タグ: foods

複雑は簡単 簡単は複雑

人間知性は「話を複雑にし、ついでそれを簡単にする。さらにそれをもう一度複雑にし、ふたたび簡単にする。さらにそれを……….」という循環プロセスを繰り返すことによって機能しているか、あるいは、そのプロセスを繰り返すことでしか機能しないのである。

『死と身体―コミュニケーションの磁場』 内田 樹 P.39

削ぎ落とされた結果は美しいけど、削ぎ落とされるまでの行程は恐ろしく複雑だ。

現実を変成する力

ツナマヨ丼

リアルなのは言葉だけである。言葉の向こうには何もない。けれども言葉は「言葉の向こう」があるという仮象をつくりだすことができる。

「言葉以上のものがある」と信じさせることは言葉にしかできない。それが言葉の力なのである。

『こんな日本でよかったね―構造主義的日本論』(文春文庫) P.32

the Right? or the Left?

右であるとか左であるとか、もしくは右寄りであるとか左寄りであるとか、または真ん中であるとか、そういう座標軸のどこに位置するかというようなことが真っ先に浮かぶ文章、また書いている本人もそういうことを、自分が帰属している群れのことを、常に意識しているような文章というのは、今ここに至っては、もう、人を惹き付ける力はない(昔からなかったのかも知れないけど)。

『ぐるりのこと』 梨木 香歩 P.178

昔からなかったのだと思う。でも、座標軸を求めて彷徨い続けているのもほんとだろう。外的伝達情報によって、座標軸の多元化は急速に進化している。かつては一枚の平面でおさまった座標軸が多元化していく。その進化を構成しているヒトがその速度についていけず、彷徨いつづけているのだ、と思う。ヒトが人を効率よく書き換えるには、もう少し先だろう。次に大阪で皆既日食を見学できるときぐらいかな。あっ、もう大阪なんてないだろうけど(笑)

schizophrenia

対米英宣戦布告はまさしく精神分裂病の発病である。突然奇妙な言動をしはじめるとはたの者には見えるが、発狂した者の主観としては真剣なのであって、これまで無理やりにかぶせられていた偽りの自己の仮面をかなぐり捨て、真の自己に従って生きる決意をしたときが、すなわち発狂なのである。外的自己と内的自己との分裂が悪循環的に進行し、外的自己が内的自己にとって耐えがたく重苦しい圧迫となって限界に達したとき、それまで内奥に隠されていた内的自己が、その圧迫を押しのけて外に表れたのである。

『ものぐさ精神分析』 岸田 秀 P.23

意識なしカレー

チキンカレー

組織というものはオーバーマネジメントになりやすく、干渉の不足より過剰こそが多くの組織上のトラブルの因となっている。

『組織化の社会心理学』 カール・E. ワイク P.316

今日のランチ、カレーを食べ終える間際に気になった。平日のランチ用カレーは量が少ない。さらに今日は、Bセットをオーダした。Bセットはナン+ごはん。いつもはナンだけ(ピザSサイズぐらい)。

ということは、いつもの調子で食べられない、はずだった。なのに、ナン+ごはんを食べ終えると最後のカレーがスプーン一杯弱残った。それを口に入れて終わった。

不思議。どうやって調整してるんだろ。本を読みながらでも視覚が理解していたんだろうぁ。無意識の行動。自動化。これ、誰かとしゃべりながら食べたらどうなるんだ?