[Review]: 考えなしの行動?

考えなしの行動?

観察をしてみようと一度決心すれば、まったく難しいことではない。ただ、体系的に、そして注意深く観察するには、訓練が必要である。私たちは、あまりに効率良く世間を動き慣れているから、多くの時間を自動航行に任せている。

『考えなしの行動?』 ジェーン・フルトン・スーリ, IDEO P.187

“thoughtless acts”は、 便利をもたらしてくれる。あらゆる事象を処理するときすべてを意識的に思考して行動できない。24時間のうち、意識的に思考して処理した行動について、ぼくはいったどれだけの時間を費やしているだろう。

“thoughtless acts”は効率よく動き回るようにぼくの身体を操作してくれる。反面、困った状況を浮かび上がらせる。困った状況とは、焦点を合わせる努力をしないかぎり、「方法」を気づかない。

たとえば、三ノ宮駅の列がおもしろい。ホームの記号(∟)どおりに並ぶ人、つまり記号に従って長方形の短辺と長辺になるように直角を作って並ぶ人もいれば、無視してそのまままっすぐ並ぶ人もいる。

無意識の動作を中断され生活の流れが寸断されたとき、意識は起動して、自分たちの行動と前提について考えるようになる。焦点を合わせる特別な努力を求められる。

列車を待つ人々の列。ぼくは、その列へ並んだ。ふと前方へ目をやると女性が身体ひとつ列から右側へはみでている。ぼくの無意識は、意識モードへ切り替わる。なぜそこで? どうすれば、それがわかるのだろう? そのモードが相互作用を発見する。

そこではじめて、私たちは、日々の相互作用の中に自分たちが探しているシグナルに気づき、さらに分析するようになる。だから、常に見て気づくという訓練をするうち、私たちが当然のことだと思っているものに対して、しだいに気を配ることになるだろう。

『考えなしの行動?』 ジェーン・フルトン・スーリ, IDEO P.187

当然のことだと思っているもの。それらに気を配ればデザインのヒントがある。天井に作業行程を貼る工場。極めてシンプルかつエレガントな方法だ。ぼくは自分の部屋の天井を有効に利用しているだろうか? ぼくは部屋のラックの支柱に帽子をかけている。本来の目的で作られた柱でないけど、この柱は問題を完璧に解決してくれている。

わからない、という免罪符が視覚と聴覚を休眠させ、特別な努力を怠らせる。見れば信じる、じゃなく、信じれば見るんだ。ぼくは初歩的なミスを犯している。それを森先生は指摘してくれた。

「ホームズ、いったい君は何がいいたいんだ?」

「いいかい、ワトソン君。君の初歩的なミスは、人が積極的に意図しない行動には、いかなる理由も存在しないと思い込んでいることだ」

『考えなしの行動?』 ジェーン・フルトン・スーリ, IDEO 訳者まえがきより

『考えなしの行動?』はアイデアの「仕方」を惜しげもなく披露している。皮肉な話、それはすべて日常にある。

発想って? 着眼って? 視点って? 見るべきものを見るって?

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結果も過程も大切だけど払わない

小関峠

「それからこれは前にも申し上げたことですが、念のために繰り返します。ご要望のあったトピックについて、引き出せる情報はすべて入手しました。ですからもし牛河さんがその内容にご不満を持たれたとしても、こちらとしては責任はとれません。技術的にできる限りのことはやったからです。報酬は労働に対するものであり、結果に対するものではありません。求めていた情報がなかったから金を返せと言われても困ります。それもご承知願えますね」

『1Q84 BOOK 3』 村上 春樹 P.138

結果に対して報酬が支払われるようになり結果に対して評価が下される。アンフェアがあるとしたら、結果を提示しないで結果を求める傾向が高まったことだろう。往々にしてそういう傾向の高い属性は結果を出したことがない。自ら創り出さない。結果を評価する仕方も知らない。だから結果の定義が異なるのだろう。

