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誰がハブ 私が波布 ガブ

皇子山公園

shi3zさんの日記は読み応えがある。タイトルは素敵だし、視点がジーニアスで発想がクレイジー。それでいてクールなパッション。日記の評価ですが。

携帯電話を売ってる人は真面目な人も多いのに、たまにこういう対応をされると本当に業界に失望する。

ちなみにいわゆるソフトバンクショップというのは、代理店が経営しているのであってソフトバンクが経営しているわけではない。

彼らはソフトバンクからブランド使用許可をもらって経営している個人事業主に過ぎないのだ。

だからそれぞれの代理店は独立した会社になっていて、もちろんその中には大きくてきちんとしている会社もあれば小さくてデタラメなところも残念ながらいくつかはあるわけだ。

via: 謝罪という名の押し売り – Keep Crazy;shi3zの日記

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聴視悪し調子割る

皇子山陸上競技場のしだれ桜

急げ stand up! line超えればparadise
目に映る全てのものでWe’ll play
この瞬間を見渡そう forever
果てしない水平線を求め FLY OUT! FLY OUT!

lyric twenty4-7

世界を切り取れ。堪能せよ。困難を感じよ。視覚のセンス。聴覚のニュアンス。五感のラビリンス。桜と対話しろ。彼らはすでにいた。主語をスイッチしろ。時をとくと味わえ。

同じことを知る人たちはもはやお互いに最良の友ではない

皇子山公園の梅

Ralph Waldo Emersonは利己的で対偶。素敵だ。

白は、混沌の中から発生する生命あるいは情報の原像である。白はあらゆる混沌のから潔癖にのがれきろうとする負のエントロピーの極みである。生命は色として輝くが、白は色をのがれて純粋に混沌の対極に達しようとする志向そのものである。

“白” (原 研哉) P.11

凡ミス

あやうく踏みそうになった

「凡ミスや…..」と僕が言えば、近ごろ相手は一粲するようになった。以前は、「凡ミス」という単語をあてはめなかった。現象的な凡ミスを犯すと、ひどく怒られた。ミスより恐かった。夕食時にお皿の場所を探したり、冷蔵庫にある調味料を見失ったり(というか居場所を知らない)すると、「お客様!」と叱責がとんできた。

それをどう茶化そうかと考えたあげく、ある日、「凡ミス」という単語が勝手に口から出た。相手は、爆笑した。たぶん、僕の言い方とひどくしょげている様子がおもしろかったんだ。そう解釈した。

それから我が意を得たりと、僕は「凡ミス」を定着させた。凡ミスはいつしか単語から「共通言語」に変わり、日常会話で使う凡ミスの意味から脱却した。まるで、「凡ミス」は僕の口を衝いて出るのをスタンバイしているようだ。僕もつられていつ使おうかと画策する。「凡ミス」は場をなごます役割を果たしてくれている。

特定の相手や特定の集団に対して使う「単語」がある。専門用語や難しい単語ではなく、平凡な単語たち。平凡な単語は一期一会のシチュエーションと出会い、突然、意味させる。僕はもうその単語を忘れられない。何となく使ってしまう。カワイイやつに変わる。やがて、単語から符牒へバージョンアップする。

だけど、気をつけなければならない。「特定」であるがゆえ、平凡な単語は他者を排除しかねない。言葉は武器か凶器か。願わくば前者の比率を上げていきたい。

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理性的論理的実証的に自己評価

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理論より腕(現場の経験)、腕(現場の経験)より理論、そして、少しでも学べば私にもできる…..。自己評価を冷静に下さなければならない。それを会話からいつも学ぶ。僕が口にした言葉や行動が他者へ向かい、それが再び自分のもとに帰ってくる。そのとき、自己評価を下す。理性的、論理的、そして実証的に自分へ接近しようと試みる。否、試みようとするフリをしているだけ。実際は恐れている。拒んでいる。いくつかの自分が。それを破壊せねばならない。

具体的事例から抽象的事象へ全称させ、もう一度、具体的事例へ帰結する。それは会話では難しいのかな、と考える。対話が成立しにくい要因は何か。疎外させる主語は。排除の背景は何か。言葉か。あるいは感情か。関心。関与。興味。嫉妬。

自分の身近で起きた事例を述べたとして、そこから先へ進む道を開いていけない。それでは紹介にすぎない。親切は紹介を自慢へと変える。

探求は道を切り開く。道の向こうに次元の跳躍がある。その跳躍は、我が身に潜む自己査定者の査定すら懐疑する力を持つ。自分が知らないことや自分が感じないことを認識するだけでは足りない。そんな認識は簡単。簡単であるがゆえ、事例の贈与と交換で満足する。

無知や自覚の認識より求められる能力は何か?

それを理性的、論理的、実証的、そして思いやりをもって僕は自分と対峙しなければならない。それが今の課題。

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