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100年前にもどった

ポークカレ

−−昔の音楽家にはパトロンがいましたよね

 坂本 20世紀の約100年間が特殊な時代でね。結局、元に戻ったみたいなもんですよ。(音楽家にとって)結局まだ、お金になるのはライブじゃないですか。エジソンが(蓄音機を)発明する前は、音楽は全部ライブ。むしろ、健全な姿に戻っているのかもしれません。

via: 【話の肖像画】音楽は自由にする(下)音楽家・坂本龍一(57) (1/2ページ) – MSN産経ニュース

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喰らいましょう美味でしょう

幻の中華そば 加藤屋

イヌを食べるなんて昔の人は何と野蛮なと思われるだろうが、逆に古人からすれば、デパ地下のショーケースには色んな種類と部位の肉がずらりと並び、レストランでは血のしたたるレアのビフテキに嬉々としてかぶりついている現代人の姿をみて、何と野蛮なと思うことだろう。文化の価値判断は相対的なものであり、先にもいったように自文化中心主義と自分の時代中心主義の偏見に陥らないようにしなければならないのである。

『ヒトはなぜペットを食べないか』 山内 昶 P.26

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[Review]: 禅と日本文化

禅と日本文化 (岩波新書)

精神の重要さをあまりに注意・強調すれば、形式無視という結果をきたす。「一角」様式と筆触の経済化もまた、慣例的(コンベンショナル)な法則から孤絶するという効果を生ずるのである。普通なら一本の線、一つの塊(マス)、平衡翼(バランシング・ウイング)を予測するところにそれがない、しかもこの事実が予期せざる快感を中心に喚びおこすのである。それらはあきらかに短所や欠陥であるにもかかわらず、そうは感じられない。事実、この不完全そのものが完全の形になる。いうまでもなく、美とはかならずしも形の完全を指していうのではない。この不完全どころか醜というべき形のなかに、美を体現することが日本の美術家の得意の妙技(トリック)の一つである。

“禅と日本文化 (岩波新書)” (鈴木 大拙) P.16

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誰も視なくなったゴールデン

少なくとも98年度下半期以降でNHKが同時間帯1位になったデータはなく、NHKも「これまで、半年間の平均でゴールデンタイム1位ということは聞いたことがない」。民放の在京キー局の幹部は「我々は社会の空気の変化についていくのが遅れてしまったのかもしれない」と話した。

via: asahi.com(朝日新聞社):NHK、視聴率トップに 上半期ゴールデンタイム – 文化

あえてのタイトルにしてみました。第一印象は、自分の生活と合致している。19:00から22:00までの間、Wiiの番組表をテレビ画面に映しても、視たい番組はない。奥さまは、コナン君やヤッターマンが好きなので、画面に映っているのを上の空で視ている。一人なら19:00か21:00のニュースを視る。それも最近では少なくなってきた。

この記事に便乗すると、今年に入って、SANKEI EXPRESSに掲載されている週間視聴率ランキング(TOP20)の変化が、気になっていた。NHKニュース(19:00)のランクインが、多くなった。それも、●●日付けとわかれてランクインしている。最初は、その日に災害や重大ニュースでもあったのかなぁと思い出すけど、そうでもない。ほんとうに「ニュース」を視ているんだと実感した。この記事を読んで、SANKEI EXPRESSのランキングは、脚色されていなかったんだと納得。

想像するに、ニュースと情報番組を融合させたような民放の手法に辟易しているのじゃないかな。あと、キャスターやコメンテーターのポジショニングトークが、耳障りな雑音に変わった。キャスターは、政治家や公的機関を糾弾したり、事件を批判したり、世情を憂えたりする。コメンテーターも同じ。視聴率が前提だから、分布図のもっとも集中している地点(=倫理や理解)へ、ポジショニングトークは着地する。言い換えれば、その地点の水準に合わせた番組を制作している。

分布図の中の大衆は、いままでテレビを視ていた。もっとも集中した地点からはずれた人も視ていた。分布図の外の人は、はじめからテレビを視ない。今、分布図の中の人が、テレビから離れつつあるか、あるいは、情報番組に価値を見出さなくなったんだと思う。そして、キャスターとコメンテーターの言動に疑問を抱きはじめた。