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いくつかの幻想とひとつきりの現実 どちらを選ぶかは自由

琵琶湖

「で、そういうことをしますと、そのあとの日常の風景が、なんていうか、いつもとはちっとばかし違って見えてくるかもしれない。私にもそういう経験はあります。でも見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです」

『1Q84 BOOK 1』 村上 春樹 P.23

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食は会食性は隠性

趙さんの酢豚定食

……….(中略)、なあ、自分で考えてゆうでみい、そこになんでかこうしてあるそのなんやかの一致の私は何やてほれ今ゆうてみい、わたしは歯って決めたねん、わたしは歯って決めたんや、おうおうおうおう歯やからゆうて阿呆らしいとか思うなや、歯はな、なめんな、一本ちゃんと調べまくったらその個体のしくみがまるままわかってしまうんや、全部ばれてしまうんや、歯はこれこの生命にとってな、最も最も最も最も本質的な器官なんや、そうやそやからわたしは決めたんや、命と本質と最もがわたしの中で一列んなってそれがずばっと歯やったんや、(中略)……….

『わたくし率 イン 歯ー、または世界』 川上 未映子 P.82-83

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受信者への敬意を忘れている

蓮

私が言葉を差し出す相手がいる。それが誰であるか私は知らない。どれほど知性的であるのか、どれほど倫理的であるのか、どれほど市民的に成熟しているのか、私は知らない。けれども、その見知らぬ相手に私の言葉の正否真偽を査定する権利を「付託する」という保証のない信認だけが自由な言論の場を起動させる。「場の審判力」への私からの信認からしか言論の自由な往還は始まらない。

『大人のいない国―成熟社会の未熟なあなた』 鷲田 清一, 内田 樹 P.87

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“刻”離れ

長柄3丁目の食堂

もう何年も前から、幼稚園では「シンデレラ」の話をするのが難しいという。悪い母親がいて、二人の娘がいた。雪が降るある日、その母親は自分が産んだのではないほうの娘に向かって、「外に行って、イチゴを採っておいで」と言う。現在、初老を迎えるくらいの年齢の人ならば、そこで涙を落とすかも知れない。しかし、現在の幼稚園には、そのようなことが理解できない園児がいると言う。

『考える人 2010年 08月号 [雑誌]』 新潮社 P.135

コンビニは? お金を持ってないの?

11月の終わりにイチゴが並んだらクリスマスのシーズンだと思う大人たち。物語のある場面をお金に交換する子どもたち。”伝え会う”物語の内容と”刻”がどんどん離れていく。

そもそもそうしようとすることが最初から失敗するようになっている

足元を見てない

一定の場合について、目的を立てるためにいかなる苦労をしても、それが最終的なものではない。その目的を採用した結果に細心の注意を払わねばならず、目標は、その正しさが結果によって確かめられるまでは、単に作業仮説として考えねばならない。失敗は、もはや、単に悲しむべき不可避的な災難でもなければ、贖われ許さるべき道徳的な罪でもない。それは、知性の誤った使用法に関する教訓であり、将来の改善に関する指示である。それは、修正、開発、再調整の必要を示すものである。目的が成長し、判断の規準が改良される。

『哲学の改造』 ジョン・デューイ P.185

誰が 計画を観察して適当な知性を選び判断の規準を改良するのか。誰が柔軟なものへ、生きているもの、成長するものへ実践するのか。

計画はそもそもそうしようとすることが最初から失敗するようになっている。

善く生きるために、現象の側を測ること

小関峠の田んぼ

生きることそれ自体が価値なのではない、善く生きることだけが価値である。つねづね私は言っているけれども、しかし、ああ、これぞ人間の逆説、善く生きるためには、人は、生きていなければならない。生きることそれ自体がよいことなのではないけれども、善く生きるためには、人は、いくらいやでも面倒でも、やはり生きていなければならないのである。そも生きていないことには、善く生きることこともできないのである。

『魂とは何か さて死んだのは誰なのか』 池田 晶子 P.103

人間座って半畳、寝て一畳が宇宙。メメント・モリ