入った。甘い物に目がない。よほど気をつけないとマズイ。日頃は摂生しているけど、何かの拍子に糸が切れるとこうなる。ここも、店内はほどほどに人がいた。週末の19:30頃、こういうお店に人がいる。理由があるはず。レジの前の席に座って食べていると、テイクアウトを注文する若い人たちがやってくる。

餃子と同じ。マネジメントなんて関係ない。だけど、理由はある。その理由を追及する姿勢が、小さな集団の経営かと思う。

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単純であることの難しさ

整理整頓が苦手だ。対照的に机がちらかっていると、仕事がはかどらない人もいる。『佐藤可士和の超整理術』の写真を見ていると、異次元の世界だと自分の目に映る。混沌(都合のいい単語!)としている机では、何がどこにあるかを映像で記憶するようになる。だけど、拡散が閾値を超えると、探すのに数分かかる。それが数十分になったりすると手間になり、やがて重い腰を上げて、頭の映像と現実の滅茶滅茶のズレを修正する。

雑然とした机

昨日、そのズレを整理していたとき、メモ書きを見つけた。

Leonardo Da Vinci “Simplicity is the ultimate sophistication.”

「単純であることは、究極の洗練である」、明快だ。今年に入ってから、モノを捨てているような気がする。何を持つかより、何を持たないか。振り返って、捨てられるようなモノしか持っていなかったということだ。ホビーなら違う、と思う。あくまで身の回りのモノ。

馬齢を重ねることとリンクするのかもしれない。というのも、一、二年ほど前から管理できなくなってきたなぁと感じ始めた。もう何を持っているかすら覚えていなくて、捨てようとして、「おお、こんなモノを買っていたのか」と気づく。何で買ったのか思い出せないときもしばしば。だから、今は本当に必要かと自問するようになった。対象物を買って、それを使いこなしている姿を明確に描けるかどうか、と検討する。何度も書くけど、ホビーは違うだろう。どうしても手に入れたい、という気持ちがある、と想像する。

机のまわり

「単純であることは、究極の洗練である」ことの難しさ。それは、使いこなせること。自分の意識に問題がある。身近なガジェットで考えてみよう。僕は、Happy Hacking Keyboard Professional2 PD-KB400Wを使っている。シンプルなレイアウトに魅了されて買った。すばらしい。何一つ文句ない。でも、いまだに使いこなせていない。すべてのキーは両手で届く範囲にあるのに、手の動きが追いつかない。僕の動作が洗練されてない。

カメラはK10DとGR DIGITAL IIを使っている。K10Dのレンズは31mmと77mmと40mm。単焦点ばかり。ズームレンズを1本持っているけど、ほとんど使わない。ところが、こちらも使いこなせていない。単焦点を使いこなせていないというよりも、風景を切り取る視点を持っていない。「このカメラを買えばキレイに撮れます!」と宣伝されるカメラで撮影すると、たしかにキレイだ。だけど、何かが違う、とすぐに気づく。躍動感、アングル、立体感、光と影…..。閃き。視点。

HHK Professinal2

現在、ある歯科医院のプロジェクトに参加している。参加するにあたって、Wikiを用意した。Wikiにあらゆることをアウトプットしてほしいと提案した。問題、課題、成果、実践方法、ミーティングの内容、とにかく何でもいい。限られた人員で、限られた道具で、限れられた資金、そして何より限られた時間のなかで、単純であること、メソッドを使いこなせること、そしてすぐに実践できることを考えた。

「単純であることは、究極の認識である」ということを、プロジェクトで伝え続けていきたい。

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