今ならネットで調べれば、おおよその事実関係を把握できる。大勢のブロガーがそれらについて書いている。優れたブロガーの思考は、たいてい尖っている。データを揃えて反論したり、対偶で世の中を観察していたり、倫理で価値を評価せずに論理で冷静に説こうと挑戦していたり、とさまざま。視聴率は関係ないから、対話できる(したい)相手へ言葉が届く。思考が尖っているから、読み手は、テレビにない情報を発見する。ライフハックな情報でも、テレビにないから重宝する。

ただし、情報と知性を峻別する判断は難しい。その難しさに気づき始めた。自分の言葉で伝えようとするブロガーの文字列と出会って、情報と知性を峻別する基準を持っていない自分に気づいたとき、テレビのくだらなさに驚く。そして、いままでテレビを視ていた「時間」を再考する。そうなると、テレビの前にもう座ってられない。情報を獲得する手段と割り切っても、効率は最悪、ノイズも多い。検索もできない。

「時間」に目覚めた人は、視聴者の分布図から外れて、事実を淡々と読み上げるNHKのニュースへなだれ込む。ブログのネタや書くきっかけがほしいから。NHKのニュースは、ノイズが少ない(公正や中立という意味じゃない)。30分ほど視て、あとはネットの扉を開くか、読書をするか、趣味の部屋に棲むか、ずっと仕事をしているか。いままで視聴率の一翼を担っていた10代は、携帯電話を片時も離さないし、それで視たいシーンだけ視たり、小説を読んだり、ネットにアクセする。音楽も聴ける。

って、長々と書いてきたけど、ほんとうは一言ですむ。それをさもブログ風に書きたかっただけ。一言は、「つぶやき」に書いとこ。

固定端末はなくなると思いますか?

同調査によれば、自宅に固定電話を「導入している」ケータイユーザーは85.2%、「導入していない」は14.8%。非導入率を年代別に見ると、20代が34.7%、30代が15.5%、40代が2.9%と若い世代ほど固定電話を導入していないユーザーが多い。

固定電話を導入していない人に、月額基本料などが安くなったら固定電話を導入したいと思うかを聞くと、「安くなっても導入しない」が77.0%となった。特に女性では8割以上、20代では9割以上が「安くなっても導入しない」と回答している。また、全員に固定電話の今後をたずねると、24.3%が「なくなると思う」と回答。

via: 20代の3割超が「固定電話を導入していない」 – ITmedia +D モバイル

私の家でも固定電話を解約しよう、とささやいている。奥さまはまだ抵抗があるようで、首を縦にふらない。固定電話にかかってくるのは、月に一度あるかないか。一週間に一度ぐらいのペースでかかってくるのは、間違い電話(公共機関と”一番”ちがいだから)。FAXはMac mini(MacOSX Server 10.4)で受信している(年に一、二回ぐらい)。送信は皆無。

あと何年したら、「固定端末(パソコン)を導入していますか?」という質問を目にするだろうと想像する。今なら、「(家庭に)デスクトップパソコンを導入していますか?」ぐらいは、あるかもしれない。Sonyはデスクトップパソコン(分離型)の開発を終了して、一体型に集中するらしい。

自分の頭の中では、固定電話の導入と墓参り、代わりに行きます 清掃などサービス人気 面倒だからは「×」がつながっていて、可笑しかった。

同社東日本地域本部の見沢直人管理部次長は「少子高齢化で潜在的なニーズは高い」とみて、「掃除はプロに任せ、たまの墓参りには故人とゆっくり対話するなど時間を有効に使ってほしい」とすすめる。

葬儀や法事に僧侶を派遣する「おぼうさんどっとこむ」(東京都稲城市)も、「代行墓参(ぼさん)」を手がける。同社では、海外赴任や病気などやむを得ない事情に限って受け付けており、「面倒だからといった理由ではお断りしている」という。

社長で僧侶の林数馬さんは「墓参りは本来は自分で行うものだが、昔に比べて生活のペースが忙しく、彼岸や盆に足を運べない人が増えているのは確かだ。たとえ自宅にいても故人を思いだし、気持ちを向けて差し上げることが、一番の供養になる」と話している。

via: 墓参り、代わりに行きます 清掃などサービス人気 面倒だからは「×」 (2/2ページ) – MSN産経ニュース

「面倒だからといった理由ではお断りしている」らしいけど、「理由」をどうやって確認しているのか興味を持った。あと何年ぐらいしたら、「お墓を導入していますか?」とう質問を目にするのだろう?

読書離れの活字返り

いつものことだけど、こういう調査は話半分で受け止めている。それでも納得。

本を「読んでいない」と回答した人(248人)に読まなかった理由を聞いたところ、1位は「読む時間がなかったから」で44.0%、以下「読みたい本がなかったから」(33.5%)、「本よりテレビやラジオ、インターネットの方が面白いから」(26.6%)、「本を読むのが嫌いだから」(14.1%)、「本を読まなくても困らないから」(13.7%)だった。年代別で見ると、20代と40代は「読む時間がなかったから」という理由が多く、50代は「本よりテレビやラジオ、インターネットの方が面白いから」の回答が目立った。

via: Business Media 誠:30代以上で“読書離れ”の兆し——その理由は?

「読書離れの兆し」はいつ頃から使われているのか? テレビとラジオを視聴してインターネットに勤しむ本を読まないらしい50代の人たちが、「オレたちの若い頃から言われてたことだ」なんて一笑に付しているんじゃないかしら。

読書離れが兆しであろうがなかろうが、どうでもいい話。メディアが増えて淘汰されたからだし、一ヶ月に費やす本代からすれば雑誌の休刊が相次ぐのも推して知るべし。書店に並ぶ本を眺めていると、読みたくなくなる。1ページに3分かかったとして、300ページの本なら15時間(あってる?)。1日1時間としたら、月に2冊の読書量。年間24冊、今36歳で80歳まで生きられたら、1,000冊ほどしか読めない。もちろん、そんなスローペースで読むないってツッコミはあるし、本なんて最後まで読まなくたっていいなんてアドバイスもあり、オレは年間にして数百冊読む、今まで数万冊を読んだ人もいるだろう、と推察する。それでも、年間に出版される本をすべて読めない。読む必要もない。

読む必要もないのに読むのは、海水浴に行くようなもの。ただし、最近は海に溺れそうになりがち。読書をすれば知識がふえて、知ったことになる(らしい)。情報を知った行為に満足する。いやいや、数万単位の本を読んでないからだよ、という人がいて、それを越えれば、もう別人、「えっ、何でこんなことも知らないの」と思うようになる、と反論する人はいる、と当て推量。

僕は本を読まない人に理由を尋ねたことはない。関心もない。本を読む人からは理由を聞いた記憶はある。なかでも、「考える」がキーワード。だけど、ほんとうに考えるのか。自分を参照すると、書いた内容に触れた経験を考えたと誤解している、と自覚するときもしばしば。だから、「読書離れ」がネタで登場するときは微笑むけど、善悪で語れると辟易する。

読書離れといっても、今の10代や20代の人たちは、僕以上に活字を目にしているだろう。先祖返りならぬ活字返り。ケータイメールやケータイSNS、ケータイ小説やケータイ漫画などなど、いまやケータイは24時間肌身離さず持っているメディアになりつつある。読書は紙媒体という概念を持つ人がそんな姿を見て、「読んでない」と映るのかもしれない。

若い人たちはケータイというメディアのなかにあるコンテンツから、日常を感じとり、相手を想像し、「考えて」いるかもしれない。読書をするよりも語感を磨いているかもしれない。誤用を気にせず、自分たちの棲む領域で思い通りに表現している、と想像する。

とにかく、長くない人生、読めない本のほうが多く、読めないどころか存在すら知らない本が99%。「何を読むか」ではなく、「何を読まないか」、「そもそもなぜ読むの?」と考える機会が、世の中の問題にぶつかったとき、「そもそもこれは何の問題なのか?」に気づく視点を養っている。

それにしても、300人の回答に反応する自分が卑しいな:sad: